(1)高く心を悟りて
語釈
(1)
「高く心を悟りて、@俗に帰る1べし。」との教えなり。「常に風雅の誠を責め悟りて、今なす
ところ俳諧に帰るべし。」と言へるなり。
(2)
1常、風雅にゐる者は、2思ふ心の色A物となりて、B句姿定まるものなれば、C取り物自然に
してD子細なし。心の色うるはしからざれば、E外に言葉を3たくむ。これすなはち常に誠をつと
めざる心の俗なり。
(3)
誠をつとむるといふは、風雅に古人の心を探り、近くは師の心よく知る2べし。4その心を知ら
ざれば、たどるに5誠の道なし。6その心を知るは、師の詠草の跡を追ひ、よく見知りて、すなは
ちわが心の筋を押し直し、7ここに赴いてF自得するやうに責むることを、誠をつとむるとはいふ
3べし。
(注)@俗
日常卑近な世界。A物となりて 詩的な世界を成りたたせて。B句姿 句の表現。C取り物 素材となった対象。D子細なし あれこれひねったところがない。E外に 表現の面で。F自得する 自分で体得する。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 三冊子 2 服部土芳 3 風雅 4 俳諧
5 赴いて
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 風雅
2 俳諧
3 うるはし
4 たくむ
三 傍線部1〜7の問いに答えよ。
1
どういう意味か。
2 (1)同じ内容を述べている箇所を抜き出せ。
(2)「心の色」とはどういうことか。
3 反対の意味の語句を抜き出せ。
4・6 指示内容を記せ。
5 これと反対の意味の語句を抜き出せ。
7 指示内容を記せ。
四 二重線部1〜3の文法問題に答えよ。
1・2・3の「べし」の意味を記せ。
(4)
@師の思ふ筋にわが心を一つになさずして、A私意に師の道をよろこびて、その門を行くと心得顔
にして、私の道を行くことあり。門人よく1己を押し直すべきところなり。「2松のことは松に習
へ。竹のことは竹に習へ。」とB師の言葉のありしも、私意を離れよといふこと1なり。この習へ
といふところをC己がままにとりて、つひに習はざる2なり。
(5)
習へといふは、D物に入りて、Eその微のあらはれてF情感ずるや、句となるところなり。たと
へ物あらはに言ひ出でても、その物より自然に出づる情にあらざれば、G物と我H二つになりて、
その情誠に至らず。3私意のなすI作意なり。
(6)
ただ、師の心をに悟りて、心を高くなし、そのJ足もとに戻りて俳諧すべし。師の心をKわりな
く探れば、4その色香わが心のにほひとなりうつるなり。L詮議せざれば、5探るにまた私意あり。
詮議穿鑿責むる者は、しばらくも私意に離るる道あり。
(注)@師の思ふ筋 師が求める理想。A私意に 自己流な理解で。B師 ここでは松尾芭蕉。元禄期ころの俳人。蕉風俳諧を確立した。C己がままにとりて
自分が都合のいいように受け取って。D物に入りて 対象の中に入っていって。Eその微のあらはれて ものの本質が明らかになって。F情感ずる 感動がよびさまされる。G物と我 表現の対象と、対象を選びとった表現者。H二つになりて
離れ離れなものになって。I作為 わざとらしい趣向。J足もとに戻りて
根本に立ち返ってKわりなく探れば 全身を傾けて探り求めていると。L詮議せざれば 詳しく尋ね明らかにしないと。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 私意 2 出づる 3 作為 4 悟りて 5 詮議 6 詮索
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 色香
三 傍線部1〜5の問いに答えよ。
1 どういう意味か。
2 (1)この教えはどういう意味か。
(2)この教えを守らないとどのような不都合が生じるというか。抜き出せ。
