語釈
(1)昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、1京にはあら1じ、あづまの方に
住むべき国2求めにとてゆきけり。もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。道 知れる人も
なくて、惑ひいきけり。@三河の国、八橋といふ 所に至り2ぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく
河のA蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりて3なむ八橋といひける。その沢のほとりの木の陰に3
おりゐて、4乾飯食ひけり。その沢にBかきつばたいとおもしろく咲きたり。5それを見て、ある人
のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上に4すゑて、旅の心をよめ。」と言ひければ、よめる。
ア 唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。
(2)ゆきゆきて、C駿河の国に至りぬ。D宇津の山に至りて、わが入ら5むとする道は、いと暗う
細きに、つたかへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者6会ひたり。7
「かかる道はいかでかいまする。」と言ふを8見れば、9見し人6なりけり。京に10 Eその人の御
もとにとて、文書きてつく。
イ
駿河7なる宇津の山べの11うつつにも夢にも人にあはぬなりけり
富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
ウ 時知ら8ぬ山は富士の嶺いつとて9か鹿の子まだらに雪の降るらむ
12その山は、13ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩
尻のやうになむありける。
(注)@三河の国、八橋 今の愛知県知立市東部の地名。 A蜘蛛手 くもの手足のよう
に分かれたさま。 Bかきつばた アヤメ科の多年草。 C駿河の国 今の静岡県の
一部。 D宇津の山 今の静岡市丸子地区と志太郡との境にある宇津の谷峠。 Eそ
の人 だれそれという人。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 東下り 2 惑ひ 3 三河の国 4 八橋 5 蜘蛛手 6 乾飯
7 五文字 8 句の上 9 唐衣 10 駿河の国 11 宇津の山
12 修行者 13 文 14 富士の嶺 15 鹿の子 16 比叡の山
17 塩尻
二 1〜11の語の意味を辞書で調べよ。
1 えうなし
2 惑ふ
3 乾飯
4 おもしろし
5 みな人
6 ほとぶ
7 もの心細し
8 すずろなり)
9 修行者
10 文
11 つく
12 なり
13 塩尻
三 登場人者を抜き出せ。また、傍線部1〜13の問いに答えよ。
登場人物
1 どういう意味があるか。
2 略されていると思われる語を補え。
3 何から「おり」るのか。
4 この後の叙述でどのような役割をしているか。
5 指示内容。
6 主語。
7 誰の言葉か。。
8 主語。
9 誰のことか。
10 誰のことか。
11 どういうことをいっているか。
12 指示内容。
13 「ここ」とはどこか。なぜ「比叡の山」と比べたか。
四 二重線部1〜7の文法問題に答えよ。
1 基本形、活用形、文法的意味を記せ。
2 基本形、活用形、文法的意味を記せ。
3 結びの語、基本形、活用形を記せ。
5 基本形、活用形、活用の種類を記せ。
6 基本形、活用形、文法的意味を記せ。
7 基本形、活用形、文法的意味を記せ。
8 基本形、活用形、文法的意味を記せ。
9 結びの語、基本形、活用形を記せ。
五 口語訳
(1)昔男がいた。その男は、(わが)身を重要でないものとことさら思って、京にはおるまい、東国の方に
住むのがよい国を探しに(行こう)と思って行った。以前から友として(つきあって)いた人一人二人と一緒に行った。道を知っている人もいなくて、迷いながら行った。@三河国八つ橋という所に着いた。そこを八つ橋と言ったのは、水が流れる川が蜘蛛の手足のようになているので、橋を八つ渡してあるのによって八つ橋と言った。その沢のそばの木の影に(馬から)おりて座って、携帯用の干した飯を食った。その沢にかきつばたが大層趣深く咲いていた。それを見て、ある人が言うには、「かきつばたという五文字を(歌の)句のはじめにおいて旅の思いを詠め。」そ言ったので、詠んだ。
