商鞅之変法 商君列伝第八 史記巻六十六
@ 戦国時代、A衛のB公孫鞅(のちの商鞅)は、初めC魏宰相のD公叔座に仕え、其の才能を認められて魏王に推挙されたが、任用されることはなかった。失意の公孫鞅は、E秦の孝公が賢者を求めていることを耳にし、魏を去って西の秦に向かった。
語釈
ノ ル ニ リテ テ ユ
1 衛 公 孫 鞅 入 秦。因 F嬖 人 G景 監 以 見。
レ 二 一
クニ テス ヲ
説 以 H帝 道 ・I王 道。
シテ シ ト ル ニ ブ ニ
三 変 為 J覇 道、而 後 及 1強 国 之 術。
二 一 二 一
イニ ビ スル ヘント ヲ ル ノ センコトヲ ヲ ク
公 2大 悦 欲 3変 法、恐 天 下 譲 己。鞅 曰
レ レ 二 一レ
ハ シテ カラ ニ ル メヲ シト ニ シム ルヲ
「4民 1不 可 与 慮 始、而 可 与 楽 成。」
レ 二 一レ ニ 一レ
ニ ム ヲ メ ヲシテ シ ヲ シテ セ
2 卒 5定 令。2令 民 為 K什 伍 相 L収 司 連 座、
レ 下 二 一 上
ル ゲ ヲ ハ ス
不 告 姦 者、M腰 斬。
レ レ
グル ヲ ハ ル ヲ ジクス ヲ ス ヲ ハ ル ニ ジクス ヲ
告 姦 者、与 斬 敵 同 賞。匿 姦 者、与 降 敵 同 罰。
レ レ レ レ レ レ レ レ
ル ハ テ ヲ ク ヲ
有 軍 功 者、各 各 以 率 愛 爵。
二 一 レ レ
ス ヲ ハ テ ヲ ル セ
為 6私 闘 者、各 各 以 軽 重 3被 刑。
二 一 二 一 レ
セテ ヲ トス ヲ
大 小 戮 力、本ー業 7耕 織。
レ 二 一
スコト ヲ キ ハ ス ノ ヲ
N致 粟 帛 多 者、O復 其 身。
二 一 二 一
トシ ヲ ビ リテ ナル ハ ゲテ テ ス ト
事 P末 利、及 怠 而 貧 者、Q挙 以 為 R収 孥。
二 一 二 一
ニ ハルモ ダ カ
3 令 既 具 4未 布。
レ
テテ ヲ ノ ノ ニ リ ヲ
立 三 S丈 之 木 於 国 都 市 南 門 募 民、
二 一 一 レ
ラバ ク ス ニ ヘント ヲ シミ ヲ シ ヘテ スモノ
有 能 徒 北 門 者、予 十 金。民 怪 之、5莫 敢 徒。
下 二 一 上 二 一 レ 二 一
タ ク ク ス ニハ ヘント ヲ
復 曰「能 徒 者 予 五 十 金。」
二 一
リ ノ スモノ ヲ チ フ ヲ チ ス ヲ
有 一 人 徒 之。輒 予 五 十 金。乃 下 令。
二 一 一レ 二 一 レ
ス ヲ ク
21太 子 犯 法。鞅 曰、
レ
ルハ ハ リ セバナリ ヲ
「法 之 不 行、自 上 犯 之。
レ レ レ
ノ ハ ト カラ ス ヲ
8君 嗣 不 可 施 刑。」
レ レ レ
シ ノ ヲ ス ノ ヲ
刑 其 22傳 23公 子 虔、24黥 其 師 25公 孫 買。
二 一 二 一
ク ニ
9秦 人 皆 趨 令。
レ
クコト ヲ ニ ハ チタルヲ に シ
4 行 之 十 年。道 不 拾 遺、山 6無 盗 賊。
レ レ レ 二 一
シ リ ムモ ニ エ ニ
10家 給 人 足、民 勇 於 公 戦 怯 於 私 闘、
二 一
イニ マル メ フ ト ナラ タリテ フ ナリト
郷 邑 大 治。初 言 令 不 便 者、来 言 令 便。
二 一レ ニ 一
ク ス ヲ ト ク ス ヲ 二
鞅 曰、「皆11乱 法 之 民 也。」尽 遷 之 辺。
レ レ レ
シ ヘテ スルモノ
民 莫 敢 議。
二 一
シテ ニ ジクシ ヲ スル ハ
5 令 民 父 子 兄 弟 同 室 26内 息 者、
レ レ
シ ト シ ヲ キ ヲ メテ ル ノ ヲ
為 禁、廃 27井 田、28開 阡 陌 更 為 賦 税 法。
レ 二 一 二 一 二 一
ナリ ジ ヲ ニ シテ ク ト
秦 人 富 強。封 鞅 29商 ・於 十五 邑、号 曰 商 君。