3 どのような場合にそうなるか。
4 指示内容を記せ。
5
何を「探る」のか。
四 二重線部1、2の文法事項に答えよ。
1・2の「なり」の意味を記せ。
六 口語訳
(1)
「(俳諧においては)高邁な境地を身につけて、日常卑近な世界に遊ぶようにせよ。」とい(師の)教えである。「常日頃の生活において俳諧の誠を努力して求めて、今していることを俳句に転じるようにせよ。」 といったのだ。
(2)
いつも俳諧を心がけている者は、持ち続けてきた心の在り方が詩的な世界を成り立たせて句の表現が決まるものなので、素材となった対象は自然であれこれひねったところがない。心が背実でないと表現の面で言葉に技巧を凝らそうとする。これはつまり常に誠を求める努力をしない心の卑俗さなのだ。
(3)
誠に努めるというのは、俳諧に古人の心を探究し、近いところでは師の心をよく理解することが必要だ。その心を理解できないと捜し求めても誠を知る方法がない。其の心を理解するには、師の作品をよく調べ、よく理解して、そこで自分の心の方向を直し、ここにたどりついて自分で体得するように追求することを「誠をつとむ」とは言うのだろう。
(4)
師の思う筋に自分の心を一致させないで、自己流な理解で師の道を喜んで、其の門人であると得意顔で自分の道を行くことがある。門人は正しい方向に自分を向けるべきである。「松のことは松に習へ。竹のことは竹に習へ。」と師の言葉があったのも、私意を捨てよということだ。このならえというところを自分が都合のいいように受け取ってとうとう習わないのである。
(5)
習えというのは、対象の中に入っていって物の本質が明らかになって感動が呼び覚まされて句になるのだ。たとえ物をあらわに言い出しても、其の物から自然に出る情ではないので、対象と表現者が離れ離れのものになって其の情は誠に至らない。私意のなすわざとらしい作為だ。
(6)
ただ師の心を常に理解して、心を高く保ち、その根本に立ち返って俳諧をするべきだ。師の心を全身を傾けて探りもとめていると、師の優れた詩精神が自分のこころの詩精神になって映るのである。詳しく尋ね明らかにする者にはしばらくでも私意を離れるみちがある。
構成
(1) 芭蕉「高悟帰俗」
卑俗な物事→詩的世界
(2) 俳諧に遊ぶ人 情け=物 対象=自然
(3) 俳諧の誠 古人・師→自分を磨く
(4) 芭蕉「松のことは松に倣え」
自己流の理解を捨てる
(5) 対象に入る=本質→感動→句
対象 表現者→自己流の理解
(6) 師の心を探る
追求する人=自己流の理解を離れる
主題 俳諧修行における師の教え
(1)風雅の誠 解答
(1)〜(3)
一 1 さんぞうし 2 はっとりどほう 3 ふうが 4 はいかい 5 おもむ
二 1 蕉門に置いて俳諧。 2 俳句。 3 心が誠実である。 4 たくらむ。
三 1いつも俳諧を心がけている。 2 (1)物に入りて、その微のあらわれて情け感ずるや
(2)心の在り方。感情。3 「自然して子細なし」 4 古人や師の心。 5 「私の道」
7 師の心
四 1 助動べし止命 2 助動べし当 3 助動べし止推
(4〜(6)
一 1 しい 2 い 3 さくい 4 さと 5 せんぎ 6 せんさく
二 1 色と香り。
三 1 正しい方向に自分を向けること。
2 (1)先入観を捨てて虚心にものにせっするようにしろ。
(2)「物と我と二つになりて其の情誠にいたらず」
3 そのものから自然に誘発された感動ではない場合。
4 師の心の優れた詩的精神。 5 師の心。
四 1 助動なり止断 2 助動なり止断
文学史 俳論書 服部土芳編 三巻三冊
成立 1702〜1704年
内容 「しろさうし」「あかさうし」「わすれ木(黒さうし)」の三部構成 芭蕉の芸術観を 忠実に記録
作者 服部土芳 俳人 服部氏の養子になる。伊賀上野藩士 幼少より芭蕉と親しい
関係にある。伊賀俳檀の中心人物