時折吹く強い風にも、どうやら列車は順調に走ってくれたが、途中、長江の支流に当たる河川や江南運河への川、太湖への河川敷など鉄橋の上では、突風のため幾度となく立往生したり、徐行運転を強いられた。とくに無錫駅に逃げるように滑りこんだ列車は三十分ほど風の具合を見ながら停車していた。この調子では飛行機は大丈夫だろうかと、三人とも真剣に心配したのは当然である。
 無錫(むしゃく)、中国語でウーシーというこの町は、紀元前1240年、周の太伯がここに都を開いたのが始まりで、周代には近くの錫山から錫を大量に産出していたが、やがて掘り尽くされ錫が無くなったので、無錫と呼ばれるようになったと言われている。中国五大淡水湖の一つ太湖がある風光明媚なところである。しかし今や、宇宙規模の異変の只中にある地球は、どこも観光の余裕などなかった。
 南京を出発して三時間以上経って、まだ無錫にいる三人は心細くなってきたが、停車中に買ってきたウナギの弁当がおいしかった。ここは昔から魚米の里と言われてきた水産物の豊かな都であるが、とくに太湖で取れるエビや白魚、ウナギ、カニなどは日本人の口にもよく合う。味付けは日本人ほど濃くないが、あっさりした口当たりが好まれる。
 弁当を食べ終わった頃、やっと列車が動きだした。午後になって少し風の向きが変わり始めて、突風のような強い風でなくなったようだ。これなら飛行機も、と期待できた。
 
 約一時間ほどかかって蘇州に着いた。本来ならもう上海に着いてよい時間である。ここでも約十分くらい停車して、何やら点検作業をしていた。
 蘇州も無錫と同様、水の都である。北京と杭州を結ぶ京杭大運河や縦横に走るクリークが蘇州の人々の生活を支えてきたところだ。歴史的には紀元前560年に呉が、ここに都を遷して以来、江南の都市として栄え、とくに明・清代には絹織物の生産が盛んになり、その刺繍は今でも、湖南、広東、四川産とともに四大刺繍の一つに数えられ、とりわけ両面刺繍は見事である。また蘇州は、多くの庭園があることでも有名であるが、これは宋代以降、皇帝側近の高官や大地主などが競って美しさを誇る庭園を造ったのが、今に残るものである。
 武田博士が思い出したように、停車時間を駅員に確かめて買物に出掛けて行った。ほくほくした顔で戻ってきた手には、白檀の扇子があった。見事な芸術品といった扇子だ。蘇州は工芸の都とも言われるほど美術工芸品の名産地である。四十五元だったというから、約千五百円くらいか。中国の人の平均月収の約半分だから高いといえば高い。
 その他、博士から「ここから約5キロほど離れた郊外に虎丘という小さなお墓の山があるが、そこの虎丘塔という中国最古の煉瓦塔は、ピサの斜塔のように、約15度も傾いている」という話などを聞いているうち、列車が動き出した。
・・・蘇州から上海までは普通なら特急で約一時間であるが、急行にも及ばない一時間半くらいかかって、やっと上海に到着した。
 
 上海駅から上海空港・虹橋機場まで車で三、四十分はかかる。駅の案内に尋ねると、普段なら中国民航がリムジンバスを運行しているが、国内線の時刻に合わせて出すため、昨日からダイヤは大幅に狂って殆ど欠航しているので、バスも出てないという話だった。
 降りたのが南第二出口だったので、中央口を横切って第一出口の方に少し歩いて、そこのタクシー乗り場から空港に行くことにした。
 博士はタクシーに乗るなり、「20元で空港まで行ってくれ。あと5元チップを出す」とはっきり言った。運転手は「ジー ダオ ラ」と、妙に丁寧な言葉使いで返事をした。博士の中国語が標準語の立派な言葉だったので、三人を日本人には見なかったのだろう。25元ならオンのジである。外人観光客を相手にふっかける料金である。それを初めから貰えるのだから運転手は喜ぶ。
 途中、「国内線は殆どが欠航してますぜ」とか、「お客さん、どちらへ」とか、「息子さんとお嬢さんですか」など口うるさく聞いてきたが、博士は疲れているせいもあって、適当な返事をしていると、運転手も黙ってきた。
 