二 一
ズ ツ
6 孝 公 薧。30恵 文 王 立。公 子 虔 之 徒、
グ スト セント シ マラント ニ ク
12告 鞅 欲 反。鞅 出 亡、止 31客 舎。舎 人 曰、
二 一レ 二 一
スル ノ キヲ ハ スト ヲ
「商 君 之 法、舎 人 無 験 者 坐 之。」
二 一レ レ
ジテ ク ル ヲ ニ ル ニ ト
鞅 嘆 曰、「13為 法 之 弊、一 至 此 7哉。」
レ レ
リテ ク ニ シテ ケ ル ヲ ニ シテ テ フ
去 之 魏。魏 不 愛、内 之 秦。秦 人 32車 裂 以 33徇。
レ レ 二 一
(注)@戦国時代 BC403〜BC221年。A衛 春秋戦国時代に、今の河北・河南の両省一帯ヲ慮鞅有した国。都は朝歌。B公孫鞅 ?〜BC338年。姓は公孫。名は鞅。秦の孝公に仕え、法律や制度を改め、刑罰を厳しくした。C魏 戦国時代に、今の山西省部・河南省北部を領有した国。大梁(今の河南省開封市)に遷都したので、梁とも呼ばれた。D公叔座 ?〜BC361年。?魏の恵王の宰相。E秦の孝公 BC361〜BC338年在位。西・甘粛・西川の三省にまたがる地を領有した国。都は咸陽。
1 F嬖人 お気に入りの臣下。G景監 生没年未祥。秦の孝公に仕えた宦官。H帝道 五帝の政道。堯・舜などの行った徳治政治。I王道 三王の政道。夏の兎王・殷の湯王、周の文王武王の行った徳治政治。J覇道 五覇の政道。斉の桓公や晋の文公などが行った武力によって天下を治める政治。
2 K什伍 五戸または十戸を一つの単位とする隣組の制度。L収司 罪を暴く。M腰斬 胴切りの刑。N致粟帛 穀物や絹織物を国家に収める。O復其身 賦役を免除する。P末利 商業。Q挙 財産を没収する。R収孥 妻子を捕らえて奴隷にする。
3 S丈 長さの単位。一丈は約2、5メートル。21太子 天子および諸侯の長男。ここは後の恵文王のこと。
22傳 養育係。23公子虔 生没年未祥。24黥 額に入れ墨をする刑。25公孫買 生没年未祥。
5 26内息 同居する。27井田 周代の土地制度。一里四方の田地を「井」字形に九等分して八家に一区画ずつを与え、中央の一区画は公田として共同で耕作し、その収穫を租税として収めさせた制度。28開阡陌 新たな耕作地を切り開く。「阡陌」はあぜ道。29商・於十五邑 商・於の十五の町。「商」は今の西省丹鳳県。「於」は今の河南省内郷県。
6 30恵文王 BC337〜BC331年。31客舎 宿屋。32験 通行手形32車裂 車さきの刑。33徇 人々にあまねく告げ知らせる。
一 書き下せ。
二 口語訳。
1 衛の公孫鞅が秦にやってきた。お気に入りの臣下景監の手引きで於目通りした。以見。
帝道・王道を説いた。三度変えて覇道を説き、それから富国強兵のための政策に言及した。公は大いに喜び法令を変えようと思ったが、天下の人々が自分をとやかく言うことを心配した。商鞅は言うことに、「民衆とは 事の初めを一緒にすることはできないが、一緒に成功を楽しむことはできる。」と。
2 とうとう法令を改定した。民衆に什伍を作らせ、互いに監視して罪を暴かせ、連座させ、人の悪事を役人に告発しない者は腰斬りの刑に処した。人の悪事を役人に告発した者には、敵を切った者と賞を同じくした。人の悪事を隠す者は的に降伏した者と罰を同じくした。いくさの手がらの程度に応じて爵位を賜る。個人同士の争いを起こした者にはその理由の軽重によって罰せられる。大人と子供は力を合わせ、田畑を耕すことを本業とする。穀物や絹織物を国家に納めうことが多い者は、その者の賦役を免除した。商業に従事し、なまけて貧しい者は、財産を没収し妻子を奴隷にする。
