物語 更級日記
語釈
(1)@かくのみ思ひくんじたるを、1心も慰め1むと、2心苦しがりて、母、物語などもとめて見せ給ふに、
げにおのづから慰みゆく。A紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人かたらひなども2えせず。
たれもいまだ都なれぬほどにて、3え見つけず。
(2)いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、「この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せ給へ。」と
心の内に祈る。親のB太秦に籠りたまへるにも、C異事なく3この事を申して、Dいでむままにこの物語見果
て4むと思へど、見えず。
(3)いとくちをしく思ひ嘆かるるに、をばなるひとの田舎より上りたる所にE渡いたれば、
4「いとうつくしう、生ひなりにけり。」
など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、
「何をか奉ら5む。まめまめしきものは、まさなかりな6む。5ゆかしくしたまふものを奉ら7む。」
とて、源氏の五十余巻、櫃にいりながら、F在中将、Gとほぎみ、せり河しらら、あさうづなどいふ物語ども
、ひとふくろ取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。
(4)6はしるはしる、わづかに見つつ、心も得ず心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、ひともまじら
ず、几帳のうちにうち臥して、引きいでつつ見る心地、7后の位も何にかはせむ。昼はひぐらし、夜は目の
覚めたる限り、灯を近くともして、8これを見るよりほかのことなければ、Hおのづからなどは、そらにおぼ
えうかぶを、いみじきことに思ふに、夢に、いとき清げなる僧の、黄なる地の袈裟着たるが来て、
「I法華経五の巻をとく習へ。」
と言ふと見れど、人にも語らず、習は8むとも思ひかけす、物語のことをのみ心にしめて、「われはこのごろ
わろきぞかし。盛りにならば、容貌も限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ。光の源氏のJ夕顔、宇治
の大将のK浮舟の女君のやうにこそあら9め。」と思ひける心、9まづいとはかなくあさまし。
(注)(1)@かくのみ思ひくんじたるを こんなふうにふさぎ込んでばかりいるのを。この前には、継母
との生別、乳母との死別などの悲しみが記されている。A紫のゆかり 『源氏物語』の若紫の巻や、その前後の巻巻巻巻を指す。B太秦 京都市右京区太秦にある広隆寺。C異事なく ほかの願い事は祈らず。Dいでむままに 寺から出たらすぐに。E渡いたれば (親が)連れて行ってくれたところ。F在中将 在原業平の物語のことで、『伊勢物語』をさすといわれる。Gとほぎみ、せり河しらら、あさうづ いずれも物語の名であるが、今は残っていない。Hおのづからなどは ふとした折りなどに。I法華経五の巻 女人成仏の教えが説かれ、特に当時の女性に尊重されていた。J夕顔 『源氏物語』夕顔の巻の女主人公の名。 K浮舟『源氏物語』
宇治十帖の女主人公の名。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1 太秦 2 籠る 3 田舎 4 奉る 5 几帳 6 櫃
7 袈裟 8 法華経
二 次の語の意味を辞書で調べよ。
1 心もとなし
2 ゆかし
3 くちをし
4 まめまめし
5 日暮らし
6 きよげなり
7 容貌
三 登場人物を抜き出せ。また傍線部1〜の問に答えよ。
登場人物
1・2 それぞれ誰の心か。
3 指示内容を記せ。
4 誰の言葉か。
5 何のことか。
6 どこにかかるか。
7 どんな気持ちか。
8 指示内容を記せ。
9 どんな時の、どんな感想か。
四 二重線部1〜9の文法問題に答えよ。
1、4、5、6,7、8、9 推量「む」について、そおれぞれ文法的意味を記せ。
2、3をそれぞれ品詞分解、口語訳せよ。
五 口語訳