 虹橋飛行場に着いてびっくりした。とにかく人の山、山。ごったがえしていた。日本人だけではない。そして観光客だけではなく、ビジネスで上海と母国を往復している商社マンなど仕事上で上海空港を利用している人たちで溢れている。強風のため、発着の時間が軒並み変更になっているためだ。欠航している便も多数あった。半年前、ここに降り立った時とは全く異なる様相を呈している。
 予約してある中国民航の飛行機の予定時間にぎりぎりであったため、すぐカウンターで手続きをしたが、とても予定の時間に飛び立てる状況ではなかった。しかし、まだ欠航には決定してなかった。武田博士は孫万歌教授に、茅場は東京の武田美枝子に、そして白浜は鷲津の実家へ、それぞれ現在の状況を電話して説明した。最悪の事態では帰れなくなることもあるのだ。三人だけではない、ふるさとの懐かしい人達すべてが心配した。
 武田博士は二人に余計な心配をかけさせまいと、出来るかぎりの平静を装って落ち着いていた。しかし、「まさに運を天に任せるしかないな」
と、冗談で言ったつもりだったが、白浜には、それがことのほか恐怖心をあおったようで、黙り込んでしまった。真顔の顔でうつむいたまま、大きく息をしているのが痛たましかった。茅場も同様だった。なぜか口をきくのが億劫だった。三人とも黙っていた。あれほどチームワークの良かった仕事振りからは想像も出来ない三人であった。数時間の汽車の旅と、本当に日本に帰れるのだろうかという不安は、いやが上にも肉体的、精神的に三人を打ちのめしていた。
 
 ・・・実際には二時間ほどだったろうが、何時間も、いや何日も待ったように感じた。ふと聞こえたCA503便の乗客の皆様、というアナウンスは、まさに天使の声にも似ていた。<飛んでくれる、これで帰れる>、三人は同時に顔を上げ、互いの顔を見合わせた。しかし、次の瞬間には、<無事に・・・どうか無事に・・・>という祈りにも似た切実な声が、三人の目から出ていた。
 お土産を買うとか、記念写真を撮るとかの余裕はまったくなかった。もちろんそういう気持ちなどには全然なれない。三人は無言のまま、場内アナウンスにしたがって、重い足取りで搭乗した。時折吹く強い風で機体が揺れる。
 ファーストクラスをとってくれていた。大きなゆったりとしたシートである。日本の国会議員と政府高官も横に乗っていた。よくテレビや新聞で見かける顔だったので、三人にはすぐ判った。どこかを訪問した帰りだろう。雑談から判断して、この上海からの便が飛ぶというので急遽乗りこんだ様子だった。
 バッゲージキャビンに荷物を入れてほっとした三人は、改めて顔を見合わせた。白浜はなおも緊張した面持ちで笑顔はなかった。茅場も、白浜を慰める元気すらなかった。ぐたっとシートに深く沈み込むように座ると、目を閉じて南京での半年に渡る生活を思い出そうとした。
 キーンとジェットエンジンのアイドリングが聞こえるが、一向に動こうとしない。
 
 ・・・1時間以上待っただろうか、機内のアナウンスがベルトを固く閉めるよう告げ、やっと動き始めた。滑走路へ到達するまでに何度も機体がぐっと揺れた。凄い風だ。午後少し吹き方が緩やかになった頃があったが、また夕方になるにつれて強くなりそうだ。<飛ぶなら早くしてくれ>、と博士も茅場も心の中で叫んでいた。
「お待たせしました。これから離陸します。ベルトの確認をしてください。本日は気象条件により、大きく機体が揺れることがありますので、着陸までベルトは外さないようにお願いいたします。成田まで約三時間のフライトです」
 英語と中国語、それに日本語で、落ち着いた美しい声のアナウンスが機内に流れた。と同時にエンジンのゴーっという音がぐんぐんと大きくなり、機体が急に前進し始めた。
・・・飛行機の離陸にはいろんなパターンがあるようである。風の向きや強さ、乗客の数つまり飛行機全体の重さ、滑走路の長さなど、あるいはパイロットのクセなどもあるのだろう、いろんな条件によって、ゆっくりと滑走し始めるものや、急速に加速するものなどさまざまである。三人の乗ったジェット機は、後者の部類か、体ががくっと後に押しつけられるような急激な加速であった。ぎしぎしと機体は音を立てて滑走していき、ふわっと空中に浮かんだと思うや、ぐんぐんと急上昇を続けた。
 白浜は隣にいる茅場の手をしっかりと握っていた。なおも強いGが体全体を押し、のけぞるようなかたちで、ぐんぐんと急上昇していった。<もう、いい。どうなってもいい>と観念したとたん、気持ちがすーっと楽になり、すべてを天に任せる気持ちになっていった。白浜の顔が変わってきたのを見た茅場は、ようやく自分も興奮状態から醒めたようだった。乗客がだれもいなければ、思いっきり白浜を抱き締めたかった。そして、たとえ東京に無事に戻れなくてもいいとさえ思った。ジェット機はなおも急上昇を続ける。
 
