悲しみのうちに一週間が過ぎた。惑星研究室のコンピューターの横には花が添えられ、女性メンバーの一人である岡本晴美は、コンピューターを抱きかかえて何時間も泣き崩れた。今も白浜宏美がキーボードを操作しているかのような錯覚さえ起こすのだった。武田博士も、優秀なプログラマーであり、オペレーターであった白浜を心から哀悼した。茅場もこの二年間一緒に研究をし、半年以上に渡って南京で仕事をしたのを思い出すにつけ、込み上げてくる悲しみは容易に癒されるものではなかったが、いつまでも皆の前で悲しい顔をしてはいられなかった。
「みんな。・・・悲しいことは判る。ぼくだって同じだよ。・・・白浜君のためにも一層頑張って、新惑星を研究しようではないか。どんな大口径の望遠鏡にも負けない頭脳をぼくたちは持っているんだ。この頭脳でもう一度世界中をあっと言わせようよ。なあ、みんな」
「そうだ、茅場君の言う通りだ。元気を出して再出発しよう」
 と、武田博士は東出克彦から来たファックスを、目を真っ赤にして泣き止まない岡本晴美に手渡しながら言った。
「コピーを・・・してきます。・・・」
 と、彼女はハンカチで涙を拭い、鼻をすすり、しゃくりながら言った。
「ありがとう。6枚ね。・・・茅場君、この東出君からのファックスだが、フランスのT天文台の観測では新惑星は安定な軌道ではない、ということだ」
「そうですか、やはり」
「やはり、というと?」
「ええ、この一週間私たちの観測は途切れているわけですが、その前の4日間のデータから白浜君が、綿密な軌道計算をしていたんです。その結果がシラハマファイル2として、ここにあります。それをみますと、多分明後日頃、急激な軌道ずれを起こすはずになっているんです。本人もまさかと思ったに違いありません」
「そうか、・・・そんな予測までやっていたのか・・・白浜君は・・・」
 博士はコンピュータの傍の花の向きを直して、今は電源の入ってないキーボードのキーのいくつかを触りながら言った。
「先生、コピーです。・・・6枚」
 と、岡本が言葉少なく、原紙とコピー1枚を博士に手渡し、あとは茅場や居合わせている研究室のメンバーに配った。大分落ち着いてきたとはいえ、まだ元気がない。うつむいたままコンピューターの傍に立っている。
「ああ、ありがとう・・・この報告では、観測上、軌道が安定でないという事だけで、具体的にどういうようになるとは書いてない。・・・白浜君のやりかけていた、その軌道計算をもういちど皆で検討して、確信に到れば発表することにしよう」
「賛成です」
「やりましょう」
「白浜さん、喜ぶわ。ぜひそうしましょう」
 口々に全員が、やりたいことを博士に懇願した。
・・・早速、白浜の遺作ともなったファイルを走らせ、結果を見ることから始めた。茅場が言ったように、2日後に新惑星は急激に軌道を変え、地球の方向に向かってくることになっている。
 全員が顔を見合わせ、<本当だろうか>、<恐いわ>、<地球にぶつかるの>など、つぶやいている。心の中は複雑だった。まさか地球の方向に来るなんて、この計算は間違いであってほしいと思う心と、あの白浜さんの作ったプログラムだから間違いはないかも知れない、という気持ちの入り交じったものである。
 プログラムに間違いはないかのチェックが始まった。非常に複雑なプログラムであるため、部分、部分に分けて、みんなで見ることにした。メンバーの一人は、自分のチェックする部分をプログラムコピーして、自分のノートパソコンにインプットして見ている者もいた。茅場はデータインプットにミスはないかを徹底的にチェックしていった。博士は最も難しい三体問題、地球と火星と新惑星の三つの引力計算をするプログラムのチェックである。
 
・・・わずかなパラメーター不足があったに過ぎない、ほぼ完璧なプログラムであった。もう一度それらの訂正を行なった後、ランさせて、全員、鳥肌の立つ思いであった。先程と殆ど変わらない。2日後、チチウス・ボーデの法則の軌道からぐーっと逸脱する。そして地球方向に確実にやってくる。
「何てことだ・・・」
 博士がつぶやくと、みんな声もなく立ちすくんだ。
「こんな事を発表していいんでしょうか。物凄いパニックを起こすと思いますが」
 と、茅場が真剣な顔をして博士に言った。
「いかん、いかん。これは発表できん」
「私たちが発表しなくても、誰かが、どこかの天文台が発表したら、同じではないでしょうか」
 メンバーの一人が顔面蒼白で、手さえ震わしながら言った。
「その時は、その時だ。・・・少なくとも私には出来ない」
 
