何前倨而後恭也 語釈 巻一春秋戦国
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@ 蘇秦は、戦国時代の諸侯たちに、自己の主義・主張を説いて回った遊説漢の一人である。当時は、西方に位置する秦が強大になり、他の諸国では、秦に対してどのような立場をとるかが、死活問題であった。そのような中で、斉・楚・韓・魏。趙の六つの強国が同盟を結んで秦に対抗しようとするA合従策と、秦が六国それぞれと同盟を結び天下を支配下に収めようというB連衡策が流行しており、どのように諸侯を説得し、自己の栄達を求めるかが遊説家の目的であった。
ノ
蘇 秦 者、C東 周 D洛 陽 人 也。
ノカタ ヘ ニ ニ フ ヲ ニ
東 事 師 於 斉、而 習 之 於 鬼 谷 先 生。
二 一
スルコト イニ シミテ ル
出 游 数 歳、1大 困 而 帰。
カニ ヒテ ヲ ク
兄 弟 嫂 妹 妻 妾、窃 皆 2笑 之 曰、
レ
ハ メ ヲ メ ヲ ヒテ ヲ テ ス メト
「周 人 之 俗、治 産 業、力 工 商、逐 F什 二 以 為 務。
二 一 二 一 二 一 レ
テテ ヲ トス ヲ シムモ タ ナラ ト
今 3子 釈 4本 而 事 口 舌。困 1不 亦 宜 乎。」
レ ニ 一 二 一
キテ ヲ ヂ ラ ミ チ ヂテ ヲ デ
蘇 秦 聞 之 而 慙、自 傷、及 閉 室 不 出。
レ レ レ
ダシテ ノ ヲ く テ ヲ ク
出 其 書 偏 観 5之 曰、
二 一 レ
ニ シテ ヲ ケ ヲ
「6夫 子 業 已 屈 首 受 書、
レ レ
モ レバ ハ テ ル ヲ モ シト ゾ テ サント
而 不 能 以 取 尊 栄、2G雖 多 亦 3奚 以 為。」
レ 三 二 一 レ
レ 二 ヲ シテ ム ヲ
於 是 得 H周 書 陰 符、伏 而 読 之。
レ 二 一 レ
ニシテ テ ダシテ ヲ ク
I期 年、以 J出 揣 摩 曰、
二 一
レ シト テ ク ヲ
「7此 可 以 説 当 世 之 君 矣。」
三 二 一
(注)@蘇秦 ?〜BC317年。字は季子。A合従 「縦を合わす」の意で、秦に対抗するために六国が南北に結んだ同盟。蘇秦。B連衡 「衡に連ねる」」意で、秦と六国のそれぞれとが東西に結んだ同盟。張儀。C東周 こおこでは時代を指すのではなく、西都、王城に対して言う。
D洛陽 今の河南省洛陽市。E鬼谷先生 戦国時代の人。鬼谷(今の河南省登封県の東南)に住んでいた王のこと。F什二 十分の二。二割。G雖多 いくら書物を読んだとしても。H周書陰符 周の大公望呂尚のあらわしたという兵法書のこと。I期年 満一年。一周年。J出揣摩 揣摩とは、君主の心中を推しはかり、君主の考えを自分の意のままに操る術。
一 書き下せ。
二 口語訳。
蘇秦は、東周洛陽の人だ。東のかた師に事へ斉に、之を鬼谷先生に習ふ。出遊すること数年、大いに困窮して帰郷する。兄弟嫂妹妻妾、窃こっそり割って言う、「周人のならわしに、産業を収め、工商に力め、二割に利益を求める。今あなたは本を捨てて口先だけを仕事としている。困るのも当然だ。」と。
蘇秦は之を聞きて慙ぢ、自らを傷め、そして室を閉ぢて出ない。其の書を出して一通り読んだ。之について、いうことに、「一体立派な人は首を曲げ書を読んでも栄達が得られなければ、多いと言ってもなにかをなしとげることが出来ようか。こういうわけで、周書陰符を手に入れて、臥せってこれを読むのだ。まる一年して術を編み出し、いうことに、「これで君を納得させられるだろう。
三 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 蘇秦 2 洛陽 3 事 4 出遊 5 嫂妹妻妾 6 窃
四 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 出斿
2 口舌
3 尊栄
4 伏
五 二重線部1〜3の文法問題に答えよ。
1 不 亦〜乎
2 雖
3 奚
3尊敬
4 伏
六 傍線部1〜7の問いに答えよ。