 ・・・エヤーポケットだ。すーっと機体が落ちた。きゃー、という乗客の声がけたたましく聞こえる。ただ落ちるだけでなく、激しく機体が揺れる。まさに機体がバラバラにならんとするような揺れ方である。ギャレー・モジュールの中で、がちゃん、がちゃんという何かがぶつかる音が更に乗客の恐怖をあおった。右に急旋回するような格好で落ちていった。乗客の中には失神する者も続出した。
 茅場は博士をちらっと見てみた。博士は目をつむってアームレストをしっかりと握っていた。今度は白浜を見た。目をつむり、恐怖で引きつった顔をこちらに向けて、しっかりと手を握っている。茅場も手を強く握り返した。失神はしてないようだ。手を握り返したからだ。
 何百メートルも急降下したに違いない。突然、がくんと降下がとまり、そのショックがGとなってシートへ体が押しつけられた。と同時にジェット機は再び急上昇を始めた。こういう異常事態の操縦というのは、いったいどういうものなのだろうか。パイロットの腕がまさに乗客全員の生命を左右するのだ。茅場は上海に引き返すかな、と思ったが、その気配はなかった。ぐんぐんと上昇を続けていく。月ロケットや宇宙飛行の有人ロケットの打ち上げの際に、豪音とともに閃光を放ちながら上昇を続けるロケットに向かってGO,GOと観客が興奮して右手のこぶしを大きくかざすことがあるが、茅場は、あれに似た心境であった。思わず心の中で行け、行け、と叫んでいた。
 ・・・一万メートル以上の高度に達しただろうか、機体は水平になった。あれほど揺れていた機体はぴたっと止まり、安定飛行になった。乗客の中には、すすり泣いている者、互いに励まし合っている者、上海に引き返してくれと怒鳴る者、いや何が何でも成田に戻してくれと叫ぶ者などで騒然とした。普通、飛行機の中というのは一般的に静かなものなのだが、この時ばかりは興奮した乗客で騒然となった。
 さすが、ここファーストクラスでは、ぎゃーぎゃー騒ぐ者はいなかったが、それでも全員が真っ青の顔をして、互いに無事でいることを確かめ合っていた。武田博士は、うっすらと目を開けた白浜に、
「こんな恐い思いをさせて、本当にすまない・・・」
 と、やっと自分自身が落ち着いたのを機会に、言葉をかけた。
「いえ、先生・・・別に先生が・・・」
 と、白浜は半分泣きベソをかいたような顔つきで応えた。
「強風と突風と、エヤーポケットが同時に飛行機を襲った感じでしたね。一瞬もうダメかと思いましたよ」
 と、茅場は、スチュワーデスの配ってくれたおしぼりで手を拭きながら博士に言った。白浜の柔らかな小さな手も汗でびっしょりであった。
 外を見ると、紺碧の抜けるような空があった。このまま無事に、と誰もが祈るひとときであった。
 
「失礼ですが、武田博士ではありませんか?」
 と、博士の横の通路際の紳士が博士に声をかけてきた。
「はい、武田ですが、どちらさま・・・ああ、農林大臣の佐伯さんでは?」
 搭乗した時から、どうも農林大臣ではないかな、とも思っていたが、こちらから話し掛けることもないし、また、その余裕もないまま、先程の物凄い飛行となったのである。
「ああ、やはり。先生の中国での活躍、日本でもテレビでよく見ましたよ。・・・この風は収まるものかね」
 と、農林大臣はつい安定な飛行を続けているので、ベルトを外そうとした。しかし、それを見たFC専属のスチュワーデスがすぐ寄ってきてベルトは外さないように注意した。
「ええ、一時的なものだと思います。これは地球規模の台風と思えばいいでしょう。どのくらい続くか判りませんが、収まります」
 と、博士も窮屈なベルトを、すこし緩めながら答えた。
「大きな新惑星になったということですが、地球にぶつかったりはしないだろうね」
「いやいや、そんな心配より、無事に成田に帰り着くのが先決ですよ」
 と、博士が笑いながら言った時だった。また機体が揺れ始めた。乱気流のようだ。今度の揺れ方は小さい。まるででこぼこ道を車が走っているように、がたがたと上下に振動する。白浜が体を小さくして怯えた。茅場は、この程度の振動は前にも経験した事があるので心配ないとは思ったが、こういう時、出発時のようなさまざまの悪条件が重なったら、それこそまた危ない目に合う。しかし今度は落ち着いて優しく白浜に声をかけた。
「大丈夫だよ、白浜君。ぼくがついているから」
「茅場さん、操縦してよ。こんなのいや」
 と、白浜は久しぶりの笑顔を見せて言った。
「ああ、そちらのお二人が・・・」
 と、側近の高官らしい、むしろ大臣より偉いような顔をした紳士が、武田博士の右側に座っている二人を覗き込むようにして言った。
「茅場君と白浜さんです。私の二の腕になって、今回の中国では活躍してくれました」
 と、博士が二人を紹介するように手でそれぞれを指しながら言った。二人は会釈をして応えたが、その紳士は何となく白浜をいやらしい目付きで、つまり俗っぽい言い方では、モノにしたいような目付きで興味深かそうに見たのが、茅場にも白浜にも感じられ、不快な印象を受けた。二人は会釈をしただけで、何も言葉は交わさず、すぐ正面を向いて、ビデオプロジェクターによるニュースを見始めた。
 ・・・博士と大臣はいろいろと世間話をしていたようだったが、機体の揺れも収まり、安定な飛行に移ると、いままでの疲れがどっと出てきたのか、茅場と白浜はいつのまにかぐっすりと寝込んでいた。
 
