(1) 資盛との思ひ出
語釈
(1)@おほかたの世騒がしく、心細きやうに聞こえしころなどは、A蔵人頭にて、ことに心のひまなげなり
しうへ、あたりなりし人も、1「あいなきことなり。」1など2言ふこともありて、さらにまた、3ありしより
けに忍びなどして、おのづからとかくためらひてぞ、もの言ひなどせし折々も、ただおほかたの言ぐさも、「か
かる世の騒ぎになりぬれば、Bはかなき数にならんことは、疑ひなきことなり。4さらば、さすがにつゆばか
りのあはれはかけてんや。たとひ何とも思はずとも、かやうに聞こえ慣れても、年月といふばかりになりぬる
情けに、C道の光も必ず思ひやれ。5また、もし命たとひ今しばしなどありとも、すべて今は、D心を、昔の
身とは思はじと、思ひしたためてなんある。そのゆゑは、6ものをあはれとも、何の名残、その人のことなど
思ひ立ちなば、E思ふ限りも及ぶまじ。心弱さもいかなるべしとも、身ながらおぼえねば、何事も思ひ捨てて、
F人のもとへ、G『さても。』など言ひて文やることなども、7いづくの浦よりもせじと思ひとりたるを、なほ
ざりにて聞こえぬなど、1なおぼしそ。8よろづ、ただ今より、身を変へたる身と思ひなりぬるを、なほとも
すれば、9もとの心になりぬべきなん、いとくちをしき。」と言ひしことの、げにさることと聞きしも、何とか
言はれん。涙のほかは、言の葉もなかりしを、つひに、秋の初めつ方の、10H夢のうちの夢を聞きし心地、
何にかはたとへん。
(注)@おほかたの世騒がしく 源平争乱のころの不穏な世情を言う。A蔵人頭 蔵人所の長官。作者の恋人平資盛(1158?〜1185、重盛の子)をさす。1183年正月〜同年7月まで蔵人頭。Bはかなき数にならんことは 亡き人の数に入るであろうことは。C道の光も必ず思ひやれ 後世の供養を必ず考えてください。「道の光」は、冥土の闇を照らす、仏法の功徳による光。D心を 「思ひしたためてなんある。」に続けて「心を決めて覚悟している。」と解する。E思ふ限りも及ぶまじ 思ってもとてもきりがないだろう。F人のもとへ あなたのところへ。都に残っている人を漠然とさすとする異説もある。
G『さても。』 手紙の書き出しの言葉。H夢のうちの夢 11837月25日の平家一門の都越智を指す。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 平資盛 2 蔵人頭 3 名残 4 心地
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 言ぐさ
2 なほざりなり
3 聞こゆ
4 さること
三 登場人物を抜き出せ。また、傍線部1〜10の問いに答えよ。
1 どういうことがか。
2 主語を向後で記せ。
3 意味を記せ。
4 指示内容を記せ。
5 どの部分を受けた接続詞か。
6 その文節にかかるか。
7 何を。
8 同じ趣旨の個所を抜き出せ。
9 どのような心か。
10 作者にとって歴史的にどういうことをいっているか。また、「夢の内の夢」を、一般的な場合と作者の場合で説明せよ。
四 二重傍線部1の文法問題に答えよ。
1 品詞分解せよ。
(2)さすが心ある限り、1このあはれを言ひ思はぬ人はなけれど、@かつ見る人々も、わが心の友はたれか
はあらんとおぼえしかば、2人にもものも言はれず。つくづくと思ひ続けて、胸にも余れば、仏に向かひ1奉
りて、泣き暮らすほかのことなし。されど、げに、3命は限りあるのみにあらず、Aさま変ふることだにも心
に任せで、一人B走り出でなんどは、2えせぬままに、さてあらるるが心憂くて、
またためしたぐひも知らぬ憂きことを見ても4さてある身ぞうとましき
(注)かつ見る人々も 一方、身近で顔を合わせる人々も。Aさま変ふる 出家する。B走り出でなんどは 家を出奔して寺に入ったりなどは。「走り出でなんとは」と解する異説もある。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 奉る 2 走り出づ 3 心憂し
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 うとまし
三 登場人物を抜き出せ。また、傍線部1〜4の問いに答えよ。
1 どんな思いか。
2 それはなぜか記せ。
3 どのような意味か。
4 悲しみへの対応として、一般的な場合と作者の場合で説明せよ。
四 二重傍線部1〜2の文法問題に答えよ。
1 敬語の種類と誰に対する敬意か。
2 品詞分解せよ。
五 口語訳
