(21)一五八 うらやましげなるもの
語釈
(1)
うらやましげなるもの。經など習ふとて1いみじくたどたどしくて忘れがちにてかへすがえすおなじ所を讀む
に、法師は理、男も女も、@くるくるとやすらかに讀みたるこそ、2あれがやうに、いつの世にあらむと覺ゆ
れ。心地など煩ひて臥したるに、笑うち笑ひ、物などいひ、思ふ事なげにて歩みありく人見るこそ、いみじく
うらやましけれ。
(2)
3A稻荷に思ひおこしてまうでたるに、中の御社のほどのわりなう苦しきを、念じてのぼるに、4いささか苦
しげもなく、後れて來と見る者ども1の、唯ゆきにさきだちて詣づる、いと5めでたし。B二月午の日の曉に、
6いそぎしかど、坂のなからばかり歩みしかば、C巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、ま
ことにわびしくて、7など、 かからぬ人も世にあらんものを、何しに詣でつらんとまで涙も落ちてやすみ困
ずるに、、四十餘ばかりなる女2の、Dつぼ裝束などにはあらで、ただE引きはこえたるが、「まろは七たびま
うでし侍るぞ。三たびはまうで3ぬ。いま、四たびはことにもあらず。まだF未にG下向しぬべし。」と、と道
に逢ひたる人にうち言ひて、くだりゆきしこそ、8ただなる所にては目もとまるまじきに9これが身に只今な
ら4ばやとおぼえしか。
(3)
女児も、男児も、女も、法師も、よき子もちたる人、いみじううらやまし。髮いと長く麗しく、Hさがりば
などめでたき人、また、やんごとなき人の、人にかしづか5れ給ふも、いとうらやまし。手よく書き、歌よく
詠みて、物のをりにも10まづとり出でらるる人、うらやましい。
(4)
よき人の御前に、女房いと數多さぶらふに、心にくき所へ遣すべきI仰書などを、誰もJ鳥の跡のやうにはK
などかはあらん、されどL下などにあるをわざと召して、御硯おろしてかかせ給ふ、うらやまし。11さやう
の事は、M所のおとななどになりぬれば、實にNなにはわたりの遠から6ぬも、事に隨ひて書くを、12これ
は13さはあらで、O上達部のもと、又始めてまゐらんなど申さする人の女などには、心ことに、うへより始
めてつくろはせ給へるを、集りて、戲にねたがりいふめり。
(5)琴笛ならふにまたさこそは、まだしき程は、14これがやうにいつしかと覺ゆらめ。
(6)うち東宮の御乳母。うへの女房の、御かたがたいづこもおぼつかなからず参り通ふ。
(注)@くるくると すらすらと。A稻荷 京都市伏見区深草の伏見稲荷。B二月午の日の曉 二月の初午の日には稲荷神社の例祭があった。C巳の時 現在の午前十時過ぎ。Dつぼ裝束 当時の女の旅姿。E引きはこえたる 着物の裾をたくしあげている。F未 下剤の午後二時頃。G下向 境内から帰途につく。Hさがりば紙の垂れ下がった端。I仰書 高貴な人が女房に代筆させる手紙のこと。J鳥の跡 鳥の足跡のように言い知字ずつ区切って書いた下手な文字。Kなどかはあらん 「などかは書きてあらむ」の意。L下 宮中での女房の私室。局。M所のおとな その場所で年湖のある人。Nなにはわたりの遠からぬ 筆跡の未熟なことを言う。
O上達部 公卿。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 稲荷 2 御社 3 午の日 4 壺装束 5 未 6 女児 7 男児 8 硯 9 難波
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 うらやましげなり
2 わりなし
3 困ず
4 かしこまる
5 かしづく
6 ねたがる
三 登場人物を抜き出せ。また、傍線部1〜14の問いに答えよ。
1 (1)「いみじうたどたどし」とはどんな状態のことか。
(2)「忘れがちに」とはなにをか。
2 (1)「あれ」は何をさすか。
(2)どの文節に係るか。
(3)「おぼゆれ」はどんな心理か。
3 (1)誰が「思ひおこし」たのか。
(2)「稲荷に思ひおこ」すとはどうすることか。
4 (1)どの箇所に続くか。
(2)誰がか。
5 この叙述の中にどんな心理が隠されているか。
6 何を急いだのか。
7 (1)「など」はどの文節にかかるか。
(2)「かから」に指示内容を」記せ。
(3)「涙も落ちて」と「涙を落として」との文法上意味上の違いを記せ。
8 この意味はどういうものか。
9 指示内容を」記せ。
10 何がか。
11 具体的内容を記せ。 12 指示内容を」記せ。
13 指示内容を」記せ。 14 指示内容を」記せ。
四 二重傍線部1〜6文法問題に答えよ。
1、2 違いを説明せよ。