 CA503便は九州上空にまできていた。茅場と白浜は一時間ほど寝たことになる。同時に目が覚めたのは、機体がまた大きく揺れ始めたからである。エヤーポケットの落ち込むような降下でもなく、乱気流による上下振動でもなく、気持ちの悪い左右に揺れるローリングだった。小さな船に乗って風があると、こういう揺れを経験する。
「風だ、かなり強い風のようだ。いわゆる横なぐりの風だろう。これでは正規のルートを飛べないな。コースをいろいろ変更しながら飛ぶしかない」
 と、博士は、二人が目を覚ましたのを見て、そうつぶやいた。揺れは振幅が大きかったり、小さくなったりしていた。白浜は気持ちが悪くなり、吐きそうになったが、ぐっと我慢していた。茅場も同様だった。内臓が熱くなり、えぐられているような嗚咽感がある。意外と平気なのは博士だけで、大臣ら一行も青い顔をして必死に堪えている様子だった。 またもや左右に大きくローリングした。今度は我慢できなかった。白浜はとっさに備え付けのビニール袋を取出し、嘔吐した。傍にいる茅場に対して恥ずかしかった。しかし今はそんな事を考えていられなかった。二度、三度嘔吐を続けた。苦しかった。茅場も嘔吐寸前であったが、二人してここでやったのでは、格好がつかない。必死でこらえた。白浜を慰めるどころではなかった。
 その時機内アナウンスがあった。
「非常に強い風のため、飛行機の揺れが激しくなる模様です。そのためいったん福岡空港に着陸します。お急ぎのお客さまにはたいへんご迷惑をおかけしますが、なにとぞ安全運航のためご了承下さい」
 茅場と白浜は喜んだ。もう一刻も早く飛行機から降りたかった。あとはローカル線でも新幹線でも何でもいい。列車でとぼとぼ帰りたい、と二人とも全く同じ事が頭の中で渦を巻いた。
「もうちょっとだ。がんばってくれ」
 と、博士は二人がもう限界に達していることをみて、励ました。揺れが激しいため、スチュワーデスに口をすすぐために水をもってきてくれとか、薬を持ってきてくれと言える状態ではなかった。もう二人の精神力にかけるしかない。
 飛行機はコースをぐーっと福岡空港の方向に変えたようだった。ところが十分ほどフライトして急に進路がまた変わった。今度は機長自らのアナウンスである。
「福岡空港は現在、風の向きと滑走路の関係が最悪の状態にあるとの連絡を受けました。したがって風の向きによってコースを変えながら成田へ直行します」
 何ということだ。ほっとしたのも束の間、またしても二人は、いや周りを見てみると殆どの人がぐったりとして、やっと息をしているという情けない状態であった。博士は<こんな強風の中を飛行機を飛ばすなんて無茶だ、自殺行為だ>、などと勝手な事を考えたりした。あれほど日本に帰りたい、飛んで欲しいと願ったのに、今はそういう気持ちにさえなっていた。
「もう瀬戸内海の上空になっている。もう少しだ。我慢してくれ」
 と、博士は茅場と白浜を激励した。二人は
「大丈夫です。頑張ります」
と、少しも大丈夫でないのに、大げさに笑ってみせた。
 
