(7)狩りの使ひ 第六十九段
語釈
(1) むかし、おとこありけり。そのおとこ、伊勢の国に@狩りの使ひにいきけるに、かのA伊勢の
斎宮なりける人の親、、「つねの使ひよりは、この人よく1いたはれ。」といひやれりければ、親の言なり
ければ、いとねむごろにいたはりけり。2朝には狩にいだしたててやり、タさりはかへりつつ、3そこ
に来させけり。かくて、ねむごろにいたつきけり。
(2)二日といふ夜、おとこわれて「あはむ」といふ。女もはた、1いとあはじとも思へらず。されど、
人目しげければ、2えあはず。B使ざねとある人なれば、C遠くも宿さず。女のねや近くありければ、女、4人をしづめて、子一つばかりに、男のもとに来たりけり。男はた、3寝られざりければ、外のかたを見出だしてふせるに、月のおぼろなるに、小さき童をさきに立てて5人立てり。男いとうれしくて、わが寝る所に率て入りて、子一つより丑三つまであるに、まだ何ごとも語らはぬにかへりにけり。男いとかなし
くて、寝ずねりにけり。
(3)つとめて、Dいぶかしけれど、6わが人をやるべきにしあらねば、いと心もとなくて、待ちをれ
ば、明け放れてしばしあるに、女のもとより、7ことばはなくて、
ア 君や来し我や行きけむおもほえず夢か現か寝てかさめてか
おとこいといたう泣きてよめる。
イ かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとはこよひ定めよ
とよみてやりて、狩りに出でぬ。
(4)野にありけれど、8心は空にて、こよひだに人しづめて、いととく逢はむと思ふに、E国の守、
斎宮の守かけたる、狩りの使ひありと聞きて、夜ひと夜酒飲みしければ、4もはらあひごともえせで、
明けばおはりの国へ立ちなむとすれば、男も人知れず血の涙を流せど、え逢はず。夜やうやう明けな
んとするほどに、女がたよりいだす杯の皿に、歌を書きて出したり。とりて見れば、
ウ かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
と書きて、9末はなし。その杯の皿に、続松の炭して、歌の末を書きつぐ。
エ 又F逢坂の関は越えなん
とて、明くればおはりの国へ越えにけり。
斎宮は水のおの御時、文徳天皇の御娘、惟喬の親王の妹。
(注)@狩りの使ひ 平安初期勅使を諸国に派遣して、鷹狩をさせ、朝廷の用にあてる鳥獣を狩りするために、勅命によって諸国に派遣された使者。905年禁止。A伊勢の斎宮 意船神宮に奉仕する未婚の内親王。B使ざね 正使。「ざね」は、中心となる人を表す接尾語。C遠くも宿さず 女の居所から遠くない。Dいぶかしけれど 気がかりではあるけれど。E国の守、斎の宮の守かけたる 伊勢の守で、斎宮寮の頭を兼任している人。F逢坂の関 今日の東逢坂山の関所。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 伊勢の国 2 斎宮 3 子 4 率て 5 丑 6 続松
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 言
2 ねむごろ
3 しげし
4 閨
5 心もとなし
6 いぶかし
7 続松
三 登場人物を抜き出せ。また傍線部1〜9の問いに答えよ。
登場人物
1 この指示を受け斎宮はどうしたか、抜き出せ。
2 対をなす語を抜き出せ。
3 どこか。
4 どうすることか。
5 前には「女」といったのになぜ「人」と言ったのか。
6 どうしてか。
7 どういうことか。
8 なぜか。
9 何か。対義語を抜き出せ。
四 二重傍線部1〜4について、品詞分解し、口語訳せよ。
1
2
3
4
五 口語訳
(1)昔男がいた。その男は伊勢の国に狩りの使いに行ったときに、あの伊勢の斎宮だった人の親が、「いつもの使いの方よりは、この人をよくおもてなせ。」といってやったので、親がいう言葉なのでたいそ う心をこめてもてなした。朝には狩り出かけられるようにしてやり、タ方には帰ってくると自分の御殿に来させた。このように心をこめて気を使った。
