(1) 忍び扇の長歌
語釈
(1)
@屋かた住まひ気づまりも、A上野の花に忘れて、諸人の心魂浮き立つ春のありさま、B衣装幕の内には
小唄まじりにC女中姿、真の桜よりは、ながめ1ぞかし。
日も暮に近きをりふし、大名の奥様めきて、先に長刀D二つ挟み箱持たせて、E高蒔絵の乗り物続きて、
あとより1二十あまりの面影、F窓の簾の隙より2見えけるに、2その美しさ、G和国美人ぞろえのうち
にも見えず。うかうかと付いて回りける、この男、やうやうH中小姓ぐらゐのI風俗、女の好かぬ男なり。
3思ふに及ばぬ御方を恋ひそめ、後より行くJ中間に尋ねしに、「さる御大名の姫御様。」と、あらまし様
子を語り捨てて行く。
(注)@屋かた住まひ 武家屋敷での暮らし。A上野 東京都台東区上野公園の一帯。B衣装幕 小袖幕。花見の時など、来ている小袖を綱に通して幕の代わりにしたもの。「小袖」は袖の小さい普段着。C女中 婦人。 D二つ挟み箱 対の挟み箱(衣服・手回り品などを入れて従者に担がせる箱)。上級武家の女性の外出には、長刀やこれを一行の前方の従者に持たせた。E高蒔絵 金銀で描いた模様が地より高く盛りあがった装飾を施した、乗り物の籠。F窓の簾の隙 乗り物の窓に垂らした簾の隙間。G和国美人ぞろえ 日本の古今の美人を描いた絵本の一種。H中小姓 小姓組と徒歩衆との中間の位置にあった下級武士。I風俗 身なり。J中間 武家の召使の男。足軽の下、小者の上の地位。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 衣装 2 小唄 3 長刀 4 高蒔絵 5 中間
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 あらまし
2 をりふし
三 傍線部1〜3の問いに答えよ。
1 どう言うことを言ってるか。
2 対照的な表現を抜き出せ。
3 どんなことか。
四 二重傍線部1〜4の文法問題に答えよ。
1 文法的に説明せよ。
2 品詞名 基本形 活用形 活用の種類
(2)
さてはその所を知りて、@奥がたへのA御奉公をかせぎしに、よき伝ありて1相済み、一年ばかり勤め
しうちにあなたこなたのお供申せしをりふし、思ひ入れし御乗りものに目をつけけるに、2縁は不思議な
り、3あなたにもいつともなう4思しめし入られ、5B末末の女に仰せつけられ、C長屋の窓より黒骨の
扇長ア入れける。D若い者中間より見つけて、かのE半女と6心のあるように申すを、F沙汰なしに酒な
ど買うて口をふさぎ1ぬ。その夜御扇開き見るに、筆の歩み常人の文柄にもあらず、思しめすことどもG
長歌に遊ばしける。7よくよく読みて見るに、「8われを思はば、今宵のうちにつれて立ちのくべし。9男
に様変えてH切り戸を忍び、命を限り。」との御こと。このかたじけなさ、身を砕きてもと10思ひ定め、
その時を待つに、御知らせ違はす、11I小者姿にして、御出で遊ばしけるを、御門をまぎれ出で、はや
その夜に、J土器町といふところによしみの者あり。12これをしのび、少しのK裏店を借りて人知れず
住みけるに、L何の心もなく出でたまへば、13世を渡るべき種もなければ、M御守り脇差しをわづかの
質に置きて、月日を送らるうちに、Nまた悲しく、男は夜夜切り傷の膏薬を売れどもはかどらず、後には
14せんかたつきぬれば、手なれたまは2ぬすすぎ洗濯、見る目もいたはしく、15近所も不思議を立て
る。
(注)@奥がた ここでは大名屋敷で、夫人を中心として女性たちの住んでいた奥の方。A御奉公をかせぎににごた悲しく ご奉公を願ったところ。B末末の女 「お末」と呼ばれる雑用役。大名に奉公する女中の中で、最も身分が低い。C長屋 大名の江戸屋敷では、中級以下の侍が長屋に居住した。D若い者中間より見つけて 若い中間たちにそれを見つけられて。E半女 身分の低い女中。「末々の女」をさす。F沙汰なしに 噂を立てないように、の意。G長歌 「短歌」に対する「長歌」の意。H切り戸を忍び 切り戸(くぐり戸)をこっそり抜け出し。 I小者 武家の身分の低い奉公人。J土器町 東京都港区麻布飯倉待ちあたり。K裏店 表通りの家々の裏側に立てられた小家・長屋などを言う。L何の心もなく 何の心準備もなく。Nまた悲しく またもや暮らしにこまり。この「かんし」は貧乏。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 奉公 2 縁 3 中間 4 今宵 5 膏薬