 離陸直後の心配は墜落したり、海の上への不時着などであったが、今やそういう心配よりも、体の不調、苦しさの方が支配していた。左右の揺ればかりでなく、上下へ急速にエレベーターで昇り降りしているような感じや、機体がぎしぎしと鳴る振動など、じつに生まれて初めての経験である。考えてみると、飛行機は頑丈に出来ているものだ。ビルをこれだけ振動させたら、ひとたまりもないだろう。電車だってそうだ。一辺で脱線してしまう。いや本当は飛行機というのは “頑丈に” にできているのではない。柔軟な構造をしている。翼は常に上下にゆさゆさと動いているし、方向蛇もゆらゆらと動いている。これがもし強固な構造だと、あっという間に折れてしまう。最近の地震対策をしている高層ビルも同様である。地震の時、ユサユサと大きく揺れる経験をする。S波の波長をよく考えて共振しないような揺れ方をする。
 
 ・・・ぐったりした二人を乗せてCA503便は果敢に飛び続けた。三十分、四十分、いよいよ成田が間近になってきた。
「あと十分くらいで着陸体制に入ります。おタバコはご遠慮下さい。ベルトは固く絞めて下さい・・・」
 ビデオプロジェクターも消えた。禁煙のランプが点く。キーンというジェットエンジンの音が変わった。ごーっというフラップの風をきる独特の音が大きくなってきた。すーっと下降し始めた。気持ちが悪い。この時が一番こたえる。胃が逆さまになるような感じである。白浜はまた嘔吐した。しかし、もう胃の中からは何も出てこない。息が出来ないほど苦しい。下降するにしたがって機体の異常な揺れ、振動は激しくなった。かなりの強風の中を強行突破するつもりのようだ。<こんな状態で本当に着陸できるのか>、乗客全員がそう思ったに違いない。茅場はやっとの思いで、細く目を開けて外を見た。視界は良好のようだ。とにかく風だ。こういう場合の操縦は自動操縦なのか、いやとても自動操縦など出来る状態ではない、機長の腕だ、そんなことを考えたりしながら<頑張ってくれ>、心の中で叫んだ。
 幾度となく、上昇したり、下降したりを繰り返し、機体の安定化を試みたようだった。左右のローリングも止まった。
・・・すーっと機体が落ちて、ほんの数秒間機体はウソのように安定していた。と、その次の瞬間、どーん、ごーっと凄まじい車輪の着地の音と、エンジンの音がして、機体はがたがたと振動しながら滑走路を滑った。
「おー!」
 という歓声が機内に湧いた。無事に着陸したことを皆が素直に声に出したのだ。ごく普通の空の旅でも、飛んでいる時は結構静かなのに、着陸したとたん、ほっとしたように急にざわざわとするが、しかし、今の声々は違う。上海を飛び立った直後の、あの墜落寸前の恐怖や、その後のひどい揺れの中の三時間以上に及ぶ飛行は、誰も生きた心地がしなかったものである。喜びの歓声が出るのは当然であった。
 武田博士、茅場、白浜の三人も顔を見合わせて無事を喜んだ。白浜は目が落ち込んで、ぐったりとしてはいたが、何とか自力で立てる気力だけは残っていた。
 
 ボーディングブリッジについた飛行機は、まずFCの乗客から降ろす。博士と茅場は、白浜の荷物を持ち、両手を抱え、いたわりながらランプを渡った。
 上海から茅場と白浜は、東京それに鷲津の実家に電話をしたが、状況の説明だけで、何時に到着するか判らないと述べたにすぎなかったので、迎えに来ているかどうかは、全く判らなかった。到着したら電話をすることを約束しただけであった。
 三人は文字どおりよろよろとよろけながら、サテライトからターミナルビルへ、そして入国審査場、税関検査場と通過した。
 
 ・・・ロビーへ出て一瞬目を疑った。
「茅場さーん!」
 武田美枝子だ。武田夫人もいる。惑星研究室のメンバー全員、東出克彦、鷲津から白浜の両親も、それぞれが一斉にこちらに駈けて来るではないか。三人はどどっと囲まれた。全員が声を出そうとしても、喉につまって出なかった。・・・
「お母さん・・・」
 ワッと泣き崩れるように白浜は母親に抱きついた。上海から連絡を受けた両親は、すぐ東京経由で成田に出向き、無事を祈って待ち続けたのだった。武田美枝子、夫人、東出らも同様だった。
 武田美枝子も茅場の胸に、どんと泣きながらぶつかっていった。