ア(京には)長年慣れ親しんだ妻がいるので、はるばるとやって来た旅を(悲しく)思う。
と詠んだので、一行の人々は、携帯用の干した飯の上に涙を落として、(その涙で)ふやけてしまった。
(2)どんどん進んで、駿河の国に着いた。宇津の山について、自分が(これから)入っていこうとする(山)
道はとても暗く細いうえに、蔦や楓は茂って、なんとなく心細く、思いがけなくつらい目に合うことだと思っ
ていると、仏道修行のため諸国を歩く僧が(我々に)遭った。(僧が)「こんな道にどうしていらっしゃるの
か。」と言うので、見ると、(京でも)見知った人だった。京に、だれそれという人の辺りにといって、手紙
を書いて、(この僧に)ことづける。駿河の国にある宇津の山辺の「うつ」という名のように、現実(うつつ)
にも夢にもあなたに会わないことだった。富士の山を見ると、五月の末だというのに、雪が大層白く振ってい
る。
時を知らない山はこの富士山だ。(一体)今をいつだと思って、鹿の子まだらに雪が降っているのだろ
うか
その山は、個々(京)でたとえるなら比叡山を二十ばかり重ねたような大きさで、形は塩田で砂を丸く高く
塚のように積み上げたもものようであった。
(3)なほゆきゆきて、@武蔵の国とA下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをBすみだ
河といふ。1その河のほとりに2群れゐて思ひやれば、1限りなく遠くも来にけるかなと3わびあへ
るに、渡しもり、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわ
びしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。4さるをりしも、5白き鳥の嘴と脚と 赤き、Cしぎの大き
さなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡しもりに問ひけれ
ば、「6これなむD都鳥。」と7言ふを8聞きて、
エ E名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人は2ありやなしやと
とよめりければ、9舟こぞりて泣きにけり。
(注)@武蔵の国。 今の東京都・埼玉県・神奈川県の一部にわたる国。 A下つ総の国今の茨城・千葉両県にまたがる国。 Bすみだ川 現在東京都内を流れる隅田川は、昔は武蔵・下総両国の境になっていた。 Cしぎ シギ科の渡り鳥。 D都鳥 カモメ科の鳥。ゆりかもめ。 E名にし負はば (都という言葉を)名として持っているのなら。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 武蔵の国 2 下つ総の国 3 嘴 4 脚 5 都鳥 6 負ふ
二 1〜5の語の意味を辞書で調べよ。
1 思ひやる(6)
2 わぶ(6)
3 渡しもり(9)
4 こと問う(11)
5 こぞる(12)
三 登場人部を抜き出せ。また、傍線部1〜7と8「 」a・bと#に答えよ。
人物を抜き出せ。
1 指示内容を記せ。
2 主語を記せ。
3 「わびあ」った内容を抜き出せ。
4 この「時」はどういう時か、説明せよ。
5 文構造を説明せよ。。
6 どういう気持ちが込められているか。
7 主語を記せ。
8 主語を記せ。
9 歌エのどんな点が人々を感動させたか。
四 二重線部1〜2の文法問題に答えよ。
1 品詞分解、口語訳せよ。
2 品詞分解、口語訳せよ。
五 口語訳
(3)その上にどんどん進んでいって武蔵の国と下つ総の国の間に、とても大きな川がある。それを隅田川
その川のそばに群がって座って遠くのことを思うと(京から)限りなく遠くまで来たものだなあとお互いに嘆きあっていると、渡し船の船頭が、「早く船に乗れ。日も暮れてしまう。」と言うので乗って渡ろうとするが、一行の人々はなんともつらくて、京に(恋しく)思う人がいないわけではない。そういうちょうどその時、白い鳥で嘴と脚が赤くてしぎの大きさの(鳥が)水の上で遊泳し魚を(とって)食う。京には見えない鳥なので、一行の人々は見知らない。船頭に尋ねたところ、「これが都鳥。」と言うのを聞いて、