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 伝
2 かたじけない
3 よしみ
4 忍ぶ
三 傍線部1〜15の問いに答えよ。
1 具体的に説明せよ。
2 誰のどんな気持を述べたものか。
3 誰か。
4 主語を記せ。
5 後では何と言っているか。
6 どういうことか。
7 どういうことを示しているか。
8 誰か。
9 どうしてこうするのか。
10 主語を記せ。
11 誰がどんな意図から「小者姿」になったのか。
12 指示内容を記せ。
13 何か。
14 どう言うことか。
15 なぜ近所も、不思議なことだと噂をしたのか。
四 二重傍線部1・2の文法問題に答えよ。
1・2 品詞名 基本形 活用形 文法的意味
(3)
屋敷よりは1毎日五十人ずつ御行方を尋ねしに、半年余りすぎて探し出だし、大勢@取りかけ、かの男
は縄をかけて、その夜にA成敗にあひける。そののち、姫は一間なる方に押し込め、2自害遊ばすやうに
仕掛けおきても、なかなか3その志もなく、時節移れば、「いかに女なればとて、Bおくれたり。最期を急
がせ。」と、C大殿より仰せけらば、4姫の御方に参りて、「D世の定まりごととて、おいたはしくは候へ
どの、不義遊ばし候へば、御最後。」と申しあぐれば、「われ命惜しむには1あらねども、身の上に不義は
なし。人間と生を受けて、女の男ただ一人持つこと、これE作法なり。Fあの者下下を思ふは、これ5縁
の道なり。おのおの不義といふことを知らずや。夫ある女のほかに男を思ひ、または死に別れて後夫を求
むるこそ、不義とは申すべし。男なき女の6一生に一人の男を、不義とは2申されまじ。また、下下を取
り上げ縁を組みしことは、G昔より例あり。7われは少しも不義にはあらず。その男は殺すまじきものを。」
と、8涙を流したまひ、この男の弔ふためなりと、9みづから髪をおろしたまふとなり。
(注)@取りかけ 押しかけ。A成敗 死罪。Bおくれたり 恐れてぐずぐずしている。C大殿 大名の当主の尊称。D世の定まりごととて 武家階級のおきてでは、身分違いの恋は、不義として処分された。E作法 ここでは、人間の決まり。Fあの者下下 あのようなごく身分低い者を思うのは。G昔より例
高貴の女性が身分の低い男と結ばれた話として、『更級日記』に記された竹芝伝説があるが、この話自体がその伝説によったとする説もある。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 成敗 2 仰せ 3 不義 4 後夫
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 自害
2 不義
3 成敗
三 傍線部1〜9の問いに答えよ。
1 なぜこのように執拗に探索したか。
2 なぜ自害を仕向けたか。
3 どういう志か。
4 どこにいるか。
5 何か。
6 前の部分から同じ意味の部分を抜き出せ。
7 正当性をどういう根拠から論証しているか。
8 どういう涙か。
9 どういうことを意味しているか。
四 二重傍線部1、2の文法問題に答えよ。
1、2 品詞分解 口語訳
五 口語訳
(1)
武家屋敷の暮らしが気づまりであるのも、上野の花見に忘れて、多くの人の心が浮き立つ春の様子、衣装を綱に通して幕にした中では、小唄をうたい遊興する女中姿が眺められるのは本当の桜より眺めだ。
日も暮れに近い刻限に、大名の奥方めいて、先頭には長刀・二つはさみ箱を持たせて、高蒔絵の乗り物に続けて、後から二十くらいの面影が簾の隙間から見えたところその美しさは、日本の古今の美人を絵がい当た絵本にも見えない。うかうかついてまわると、この男はようやく中小姓くらいの身なりをし、女が好まない男だ。思ってみるととてもおよばない御方を恋しはじめ。後から行く中間に聞いてみると「去る大名の姫さま。」とおっしゃる。
(2)