(1)世間全般が騒然として、心細いようにうわさされたころなどは、蔵人頭であって、特に心の余裕がなさそうだったうえに、(私の)周囲にいた人も、「(あの方とおつきあいするのは)よくないことだ。」などと言うこともあって、さらにまた、以前よりもまして人目を避けなどして、自然とあれこれと遠慮して、(こっそりあって)話をしたりなどした時々にも、(また)ただふだんの口癖にも、「このような世の中の騒乱になってしまったのだから、(私がそのうちに)亡き人の数に入るということは、疑いないことだ。そうなったら、やはりほんの少しの不憫に思う気持ちはかけてくれるだろうか。たとえ(私のことなど)何とも思わないとしても、こんなふうに(あなたに)親しくお話を申し上げなじんでからも、長い年月というほどになった愛情から、(あの世へ行った私の)後世の供養も必ず考えてくれ。また、もしたとえ(私の)命がもうしばらくありなどしても、全く今は、心を、昔の自分とは思うまいと、決めて覚悟している。そのわけは、物事を不憫だとか、何かが名残惜しいとか、だれかれのことなどを思い始めてしまったら、思ってもきりがない。(私は自分の)意志の弱さもどの程度だろうとも、我ながら確信が持てないので、(いっそのこと)万事を見限って、あなたのところへ、『さて(その後)いかが。』などと言って手紙を送ることなども、どこの海辺からもするまいと決心しているので、(あなたを)おろそかに思っているから手紙も差し上げないなどと、思うな。万事、ただ今から、別人になった身と思うことにしたが、それでもややもすると、もとの心にきっと戻ってしまいそうだが、何とも残念だ。」と言った言葉を、なるほどもっともなことと聞いたのも、(そのときの私の悲しい気持ちを)何と言葉で表現できようか。涙のほかには、言葉もなかったのだが、とうとう、秋の初めのころの、夢の中の夢のようなことを聞いたときの気持ちは、何にもたとえようがない。
(2)さすがに人情を知る人はだれも、この事件の悲哀を口にしたり思ったりしない人はいないけれども、一方、身近で顔を合わせる人々にも、私の心を本当にわかってくれる友はだれもいないと思われたから、人とも話すことができない。(一人)しみじみともの思いにふけり続けて、(その思いが)胸にも余るので、仏に向かい申し上げて、泣き暮らすよりほかのことはない。それでも、なるほど、人の命は(寿命というものがあって)思うままにならないだけでなく、出家することさえも思うようにならず、一人出奔したりなども、できないままに、そのまま生き長らえてしまうのがつらくて(こうよんだ)、
ほかに先例も類例も知らないこんなつらいめを見て、(それでも死にもせず出家も出奔もせずに)そのまま生きているわが身 がつくづく疎ましい。
構成
主題 恋人と別れざるをえなかった悲しみ
(1) (2) |
節 |
1183年7月 平家一門都落ち 秋の初め頃 |
時 場所 |
(周囲の人々)「つきあうな。」 人目を避ける こっそり会う
聞いて悲しいと思う。涙 。 夢の中の夢 悲しみをわかってくれる人はいないので人と話すことも出来ない。 仏に祈る。 自殺・出家・出奔も出来ない。 歌 そのまま生きる。 |
建礼門院右京太夫 |
蔵人所の長官 「死ぬ身。思ってくれるか。供養してくれ。昔の自分と違う。生きていても手紙をやらない。」 |
平資盛 |
文学史
成立 1232年頃 日記
作者 賢礼門院右京大夫 藤原伊行(書家、『源氏物語』の研究家)と夕霧(筝の名手)の娘 右京太夫 平資盛の愛人 高倉天皇の中宮賢礼門院に仕えた。
内容 平資盛との恋 平家滅亡に伴う悲しみ 宮廷の最期にあう。
(1) 資盛との思ひ出 解答
(1)
一 1 たいらのすけもり 2 くろうど 3 なごり 4 ここち
二1 口癖 2 おろそかだ
3 1 噂される(1) 2 申し上げる(5) 3 手紙を差し上げる(10)
4 もっともなこと
三 登場人物 建礼門院右京太夫 資盛
1 資盛とつきあうこと 2 作者の周囲にいた人たち 3 以前にも増して一層
4 亡き人のかずに入ること
5 かかる世の騒ぎになりいぬれば、はかなき数にならんことは、疑ひなきことなり
6 思ひ立ちなば 7 手紙をやること 8 すべて今は心を、昔の身とは思はじと、思ひしたためてなんある 9 作者のことやこの世のことに執着し、思い切れない気弱な心
10 恋人との別れ 一般的な場合 夢の中のことで、信じられない 作者の場合 夢の内の夢で全く信じられない
四 1 な 副 禁止 おぼし 動四おぼす用 そ 終禁止
(2)
一 1 たてまつ 2 い 3 こころう
二 1 嫌な感じだ
三 1 平家一門が都落ちしてしまった悲運 2 作者の悲しみを理解してくれる人がいないと思うから 3 人間の寿命は決まっていて死にたいと思っても勝手に死ねないということ
4 一般的な場合 悲しみを自殺・出家・出奔等で解決する 作者の場合 それが出来ずに悲しみの中に生き続ける
四 1 謙譲 仏 2 え 副 せ動左変す未 ぬ 助動消ず体 まま名 に接原因理由