(その身に、「都という」名を持っているならば、(都のことはよく知っているだろうから、)さあ尋ねてみよう、都鳥よ。私が(恋しく)思う人は生きているのかしんでいるのかと。
と詠んだので、舟中残らずそろって泣いた。
構成
主題 次第に遠くなるにつれ京においてきた妻に対する募る愛情 |
(1) (2) (3) |
節 |
京 三河の国 八橋 駿河の国 五月末 武蔵の国 隅田川 |
時・場所 |
|
男 友二人 男 友二人 修行者 男 友二人 渡し守 |
人物 |
|
かきつばたを見て歌を詠んだ ア 「つま」 妻をおもう 宇津の山で歌を詠んだ イ 「人」 浮気を心配 富士山を見て歌を詠んだ ウ 富士山に雪 都鳥を見て歌を詠んだ エ 「わが思う人」 |
事件 |
*和歌
1 比較
ア イ ウ エ |
歌 |
5 1 1 1 |
修辞の数 |
人に言われて 自ら 自ら 自ら |
主体 |
有 無 無 無 |
余裕 |
抒情歌 抒情歌 抒景歌 抒情歌 |
種類 |
起 承 転 結 |
展開 |
|
2修辞法
ア(1)折り句 5文字の仮名の題を各句の最初または末尾に以t字ずつ織り込んでいくもの。
物名(物名)
「かきつばた」 「か」「き」「つ」「ば」「た」
(2)枕詞 「唐衣」→「き」
(3)序詞 「唐衣きつつ」→「なれ」
(4)掛詞 「なれ」 馴れ 親しむ
褻れ よれよれになる(のりけが落ちる)
|
「つま」 妻 ワイフ
|
褄 衣服の裾の左右両端の部分
「はるばる」遥々 道のりの長いさま
|
張る張る 「張る」布などをたるみなく引き渡す
「き」 来
|
着
|
(5)縁語「唐衣」
イ 序詞 「駿河なる宇津の山べ」→「うつつ」
ウ 二句切れ
エ 二、三句切れ 倒置法
*
この段を用いて遠藤先生が、昭和51年度静岡県西部国語教育研究会で公開研究授業を行われた。
その時のお教えを元に本段をまとめた。いつもこの通りに授業をし、他の教材も同じように開発
していった。
時 昭和51年11月13日 場所 静岡県立湖東高等学校
講師 京都大学名誉教授 遠藤嘉基先生
演題 「正しいものは一つか」
(2)第九段 東下り 解答
(1)(2)
一 1 あずまくだ 2 まど 3 みかわのくに 4 やつはし 5 くもで 6 かれいい
7 いちもじ 8 くのかみ 9 からころも 10 するがのくに 11 うつのやま
12 すぎょうじゃ(しゅぎょうじゃ すぎょうざ すぎょうじゃ 13 ふみ
14 ふじのね 15 かのこ 16 ひえのやま 17 しおじり
二 1 重要でないもの 2 まよう 3 携帯用のほした飯 4 趣が深い 5 全ての人
6 水を含んでふやける 7 なんとなく心細い 8 思いがけなくつらい
9 仏道修行のため諸国を行脚する僧 10手紙 11 ことづける 12 格好
13 製塩で塩田の砂を円錐形に高く積み上げたもの
三 登場人物
1 貴族にとって、京こそ故郷、逢坂山の向こうは外国 2 行かむ 3 馬
4 「乾飯の上に涙落としてほとびにけり」の伏線 5 かきつばた 6 修行者 修行者
7 修行者 8 男 9 修行者 10 男の妻 11 当時、相手を思えば、その人の夢に自分が
現れると考えられていた ここ、男の夢に女が出ない。妻が男を思っていない 12 富士山
13 都 身近なものを基準にしている(望郷の念)
四 1 助動消意じ止 2 助動完ぬ止 3 けるけり体 4 動ワ下二据う用 5 助動意む止
6 助動断なり用 7 助動存なり用 8 助動消ず体 9らむ助動現推
(3)
一 1 むさしのくに 2 しもつふさのくに 3 はし 4 あし 5 みやこどり 6 お
二 1 遠くのことを思う 2 嘆く 3 渡し船の船頭 4 尋ねる 5 残らず
三 登場人物 渡し守 みな人
1すみだ川 2 一行 3 限りなく遠くも来にけるかな
4 都の恋人を思うその時に都鳥が登場する
嘴と脚と赤き
5 白き鳥の
しぎの大きさなる
6 あなたがたは都の人なのに都鳥を知らない 7 渡し守 8 男
9 はるばる隅田川まで来たという思いが、都鳥に都の恋人の安否を思う悲痛と合致し感動させた
四 1 限り 名
なく 形なし用 2 あり 動ラ変あり止
遠く 形遠し用 や 係助や疑問
も 係助も強 なし 形ク活なし止
来 動カ変来用 や 係助や疑問
に 助動完ぬ用 と 格助引
ける 助動過けり体
かな 終助詠
と 格助引
限りなく遠くまで来たものだなあ 生きているか死んでいるかと