1 理由を記せ。
2 どういう笑いか。
3 誰を指すか。
4 指示内容を抜き出せ。
5 指示内容を抜き出せ。
6 これを要約せよ。
7 蘇秦の心理はどういうものか。
解答
一 蘇秦は東周洛陽の人なり。東のかた師に斉い事へ、之を鬼谷先生に習ふ。出游すること数歳大いに困し
み帰る。兄弟嫂妹妻妾、窃かに皆笑ひて曰く、「周人の俗は、産業を治め工商を力め、什の二を逐ひて
以て務と為す。今子本を釈てて口舌を事とす。困しむも亦宜ならずや。」と。
蘇秦之を聞きて慙ぢ自ら傷み、及ち室を閉じて出ず。其の署を出だして遍く之を観て曰く「夫れ士業已
に首を屈して書を受け、而以て尊栄を取る能はざれば、多しと雖も亦奚ぞ以て為さんと。」と。是に於
て周書陰符を得て、伏して之を読む。期年にして、以て揣摩を出だして曰く、「此れ以て当世の君を説くべしと。」と。
三 1 そしん。2 らくよう。 3 つか。 4 しゅつゆう。 5 そうまいさいしょう。
6 ひそ。
四 1 外出して遊ぶ。遊説。2 口先。 3 栄達。 4ふせる。伏す。
五 1 詠嘆 また〜ずや なんと〜ではないか
2 仮定 いえども たとえ〜であっても 3 反語 なんぞ どうして〜か(いや〜ない)
六 1 王に自分の意見が認められなかったから。 2 ばかにした笑い。 3 蘇秦
4 「治産業、力工商、逐什二 」5 「其署」
6 いくら学問しても出世に役だたなければ意味がない。
7 喜びと自信(今の世の君主たちを説き臥すことが出来る)
2
その後、蘇秦はまず秦の孝公を説いたが失敗に終わり、燕に行き、文侯に合従策を説き、その援助によって趙の粛侯を説得した。さらに、韓・魏・斉・楚の各諸侯を「寧ろ鶏口と為るとも牛後と為る勿れ。」と説いて、合従策を成立させた。そして趙王の報告に戻った。
チ キテ ギル ニ
及 行 過 洛 陽。車 騎 @輜 重、
二 一
シテ ヒヲ ルコト ヲ ダ ク ス ニ
諸 侯 各 々 発 使 送 之 甚 衆 擬 於 王 者。
レ レ 二 一
メテ ヲ ヘテ ギ
蘇 秦 之 1昆 弟 妻 嫂、A側 目 1不 敢 仰 視、
レ 二 一
シ シテ ル ヲ
俯 伏 侍 B取 食。
レ
ヒテ ヒテ ノ ニ ク ゾ ニハ リテ ニハ シキ ト
蘇 秦 笑 謂 其 嫂 曰、「2何 2前 倨 而 後 恭 也」。
二 一
シ テ ヲ ヒテ ヲ シテ ク
嫂 C委 蜘 晡 服 以 面 掩 地 而 謝 曰、
レ レ
レバ ノ ク キヲ ト
「3見 季 子 位 高 金 多 也」。
ニ 一
トシテ ジテ ク レ ナルニ
蘇 秦 4喟 然 歎 曰、「5此 一 人 之 身、
ンsレバ チ モ シ ヲ ナレバ チ ス ヲ
富 貴 則 親 戚 畏―懼 之、貧 賎 則 軽―易 之。
二 一 二 一
ンヤ ヲ ツ メバ ヲシテ ラ ノ
3況 衆 人 乎。且 46使 我 有 洛 陽 D負 郭 田E 二 頃、
二 一 三 二 一
ニ ク ビン ノ ヲ ト
5豈 能 佩 F六 国 相 印 乎。」
二 一
イテ ニ ジ ヲ テ フ ニ
於 是、散 千 金、以 賜 宗 族 朋 友。
レ 二 一 二 一
(注)@輜重 旅人の荷物。馬車にそえた蘇の荷物。A側目 目をそらす。B取食 食事の世話をする。C委
腹になって進む。D負郭田 町の城郭の近くの肥沃な土地。E二頃 一頃は百畝。 F六国相印 「六国」は合従に加わった国。「相印」はそれぞれの国のしるし。
一 書き下せ。
二 口語訳。
(楚王に遊説しに行こうとして)洛陽を通り過ぎたときのことである。彼の行列の車や馬は、王者のようであった。兄弟や妻、兄嫁などは恐れて彼から目をそらし、思い切って正視することができず、ただ平身低頭で付き従い、食事をすすめる有り様であった。
蘇秦は笑って言った、
「どうして前は威張っていたのに、今、後になってそのようにうやうやしいのか。」嫂は腹ばいになって進み、面を地につけて謝っていった、「あなたの身分が高く、金持ちになっているのを見たからです。」蘇秦はため息をついて言った、