(2)二日目の夜、男は、「しいて逢おう。」言う。女もまた、まったく逢うまいともそれほど強く思ってはいなかった。そうではあるが、人目が多かったので逢うことができなかった。正使という人であったので、女の居所から離れた場所にも泊めない。女の寝所が近くにあったので、女は、人々が寝しずまってから、子一つごろに、男の寝ているところにやってきた。男も女を思ってまた寝られなかったので、外のほうを見出だして寝ていたときに、月の光がおぼろな中に、小さい召使いの童女を先に立てて、人が立っていた。男は体操嬉しくて、自分の寝所につれて入って、子一つから丑三つまでいたが、まだなにもうちとけて話しあわないうちに、帰ってしまった。男はひどく悲しくて、そのまま寝ないで起きていたのだった。
(3)翌朝、気がかりであったが、自分のほうから使いをやれるものでもなかったので、たいそう不安で待ちどおしく思っていると、夜が明けはなれてしばらくたつと、女のもとから言葉がなくて、
ア あなたが来たのか、わたくしが行ったのか、分からない。夢か現か寝ているうちのことか覚めているときのことか。
男は体操ひどく泣いて詠んだ。
イ 暗くなった心の闇に分別もつかなくなった。夢か現か今夜決めてくれ。
と詠んでやって狩りに行った。
(4)野にいたけれど、心は上の空で今夜だけでも人が寝しずまってから大層早く逢おうと思うが、国の守で斎の守を兼ねた人が、狩りの使いが来ていると聞いて一晩中酒を飲んだので全く逢うこともできないで、明けたら尾張の国へ立とうとするので、男も人知れず血の涙を流すが、逢うことはできない。夜がようやく明けようとするころに、女のほうから出す杯の皿に歌を書いて出した。取ってみると、
ウ 歩いて行く人が渡っても濡れない江であったのだ(浅井縁であったのだ)。
と書いて、末の句はない。その杯の皿にたいまつの炭で歌の末の句を書いた。
エ また、逢坂の関を越えて逢おう
と言って夜が明けるので尾張の国へ越えて行った。
(5)斎宮は水の尾の御時であり、惟喬の親王の妹だ。
構成
(1) (2) (3) (4) (5) |
節 |
伊勢 二日目の夜 男の部屋=女の閨近く 子一つ 月 丑三つ 翌朝 明ける 野原 一晩酒宴 尾張の国 夜明け 明ける |
時 場所 |
狩りの使いで行く 「是非逢おう」 → 眠れない 嬉しい 寝所に連れて入る→ 悲しい 寝られない 気がかり → 不安 焦り 泣く 歌イ 今夜逢って決めよう 狩りに行く 上の空 今夜早く逢おう 国の守の誘い 逢えない 立とう 逢えない 血の涙を流す 歌エ 杯の皿に 下の句 逢坂の関を越えて また逢いに来る 尾張の国へ行く 在原業平? |
男(正使) |
←心をこめて世話する ←人が寝しずまって行く 小さい女童を連れて行く 語りつくさないうちに帰る ←歌ア 昨夜のことは夢か現か? 感情の高ぶり ←歌ウ 杯の皿に 上の句 浅い江 浅井縁 文徳天皇の娘 惟喬の親王の妹 |
斎宮(神に仕える。男に逢うこと×) |
主題 禁じられた恋の物語
(7)狩りの使ひ 第六十九段 解答
一 1 いせのくに 2 さいぐう 3 ね 4 い 5 うし 6 ついまつ
二 1 言葉 2 心のこもった 3 しきりである 4 寝室 5 不安だ
6 知りたい 7 たいまつ
三 登場人物 男 親 女 国の守
1 いたつきけり 2 夕さり 3 斎宮の御殿 4 人々の寝しずまるのを待つ
5 はっきりしないものとして
6 男と女が供寝した翌朝 (儀礼)男から後朝の文を贈る (ここ)神聖な斎宮の身分に対するはばかり 女の方から訪れ女の方から文を贈る 男は待つのみ
7 手紙に文章はなくて、、歌だけあって 8 女のことを思って 9 下の句 本 上の句
四 1 いと 副
あは 動ハ四あふ未
じ 助動消意じ止
と 各
も 係
思へ 動ハ四思ふ已
ら 助動存り未
ず 助動消ず止
あうまいとそれほど強く思ってはいなかった
2 え 副
あは 動ハ四あふ未
ず 助動消ず止
あうことができない
3 寝 動ナ下二寝未
られ 助動可らる未
ざり 助動消ず用
けれ 助動過けり已
ば 接助原因理由
寝られなかったので
4 もはら 副
あひ 動ハ四あふ用
ごと 名
も 係
え 副
せ 動サ変す未
で 接助消
全く逢うこともできないで