(30)百五十五 世に從はむ人は
語釈
(1)
@世に從はむ人は、まづアA機嫌を知るべし。イBついで惡しき事は、人の耳にも逆ひ、
心にも違ひて、その事成らず、さやうの折節を心得べきなり。ただし、病をうけ、子うみ、
死ぬる事のみ、ウ機嫌をはからず。エついであしとて止む事なし。1C生・住・異・滅の
移り變るまことの大事は、たけき河の漲り流るゝが如し。しばしも滯らず、直ちに行ひゆ
くものなり。されば、D眞俗につけて、かならず果し遂げ1むとおもは2むことは、オ機
嫌をいふべからず。とかくの用意なく、足を踏みとゞむまじきなり。
(2)
春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の來るにはあらず。春はやがて夏の氣を催し、夏
より既に秋は通ひ、秋は則ち寒くなり、十月は小春の天氣、草も青くなり、梅もつぼみぬ。
木の葉の落つるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず、E下より萌しつはるに堪へずして落つ
るなり。迎ふる氣、下に設けたる故に、待ち取るカついで、甚だ早し。生・老・病・死の
移り來る事、又2これに過ぎたり。四季はなほ定まれるキついであり。死期はクついでを
待たず。3死は前よりしも來らず、Fかねて後に迫れり。人みな死ある事を知りて、待つ
事、しかも急ならざるに、覺えずして來る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の滿つるが
如し。
(注)@世に從はむ人 世間の風習に従って生きていこうとする人。A機嫌 時機。Bついで惡しき事 (物事が運ばれる)順序に適しなこと。C生・住・異・滅 仏教語。物が生じ、とどまり、変わっていき、なくなってしまうこと。D眞俗 仏道修行上のことと、俗世間を過ごすこと。Fかねて後に迫れり 死が突然やって来ることをこう言った。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 機嫌 2 真俗 3 催し 4 十月 5 死期 6 干潟 7 磯
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 さかひ
2 をりふし
3 はかる
4 やがて
5 催し
6 下
7 きざし
8 つはる
9 かねて
三 傍線部1〜3とア〜クの問いに答えよ。
1 これを一生涯にあてはめてなんと言っているか抜きだせ。
2 指示内容を記せ。
3 どういうことか、筆者の考え方に即して説明せよ。
ア〜クの異同を説明せよ。
四 二重傍線部1、2の文法問題に答えよ。
1・2の違いを説明せよ。
五 口語訳
(1)
世間に順応して生きていこうとする人は、まず、時機を知るべきだ。時機が悪いことは、人の耳にも逆らい心にも反してそのことは成就しない。 そういうおりを心得るべきだ。ただし、病気になり、子供を産み、死ぬことは時機を予想出来ない。時機が悪いと言って止むことはない。生まれ、とどまり、変わっていきなくなることの真実の大きな出来事は、勢い激しい川があふれ流れるようだ。しばらくもとどまらずひたすら流れ行くものだ。それゆえ、仏道修行上のことと、俗世間を過ごすこととで、必ず成し遂げようと思うことは、時機を言っているべきではない。あれこれとためらうことなく、足踏みとどめてはならない。
(2)
春が暮れて後、夏になり、夏が終わって、秋が来るのではない。春はそのまま夏の気配を誘い出し、夏から
すでに秋は兆し、秋にはすぐに寒くなり、十月は小春日和で、草も青くなり、埋めもつぼみを持つ。木の葉が落ちるのも、まず落ちてめぐむのではない。中から芽を出すのにたえられないで落ちるのだ。迎え取る生気を中に準備しているから、待っていて交替する順序ははなはだ早い。生・老・病・死が移ってくることは、また、四季の推移より早い。四季はまだ決まった順序がある。死ぬ時期は順序を待たない。死は前からばかりも来ない。あらかじめ後ろに迫っている。人は皆死があることを知って、待っていることが急でないものと思って居る内に、急に来る。沖の干潟が遙かに先であるのに、磯から潮が満ちてくるようなものだ。
構成
(1)
物事の時機 ―大切
ただし
病気・お産・死 ―時機の善し悪しをいっていられない
(2)
四季の推移木の葉の交替―次の準備
>
生・老・病・死の移行 ―早い
死 ―順序なし 例 潮
四季 ―順序有り
主題 無常観
(30)百五十五 世に從はむ人は 解答
一 1 きげん 2 しんぞく 3 もよお 4 かんなづき 5 しご 6 ひがた 7 いそ
二 1 さからう。 2 時。おり。 3 予想する。 4 そのまま。 5 うながす。 6 内部
7 間を出す。 8 芽ぐむ。 9 あらかじめ。
三 1 生・老・病・死。 2 四季の推移。
3 死というものは、いつどのようにやってくるか、わからず、しかも確実に迫ってきているものであること。
ア 時機 イ 時機 ウ 時機 エ 時機 オ 時機 カ 順序
キ 順序 ク 順序
四 1 助動む止意 2 助動む体婉