3 法令は既に出来上がったが、まだ公布しなかった。三丈の木を国郡の市の何門に立てて民を募って北門に移すことできた者に、は十金を与えようと言った。民は不審に思い、思い切って移そうとする者はいなかった。再び言うことに、「移すことができる者には五十金を与えよう。」と。すると一人これを移す者がいた。たやすく五十金を与えた。そこで法令を公布した。
太子が法令アを犯した。商鞅が言うことに、「法令が行われないのは、上の人がこれを犯すからだ。君子のあとつぎを処刑することはできない。」と。そこで、養育係の公子虔を罰し、その師の公孫買を額に入れ墨する刑にした。秦の人々はみな法令に従った。
4 法令を施行して十年。道におちている物を拾って持部の物にする者もなく、山には盗賊がいなくなる。人々は満ちたり満足し、民は国家の戦いには勇んで闘うが故人同士の争いを恐れ、村里は大変よく治まった。最初法令が不便だと言った者も、やってきて法令は便利だと言う。商鞅が言うことに、
「皆法令を乱す者だ。」と。ことごとくこれらの者たちを国境地帯に追いやった。民は思い切ってとやかく言うものはなかった。
5 民に命令を下して親子兄弟が一つの家に同居することを禁じ、周代の土地制度を廃止し、新たな耕作地を切り開き改めて賦税の法を制定した。真の人々は富み兵は強くなった。商鞅に商・於の十五の村を領地として与え、商君と呼ばれるようになった。
6 孝公がなくなった。恵文王が即位した。公子虔の仲間が商鞅が謀反を起こそうとしていると告発した。商鞅は逃げだし、宿屋に泊ろうとした。宿屋の人が言うことに、「商君の法令では旅人で通行手形をも他にあ者をとめると連座される。」と。商鞅は言うことに、「法令を作った弊害がこれまでになるとは。」と。去って魏に行った。魏では受け入れずに、秦に引き入れた。秦の人々はくるまざきの刑にして、人々にあまねく告げ知らせた。
三 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 商鞅之変法 2 因 3 覇道 4 与 5 卒 6 腰斬 7 粟帛 8 収孥
9 輒 10 趨 11 怯 12 郷邑 13 井田 14 阡陌 15 徇
四 次の語の意味を調べよ。
1 議
2 姦
3 匿
4 軍功
5 軽重
6 私闘
7 耕織
8 布
9 出亡
10 嗣
11 弊
12 内
五 二重線部1〜7の文法事項に答えよ。
1 不
2 令
3 被
4 未
5 莫
6 無
7 哉
六 傍線部1〜13の問いに答えよ。
1 具体的にどういう政策か。
2 孝公が大いに喜んだのは商鞅のどの説か。
3 孝公が変法を躊躇したのはなぜか。
4 (1)分かりやすく説明せよ。
(2)主旨を記せ。
5 この「令」ではどういう職業を認めていないか。
6 (1)意味を記せ。
(2)対義的に用いられている言葉を抜き出せ。
7 対義的に用いられている言葉を抜き出せ。
8 なぜ君の嗣には「不可施刑」なのか。
9 理由を説明せよ。
10 分かりやすく言い換えよ。また、修辞法を記せ。
11 (1)どういう点が「乱法」なのか。
(2)法を犯した者はどうしょぶんされたか。
12 (1)こういう行為を何と言うか。
(2)また、なぜそういう害にあったか。
13(1)商鞅は何の罪によりどう罰せられたか。
(2)こう嘆いた理由を記せ。
(3)この後、商鞅はどうなったか。
主題 変法を行い秦を富強にした商鞅の栄光と没落 |
1 2 3 4 5 6 |
節 |
説く → 帝道 王道 覇道―富国強兵策 変法 A隣組制度=監視と連携 B軍功による爵位の授与 C農業奨励 D怠け者を奴隷に 公布せず 木を移した者に金を与える 罰す → 施行して十年 結果 充足。強兵。治国。 E親子兄弟の同居禁止 F賦税の法 結果 富強 罰せられる 「自分が作った法で自分が処罰される。」 |
商鞅 |
|
孝公(秦王) 太子=違反 養育係とその師 国民=法令に従う 孝公=没 太子(恵文王)=即位 ←養育係の仲間=讒言 |