「私は一人の人間であるのに、裕福で身分が高ければ、親戚も恐れてびくびくし、
貧しく身分も低ければ、軽んじ侮る。まして一般の民衆はなおさらだ。
もし、私に洛陽郊外の田が二頃あれば、六国の宰相の印を腰につけることができただろうか。」と。
こうして、莫大な金をばらまいて、親族や友人に与えた。
三 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 及 2 車騎 3 輜重 4 甚 5 側 目 6 仰ぎ 7 俯伏
8 俯伏 9 倨 10 恭しき 10 委蜘晡服 11 掩 12 畏懼 13 貧賤
14 況や 15且 16 負郭 17 二頃 18 豈 19 佩 20 朋友
四 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 過
2 車騎
3 昆弟
4 俯伏
5 侍
6 倨
7 恭
8 季子
9 富貴
10 畏懼
11 貧賤
12 佩
13 宗族
14 散
15 朋友
五 二重線部1〜の文法問題に答えよ。
1 不 敢
2 何 也
3 況 乎
4 使
5 豈 乎
六 傍線部1〜6の問いに答えよ。
1 心理はどういうものか。
2 具体的に何を指すか。それぞれ抜き出せ。
前 倨 後 恭
3 心理はどういうものか。
4 心理はどういうものか。
5 どういうことか。
6 心理はどういうものか。
1 蘇秦 遊説に失敗 帰宅 肉親=嘲笑
読書 揣摩の術
2 蘇秦 合従策 合従の長 肉親=へつらう
主題 肉親の恥ずかしさに屈することなく、奮起して成功する蘇秦
(参考) 鶏口牛後―たとえ小さなものであるとしてもそn頭になる方がよく、大きなもので
有るとしても其の下二なってはならない。
先従隗始―言い出した者から始める。
五十歩百歩―にたりよったり。
遠交近政―遠国と親しんで近国を攻め、近国が降伏すれば、こんどはだんだん遠国に攻め及んで
いく。
解答
一
及ち行きて洛陽に過ぎる。車騎輜重、諸侯各各使ひを王発して之を送ること甚だ衆く、王者に擬す。蘇秦の昆弟妻嫂、目を側めて敢て仰ぎ視ず。俯伏して侍して食を取る。蘇秦笑ひて其の嫂に謂ひて曰く、「何ぞ前には倨りて後には恭しきや。」と。嫂腹ばいになってかしこまって食事の世話をする。顔を地に伏せて謝って言う、曰はく、「季子の位高く金多きを見ればなり。」と。
蘇秦喟然として歎じて曰はく、
「此れ一人之身なり。富貴なれば則ち親戚も之を畏懼し、貧賎なれば則り之を軽易す。
況んや衆人をや。且つ我をして洛陽負郭の田二頃有らしめば豈に能く六国の相印を佩びんや。」と。 是に於いて、千金を散じ、以て宗族朋友に賜ふ。
三 1 すなわ 2 しゃき 3 しちょう 4 はなは 5 そば め 6 あお
7 いふく 8 おご 9 うやうや 10 いいほふく 11 おお 12 いく
13 ひんせん 14 いわ 15 か 16 ふかく 17 にけい 18 あ
19 お 20 ほうゆう
四 1 よぎる。 2 車と馬。 3 兄弟。 4 ひれふす。
5 目上の人のそばちかくにかしこまっていること。6 おごる。あなどる。
7 へりくだって従う。8 末の子。 9 家がとんでいて身分が高いこと。 10 恐れる。
11 貧乏で身分が低いこと。 12 腰につける。 13 一族。
14 分け与える。 15 友人。
五 1 強い否定 あえて〜ず 決して〜ない 2 疑問 何ぞ〜や どうして〜か
3 抑揚 況や〜をや まして〜はなおさらだ
4 使役 使AB AをしてBせしむ AにBさせる
5 反語 豈に〜や どうして〜か(いや〜ない)
六 1 富貴に対するあこがれとおそれ。
2 前―出遊数歳大困帰 倨―周人俗〜不亦宜乎
後―車騎〜於王者 恭―昆弟〜取食
3 尊厳を富貴に見る。
4 態度の変化が笑止に思われたがそれが人の恒と考えると情ない。
5 昔も今も変わらない蘇秦である。 6 安楽に甘える。
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