・・・沈黙が続いた。白浜は、この事を知っていたのだろうか。自分のプログラムに自信がなかったので、皆にはまだ言わなかったのだろう。どこか手落ちがあって、このような結果にはならないと信じていたのかも知れない。軌道の予想は、確実に地球に衝突するとは言い切れない、まだ未知数の部分はある。しかし、たとえ衝突しなくても、完全に地球は破壊されるだけの異変は起こる。小惑星の軌道に新しい惑星が誕生しただけで、火星や地球の地軸が変化したくらいだ。その新惑星が火星より内側にやってくるとなると、地球はもはや想像を絶する破壊的なダメージを受けることになるだろう。
 さすがの武田博士も当惑した。かすかに唇が震えているのを茅場は見た。茅場自身もそうだった。いや研究室にいる全員が背筋に冷たいものを乗せられた思いである。
 
・・・その時、それまで黙って過去三週間分のデータと小惑星天文ガイドを細かく調べていたメンバーの一人が大きな声で言った。
「先生、望みがあります。ひょっとして・・・」
「何だ!」
 博士は藁をも掴む思いで、とっさに振り向いた。
「小惑星で一番明るく輝く星は、たしかベスタでしたね。これが新惑星に捕獲されたという観測はまだないんです。それで調べてみましたら、ベスタは今、火星の陰になっていて、しかも公転が火星とほぼ同じであるため、地球からは見えない位置にあるんです。これが計算に入ってないです!」
「そうか!よくやった。・・茅場君、ベスタの軌道を計算してあるファイルを出してくれないか。現時点の位置をインプットして計算し直してみよう。今度は地球の引力は考慮に入れなくていい。火星と新惑星とベスタの相互引力だ!」
 
・・・懸命にプログラムの変更が行なわれた。これだけの軌道計算が出来る研究室は世界にも五つとないだろう。コンピューターのスピードこそ遅いが、それはプログラムで補うだけの頭脳がある。操作は茅場がやった。白浜宏美がいつも座って指を動かしていた、その場所で。
 ランさせた。一斉に視線がディスプレーに行く。バグもない。新惑星の軌道が色の違った曲線でスーッと示された。
「えー?」
「これは!」
「火星だ!火星に衝突する。それも正面衝突だ!」
「信じられない!」
 口々に叫びにも似た驚嘆の声を出した。
「いや、これは間違いない。今度こそ間違いないだろう」
 博士は絶望的な声で、食入るような目でディスプレーを見ながら言った。
「発表しますか?」
 と、座っている茅場が博士を見上げるようにして言った。
「ああ、・・・することにしよう。白浜君のためにも」
「喜ぶわ、白浜さん」
「そうだね。・・・先生の名前でマスコミに流しますか?」
 と、茅場がコンピューターの操作卓から離れ、立ち上がって言った。
「いや、やはり私は太陽系異変対策委員会のメンバーだから、委員会からの発表が妥当ではないかな」
「・・・また、あの藤川先生の偉そうな顔が出てくるのね。いやだわ」
「こら、こら、そういう事を言っちゃいかん。お互いに私たちはどこで、どういうお世話になるかも知れないんだから、人間関係は大切にしておくことだ」
「だってー」
「先生の言う通りだよ、岡本さん。・・・でも・・・先生、・・・新惑星と火星が衝突するなんて、今度こそ、ただでは済まないですね」
 茅場は凄まじい大衝突の瞬間を想像しながら、顔をしかめて言った。
「どうなるんでしょうね、先生、茅場さん」
 と、岡本が博士と茅場に向かって心配そうにきいた。
「判らない。私にも判らない・・・どういう異変が起こるだろうか・・・」
 博士は悲痛な面持ちで、皆から顔をそむけるようにして言った。知っているけど言わないというのではなく、本当に博士にも想像も出来なかった。はっきりしていることは、茅場も言ったように、ただでは済まないだろうということだった。
「じゃ先生、早速発表する原稿を・・・」
 と、茅場は話をそらせるように言った。
「そうだな。すまないが、レポートをまとめてくれないか・・・」
・・・急に忙しくなった。原稿をまとめるのは茅場の役目である。博士の絶対の信頼を受けている茅場は、一点のミスも許されない、そういう気持ちでいつも臨んできた。まず新生惑星の軌道計算の基礎になるデータからまとめていった。そして小惑星ベスタが現在も火星の向こうにあることの確かな観測データなどを綿密に原稿に組み込んでいった。
 レポートをまとめながら、茅場は更に強烈な恐怖感に襲われるのだった。
 