その他 |
解答
一
1 衛の公孫鞅秦に入る。。嬖人景監に因りて以て見ゆ。 説くに帝道・王道を以てす。三変して為し、
覇道と為し、而る後に強国の術に及ぶ。 公大いに悦び法を変へんと欲するも、天下己を譲せんことを於そる。鞅曰く「「民与に始めを慮るべからずして、、与に楽しむべし。」と。
2 卒に令を定む。民をして什伍と為し、相収司して連座せしめ、姦を告げざる者は、腰斬す。姦を告ぐる者は敵を斬ると賞を同じくす。姦を匿す者は、敵に降ると罰を同じくす。軍功有る者は各各率を以て爵を愛く。私闘を為す者は、各各軽重を以て刑せらる。大小力を戮せて、耕織を本業とす。粟帛を致すこと多き者はその身を復す。末利を事とし、及び怠りて貧なる者は、挙げて以て収孥と為す。
3 令既に具はるるも未だ布かず。三丈の木を国都の市の南門に立てて民を募り、能く北門に移す者あらば、十金を予へん。」と。民之を怪しみ、敢へて徒す者莫し。復た曰く「能く徒す者には五十金を予へん。」と。一人の之を徒す者有り。輒ち予五十を予ふ。及ち令を下す。
太子法を犯す。鞅曰く、
「法の行はれざるは、より之を犯せばなり。君の嗣は刑を施すべからず。」と。
其の傳公子虔を刑し、其の師公孫買を黥す。秦人皆令に趨く。
4 之を行ふこと十年。道に遺ちたるを拾はず。山に盗賊無し、家給し人足り、民公戦に勇も、私闘に怯え、郷邑に大いに治まる。
初め令便ならずと言ふ者、来たりて令便なりと言ふ。鞅曰く
「皆法を乱すの民なり。」尽く之を辺に遷す。。民莫敢へて議するものなし。。
5 民に令して、父子兄弟の室を同じくし内息する者は禁と為し、井田を廃し、阡陌を開き、更ためて
賦税の法を為る。。秦人富強なり。鞅を商・於の十五邑に封じ、号して商君と言う。。
6 孝公薧ず。恵文王立つ。公子虔の徒、鞅反せんと欲すと告ぐ。鞅出亡し、客舎に止まらんと欲す。舎人曰く、
「商君の法、人の験なきを舎する者は之に坐す。」と。鞅嘆じて曰く「法を為るの弊、一に此に至るか。」と。去りて魏に行く。。魏愛けずsて、、秦に内る。秦人車裂して以て 徇
三 1 しょうおうのへんぽう 2 よ 3 はどう 4 とも 5 つい 6 ようざん
7 ぞくはく 8 しゅうど 9 すなわ 10 おもむ 11 おび 12 きょうゆう
13 せいでん 14 せんぱく 15 とな
四 1 とやかくいう。 2 わるい。姦通 3 隠す。隠匿 匿名 4 いくさのてがら
5 軽いことと重いこと。 6 個人の戦い。 7 田畑を耕すことと機を織ること。
8 しく。公布 発布 9 逃げる。 10 跡継ぎ。嗣子 11 敗れる。弊害
12 (人などを内部へ)引き入れる。
五 1 否定 ず ない 2 使役 令AB AをしてBせしむ AにBさせる
3 受身 る れる 4 再読文字 未だ〜ず まだ〜ない 5 否定 ない ない
6 否定 なし ない 7 感嘆 かな なあ
六 1 富国強兵のための政策。2 覇道 3 変法によって非難が高まるのを恐れたから。
4(1)民衆とは物事の初めと一緒にすることはできないが、一緒に感動を楽しむことはできる。
(2)為政者は民の声を聞く必要はない。
5 商業で金を儲けること。
6(1)個人同士の争い。(2)公戦。 7 末利
8 君主は法令から超越した存在で、時代の君主はそれに準ずる立場であるから。
9 為政者の側も法令を守る姿勢をみせたから。
10 家人給足。 互文。
11 (1)法令を守らず、善し悪しを批評し、民衆を惑わす点。
(2)辺境にやられた。
12 (1)讒言。 (2)主君が変わったから。
13(1)通行手形を持たない者は連座される。
(2)自分が作った法で自分が窮地に陥るという結果になったから。
(3)魏に行き断られ、魏は秦に引き入れた。秦で車ざきの刑に処せられた。