それではと、そのことを知って、女性たちが住んでいる奥の方に御奉公を願ったところ、言い便りがあって願いがかない二年ほどつ問える内に、あちらこちらへの御供をしていた折、思い入れた乗り物に注意していたところ、縁は不思議なものだ。姫にもいつおなく慕われ、女中に仰せつけられ、長屋の窓から黒骨の扇を投げ入れた。若い中間たちに見つけられ、あの身分の低い女と心が通じているように言いはやすのを噂をたてさせないように酒など買って口をふさいだ。その夜、扇を開いてみると、筆の運びに普通の人のものではなく、御思いになることを長歌書かれている。よくよく読んでみると、「私のことを思っているなら、今夜のうちにつれてここから去れ。男になりをかえてくぐり戸をこっそり抜け出し、命を失ってもいい、御出になられたのを、御門を紛らわして出て、なんと其の夜に土器町という所に親しい人がいて、ここに忍び入り、少し小家を借りて人知れず住んだところ、何の心準備もなく、出なさったので、生活する手立てもなかったので、御守りの脇差を質に入れて月日を送っているうちに、また貧しくなり、男は毎夜切り傷の膏薬を打ったが、収入もなく、手立てもなくなって、慣れなさらない洗濯をするのは、見る目にも痛々しい。近所の人も不思議に思う。
(3)
屋敷からは毎日五十人ずつ行方を探したが、半年あまりして捜し出し、大勢おしかけ、其の男は縄を掛けられ其の後に殺された。其の後、姫は一間の部屋に押し込められ自害するように設定されたが、そうせず、時はたつので、「なんと女だからとぐずぐずしている。早く殺せ。」と当主から仰せがあったので、姫の所に行って「武家の掟ではおいたわしく思うけれど、不義を働いた以上、最期を迎えろ。」と申し上げると「私は、命が惜しいわけではないが、身に不義はない。人として生まれ、女が男一人を持つことは決まりだ。ああいう下の者を思うことは、縁だ。各々は不義の意味を知らない。夫ある女が他の男を思い、また死に別れて夫を求めるのこそ不義と言う。男がいない女が一生に一人の男を思うことが不義とは申されまい。また、身分の下の者を取り上げて縁を結んだことは昔から例がある。私は少しも不義でない。其の男は殺すまじきものだったのに。」と涙を流しなさり、この男の後を弔うためだと、自ら髪をおろしなさると言う。
構成
主題 恋愛における封建モラルへの反抗と人間性の自覚
(1) (2) (3) |
節 |
上野の花見 日暮れ 二年 大名家 土器町 一日50人 半年かかる 探し出す 一間の部屋 「不義を働いた自害しろ」 |
時・場所 |
武家屋敷は気づまりだ 姫 二十才 美人 大名の姪 恋 長屋の窓から扇を女に投げ入れさせる 文面「私を連れ出せ。男に扮装している。死んでもいい。」 脇差を質に入れる 洗濯仕事 貧しい 閉じ込められる 自害をそそのかされる 「不義ではない。一人の男を愛した」 尼になり男を弔う |
女 |
小姓 恋いそめついていく よくよく読む 膏薬を売る 成敗される |
男 |
文学史 浮世草紙 五巻五冊
成立 1685年刊 井原西鶴
内容 三十五の諸国珍談・奇談 現実的・人間味
(1)忍び扇の長歌 解答
一1 いしょう 2 こうた 3 なぎなた 4 たかまきえ 5 ちゅうげん
二 1 ひととおり。 2 場合。
三 1 当時は16〜18才が適齢期。20歳では遅い。
2 「女の好かぬ男」 男=低い身分 ぶ男 女=高貴 美人 姫
四 1 ぞ終助 かし終助 念を押す。 2 動見ゆ用ヤ下二
(2)
一 1 ほうこう 2 えにし 3 ちゅうげん 4 こよい 5 こうやく
二 1 都合のよい機会。 2 もったいない。 3 親しい交わりやつながり。
4 人目を避ける。
三 1 就職の願いがかなう。 2 作者の二人の中について。 3 姫。 4 姫。
5 半女。 6 心が通じているように言いはやす。
7 よくよく読まなければ分からない無教養。 8 姫。 9 女の夜の外出は禁止されていた。
10 男。11 姫がとがめられずに外出するため。 12 土器町。13 金。
14 手だてもなかったので。 15 高貴な感じの女が、みすぼらしい男と住んで、慣れない手つきで洗濯をしているから。
四 1 助動ぬ止完 2 助動ず体打
(3)
一 1 せいばい 2 おおせ 3 ふぎ 4 ごふ
二 1 自殺。 2 (近世)男女の道に外れた関係。密通。姦通。3 死刑や斬罪に処すること。
三 1 どうしてもとらえて処罰しよう、しなければならないという思い。(50人で半年)
2 大名は処刑できないから。 3 自害。 4 一間なる方
5 仏の結びなさった前世からの縁。前世の縁でこの世で結ばれる。
6 「女の男ただ一人持つことこれ作法なり」 7 1 一夫一婦は任げの定法。 2 身分差があっても縁の道の必然。3 昔から礼もある。8 悔恨や屈服の涙ではない。夫の死を悲しむ愛の涙である。
9 尼になり夫を弔い、愛の意思を貫徹する。
四 1 あら動ラ変あり未 ね助動ず已打 ども接助逆接の確定条件 ではないけれど
2 申さ動申す未 れ助動る可 まじ助動まじ止打当 申すことはできないはずだ