(1)ただこのようにふさぎこんでいたのを、なんとかなぐさめてもやろうと心配して、母が物語などを
捜し求めて見せてくださるので、なるほどこれに親しむうちになるほど、心もしぜんにほぐれていった。
源氏物語の紫の上にまつわる巻を読んで、その続きが見たくてならなかったが、人に頼むことなどもでき
なかった。(家の者は)皆まだ都に慣れぬときなので、馴じみが浅くて、そんなものを捜すことなど、とて
もできはしない。
(2)たいそうじれったく、ただもう見たくてたまらないので、「この源氏物語を、一の巻から終りまで全
部お見せください。」と心の中で祈っていた。親が親が太秦にお籠もりになったときにも、他のことは願わず
このことばかりをお願い申して、寺からさがると、すぐにでもこの物語を全部通読するつもりでいたけれど、見ることはできなかった。
(3)たいそう残念に思い嘆いていたところ、おばに当たる人で地方から上京して来た人の家に私を連れて
いってくれたところ、
「たいそう可愛らしく成長した。」などと、なつかしがり珍しがって、帰るときに、
「何を差し上げましょう。実用むきの物は適当でないだろう。ほしがっていたとかいうものをを差し上げま
しょう。」と言って、源氏物語の五十余帖を櫃にはいったまま、在中将、とほぎみ、せり河、しらら、あさうづ、などという物語をひと袋に入れて、それを戴いて帰るここちのうれしは実にたいへんなものだ。
(4)わくわくして、(今まで)わずかに見るだけで、よく分からずじれったく思っていた源氏物語を、一の巻から読み始めて、人のいないところで、几帳の内に伏せって、橿から取り出しては読む気持、これは后の位も何になろう。昼は一日中、夜は目のさめている限り、ともしびを近くにともして、これを読むことのほかは、何もしないので、ふとしたおりに、そらで浮かんでくるのを、すばらしいことと思っていると、夢に、たいそうさっぱりして美しい僧で、黄色地の袈裟を着た人が来て、
「法華経五の巻を早く習え。」と言うと見たけれども、人にも話さず、(そんなものを)習おうなどとは思いもしなかった。ただ物語のことばかりを心に深くとめて、「私は今のところ器量も良くないことだ。けれども年ごろになったら、容貌も限りなくよく、髪もたいそう長くなるだろう。光源氏に愛された夕顔や宇治の大将と匂宮に愛された浮舟のようになることだろう。。」と思っていた心は、たよりもなく驚きあきれるばかりだ。
構成
(1) (2) (3) (4) |
節 |
1021年 14才 太秦 叔母の家 |
時 場所 |
家の者が物語を探すがみつからない こもり、手に入るよう祈る 『源氏物語』他の物語をもらって帰る 一日中昼も夜も読む。后の位以上の幸福感 物語の主人公になりきる |
事件 |
主題 『源氏物語』を手に入れ読みふける。
*物語 『源氏物語』は手に入れにくいものだった。作者はそれを手に入れる。叔母からもらうが、藤原兼家
の妻もその一人というところからすると、周りに権勢家がいたこともあったかもしれない。菅原家の
流れをくんでいたこともあろう。物語への関心を家族に語りそれが親族に伝わっていたこともあろう。
物語に憧れ、手に入れると読みふけりその主人公になる。文学少女だ。ここには物語論が既にある。
物語 更級日記 解答
一 1 うずまさ 2 こも 3 いなか 4 たてまつ 5 きちょう 6 ひつ
7 けさ 8 ほおけきょう
二 1 じれったい 2 みたい 3 残念だ 4 実用向きである 5 一日中
6 さっぱりして美しい 7 容貌
三 登場人物 母 親 をば
1 作者 2 母 3 「この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せたまへ。」
4 をば 5 みたがっているというもの 6 引きいでつつ見る 7 物語を得た感動と
満足 8 『源氏物語』 9 五十才を過ぎて冷静になった今 娘時代を思い出し幼稚だったと思い返す気持ち
四 1 む 推量 助動詞 1 意志 4 意志 5 意志 6 推量 7 意志 8 意志 9 推量
2 え副詞 せサ変動 ず打消助動詞 え+打消=不可能 することができない
3 え副詞 見つけカ行下二動 ず打消助動詞 え+打消=不可能 見つけることができない