 あまりに急な発見であったため、委員会を召集する時間がなく、結局電話で、その日のうちに各委員の了承を受けて、藤川慎介が記者会見による発表をすることになった。渋谷宇田川町のテレビスタジオの一室である。武田博士も出席するよう藤川は希望したが、博士は忙しいという理由で出席はしなかった。藤川だけの単独会見である。太陽系異変対策委員会からの重大発表があるというので、各新聞社、テレビ局などマスコミ関係が一斉に取材にきた。
「世界に先駆けて・・・」
 藤川がしゃべり始めた。
「私ども太陽系異変対策委員会のメンバーである武田博士が、東都大学惑星研究室で新生惑星の今後の軌道を計算した結果、重大な予想軌道を発見しました。・・明後日、新惑星は軌道から大きく外れ、一週間後、日本時間5月2日午前十一時九分に火星と正面衝突します」
 会場がざわざわと騒めいた。
「新惑星と火星の相互引力はきわめて大きく、安定な軌道を回ることは天体力学上不可能な事態になっているのです。こういう事態を引き起こすのは、小惑星の一つであるベスタという星が原因であろう、と武田博士は述べておられます。不可避な出来事です」
 藤川は、意外と冷静に淡々と述べていった。
「簡単ですが、発表内容は以上です。ご質問があればどうぞ」
 一斉に何人ものジャーナリストから手が上がった。
「間違いはないのですか?確率は?」
「間違いないという確信のもとに発表しているのです。確率は百パーセントです。大衝突する日時もはっきりしています。そのうち、諸外国の研究機関からも計算結果は発表されるでしょうから、間違いとか、確率とかいう問題はまもなく解消されるでしょう。私どもの発表が世界初であることの意義をご喧伝ください」
 藤川は自信に満ちた口調で言い切った。
「大衝突を起こすと、双方はどうなりますか」
「私は相互が合体すると予想しています。新生惑星の方はまだ、表面が乾いた状態で、内部はどろどろの溶岩で、現在盛んに火山活動をしていますが、火星の方が質量も小さく、火星といえども内部は地球と同じようにマグマがあり、軟らかですから、双方は合体するでしょう。ただし、武田博士は一瞬にしてバラバラに飛び散るだろうと予想しています。この辺は意見の相違があり、どうなるという、はっきりした意見統一はありません」
「合体すると、あるいはバラバラになると、地球に先般のような異変が起りますか」
「いや、大きな引力変化はないと思います。既に新惑星は太陽系全体の引力の秩序は作ったと、私は見ています。したがって合体しても大きな引力の変動はないでしょう。あってもわずかだと思います」
「武田博士の意見はどうだったですか?」
「意見交換をした際、博士はなぜかノーコメントだった。・・・私の意見では、たとえバラバラに飛び散っても引力の変動はないと思っている」
 藤川は、今までの調子とは違ったちょっと強い言い方であった。
「衝突の5月2日午前十一時九分というのは、本当に衝突する時刻ですね。光が地球に届くまでに時間がかかるでしょうから、実際に衝突が地球から見えるのは、何時何分ということになりますか?」
「良い質問です(笑い)。計算によれば四分後です。したがって望遠鏡で衝突の瞬間が見えるのは、午前十一時十三分です」
 
 あっという間に世界中に報道され、臨時ニュースで、号外で、津々浦々に知れ渡った。職場で、あるいは家庭で、そして道行く人と、ありとあらゆる所で火星と新惑星の衝突の話題でいっぱいになった。衝突の一瞬を見ようと、また望遠鏡が飛ぶように売れるようになった。まさに猫も杓子もとは、このことである。まるでお祭り騒ぎである。
 しかし、武田博士と、茅場は悲痛な思いで、この騒ぎを見ていた。