3,6 違いを説明せよ。
4 文法的に説明せよ。
5 品詞名 基本形 活用形 意味
五 口語訳
(1)
うらやましいもの。経などを習うと言って大層不慣れで滞りがちで忘れがちで何度も同じ所を読むのに、奉仕は当然として、男も女もすらすらとたやすく読むのは、あのようにいつになったらと思われる。
気分が悪く寝ているとき、笑ってなにか言い思うことなどないように歩き回る人はひどくうらやましい。
(2)
伏見稲荷に思い立って参詣した時に中の御社のあたりではなはだしく苦しいのを我慢して登るのに、少し見苦しそうでなく遅れてくると見ている者どもが先に立って参詣するのはとてもうらやましい。二月午の日の暁に朝参りをしようと、、暁に急いできたが、坂の中ほどまで歩んだが、」午前十時頃になってしまった。だんだn暑くさえなって、本当にやりきれなくて、どうしてこうでない良い日もあるだろうに、何をしに詣でたのだろうと、」自然と涙までもこぼれるくらい困っていたのに、四十あまり位の女で壷装束ではなくて、ただ着物の裾たくし、上げているとか、「私は七度もうでをしています。三度は詣でた。後四回はなんでもない。まだ午後二時ごろには帰途につけるだろう。」と、道であった人に言って、下って行ったのこそ普通の所ではとまるまいのに、この人の身に、すぐ成りたいと思った。
(3)
女子も男子も法師も、いい子供を持った人は、非常にうらやましい。髪が大層長く垂れ下がった端などの素晴らしい人。また、高い身分の人で、すべての人におそれ敬われ大切に世話されなさる人は、見るのもうらやましい。上手に字を書き歌を上手に読んで、ものの折りごとにもまずとりあげられるおがうらやましい。
(4)
立派な人のお前に女房が大勢お仕えするのに、奥ゆかしいところへやる手紙を代筆させるなども、誰も大層下手な字など書こうか(いやかかない)。しかし、局などにいる女房をわざわざ召して御硯を取りおろして書かせなさるのもうらやましい。そういうことは、その場所で年功のある人になったならばまことに筆跡の未熟な人も事柄次第で書くのだが。これhそうではなくて上達部などのもとやまた、初めて参上しようと人が言上させている人の娘などには、気を使って紙をはじめとして、なにかとつくろいなさるのを、集まって冗談にくやしがって何やかや言うようだ。
(5)
琴、笛を習うこともまた、同じように未熟の内はあの人のように早くなりたいなど思う。
(6)
内裏、東宮の御乳母。主上つきの女房で御方々の局どこへでも不審がられず参上するの。
構成
(1)うらやましいもの すらすらお経を読む人
気分悪き寝ているとき、屈託泣く歩き回る人
(2)稲荷詣での時 自分は苦しいのに先に立って参詣する人
七度詣でをし、後四度を苦にもしない人
(3)よい子を持っている人 髪が長く、髪の端などがすばらしい人
高貴な人でかしずかれている人
字、歌の上手な人
(4)手紙の代筆を下局にいる者を呼び出してなさること
初めて宮仕えに参上する娘をなにかととりつくろいなさるさま
(5)琴や笛の上手な人
(6)主上や東宮の御乳母
主上付きの女房でどこにも出入りできる者
主題 羨望するもの 特色 平凡で日常的である。
(21)一五八 うらやましげなるもの 解答
一 1 いなり 2 みやしろ 3 うまのひ 4 つぼしょうぞく 5 ひつじ 6 おんなご
7 おのこご 8 すずり 9 なにわ
二 1 うらやましい。 2 はなはだしい。 3 困る。悩む。 4おそれ敬う。 5 大切に世話する。
6 悔しがる。
三 1 (1)経文の覚え方が一向にはかどらないさま。 (2)経文。2 (1)安らかに読む法師や男、女。(2)皆のように滞りなく読経したい。(3)うらましい。
3 (1)清少納言 (2)稲荷に参詣することを思い立つ。
4 (1)ただ行きに先に立ちてまうづる (2)遅れて来と見る者ども 5 うらやましく思った。
6 朝参りしようと思って都からの出立を急いだ。 7 (1)詣でつらむとまで
(2)「暑くさへな」ること (3)「落ち」タ上二自 自然と涙までもこぼれるくらい 落とし」サ四他
涙を落しながら (泣きかたがはげしい) (4)後悔 8 普通の場所では目に留まるまいと思うと
9 「四十余ばあかりになる女の壷装束」姿のもののさま。
10 「手よく書き、歌よく詠」んだもの 11 手紙の代筆 12 「心にくき所へ遣わす仰せ書き」
13 「まことに難波わたり遠からぬもことに従ひて書く」こと
14 事や笛などに熟達したあのひとのように。
四 1 格主 2 格同 3 助動ぬ止完 6 助動ず体打 4 終助自己の願望 5 助動る用受