(2)旅立ち・草加
語釈
(1)1弥生も末の七日、あけぼのの空1朧々として、月は有明にて光をさまれる@ものから
富士の峰かすかに見えて、A上野・谷中の花のこずゑ、2またいつかはと心細し。むつまじき
限りは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。B千住といふ所にて舟を上がれば、前途三千里の思
ひ胸にふさがりて、2幻のちまたに離別の涙をそそぐ。
行く春や鳥鳴き魚の目は涙
これをC矢立ての初めとして、3行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、3後ろ髪の
見ゆるまではと見送るなるべし。
(2)今年、D元禄二年にや、奥羽長途の行脚ただ4かりそめに思ひ立ちて、E呉天に白髪の
恨みを重ぬといへども、耳に触れていまだ目に見5ぬ境、5もし生きて帰らばと、6定めなき
頼みの末をかけ、その日やうやうF草加といふ宿にたどり着きにけり。痩骨の肩にかかれる物、
まづ苦しむ。ただ身すがらにと出で立ち侍るを、G紙子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨
・筆のたぐひ、あるはさりがたきはなむけなどしたるは、さすがにうち捨てがたくて、路次
の煩ひとなれるこそわりなけれ。
(注)@ものから
(光が薄れている)のでの意味。逆説に解する説もある。A上野・
谷中 ともに今の東京都台東区の地名で、古来桜の名所。B千住 今の東京都足立区千住
荒川にのぞむ奥州街道の最初の宿場。C矢立ての初め 旅の記の書き始め。「矢立て」は
旅行用の筆具。D元禄二年 一六八九年。E呉天 はるかに遠い異境の空。F草加 今の
埼玉県草加市。奥州街道第二の宿場。G紙子 和紙を材料にしている衣服。旅の携帯用に
も用いる。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 弥生
2 朧々と 3 千住
4 行脚
5 痩骨
6 紙子一衣 7 路次
8 煩ひ
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 むつまじ
2 つどふ
3 行脚
4 身すがら
5 路次
6 わりなし
三 傍線部1〜6とA*の問いに答えよ。
1 何月何日のことか。
2 こういう時の芭蕉の気持ちはどのようなものか。
3 こうなるのはなぜか。
4 主語を記せ。
5 これと同じ長途の旅への不安に対する感慨を述べた言葉がある。それを六字以内
で抜き出せ。
6 「定めなき頼みをかけ」との違いがわかるように説明せよ。
A 「行く春や」の句の季語と季節を記せ。
四 二重線部1〜5の文法事項に答えよ。
1 品詞名 基本形 活用形 活用の種類
2 下にどういう語を補えるか。
3 下にどういう語を補えるか。
4 品詞名 基本形 活用形 活用の種類
5 品詞名 基本形 活用形 文法的意味
五 口語訳
(1)
三月も二十七日、曙のそらはぼんやりかすんでいて、月は有明の月で光がなくなっているが、富士の峰がかすかに見えて、上野・谷中の花の梢をまたいつ見るかと思うと心細い。親しい人だけは夜から集まって、船に乗って送る。千住という所で船をあがると、前途三千里の遠くを思い胸がふさがって、まぼろしのこの世に別れの涙が流れる。
行く春に鳥は鳴き、魚は涙を流す。
これを旅の書き初めの句として、なかなか先に進めない。人々は途中に立ち並んで、後ろ髪が見えるまではと見おくるようだ。
(2)
今年、元禄二年か、奥羽長旅を一時的に思い立って、遥かに遠い異郷の空に年おいた恨みを重ねると言っても、耳に聞いてはいてもまだ見たことのない地域、そこへ行ってもし生きて帰ることができたらと、あてにならない僅かな期待をかけ、其の日ようやく草加という土地の宿にたどりついた。やせた肩にかかる物にまず苦しむ。ただ体一つで出ようとしたが、紙子一枚は夜の寒さを防ぐもの、浴衣・雨具・墨・筆の類は、あるいはさけられない選別などしたのは、さすがに捨てられず、道中の面倒となることはやむをえない。
構成
(1)出発 1689年3月27日 千住
俳句 行く春
○惜春の情=惜別の情
鳥・魚=涙
(2)旅への思い 準備 草加
(2)旅立ち・草加 解答
一1 やよい 2 ろうろう 3 せんじゅ 4 あんぎゃ 5 そうこつ
6 かみこいちえ 7 ろし 8 わずら
二 1 親しい。2 集まる。 3 諸国を歩いて旅すること。
4 自分の体一つで何も持たないこと。 5 道中。
6 やむをえない。
三 1 三月二十七日 2 世の中は幻のようにはかないもの。
3 見送りの人が多く、送別の品の受け渡しが多いため。
4 人々。 5 「またいつかは」 6 あてにならないわずかな期待を将来にかけて。 7 行く春 春
四 1 形ろうろうたり用タリ活用 2 「見む」 3 見送らむ
4 形動かりそめなり用ナリ活 5 助動ず体打