(3) 兵だつ者、わが影を見て恐れをなす語 『今昔物語集』巻第二十八代四十二
語釈
(1) 今は昔、@受領のA郎等して、人に猛く見えむと思ひて、1えも言はずB兵だちける者ありけり。暁に家
を出でてものへ行かむとしけるに、夫はいまだ臥したりけるに、妻、起きて1食物のことなどせむとするに、有明
の月の、2板間より屋の内にさし入りたりけるに、月の光に、妻の、おのれが影の映りたりけるを3見て、「髪C
おぼとれたる大きなるD童盗人の、もの取らむとて入りにけるぞ。」と思ひければ、あわて惑ひて、夫の臥したる
もとに逃げ行きて、4夫の耳にさしあてて、ひそかに、「かしこに、5大きなる童盗人の髪おぼとれたるが、もの
取らむとて入り立てるぞ。」と言ひければ、夫、「それをば、いかがせむとする。いみじきことかな。」と言ひて、
枕上にE長刀を置きたるをさぐり取りて、「6そやつのFしや頸、打ち落とさむ。」と言ひて、起きて、裸なる者
のG髻放ちたるが、太刀を持ちて出でて見るに、またその7おのれが影の映りたりけるを見て、「H早う、童には
あらで、太刀抜きたる者 に2こそありけれ。」と思ひて、頭打ち割られぬとおぼえければ、8いと高くはなくて、
「お。」と叫びて、妻のある所に帰り入りて、妻に、「Iわ御許はうるさき兵の妻とこそ思ひつるに、J目を3ぞ
いみじくつたなく見ける。Kいづれか童盗人なりける。髻放ちたる男の、太刀を抜きて持ちたるにこそありけれ。
L者はいみじき臆病の者よ。わが出でたりつるを見て 、9持ちたりつる太刀をも落としつばかりこそ震ひつれ。」
と言ふは、わが震ひける影の映りたるを見て言ふなるべし。
(2) さて、妻に、「かれ、行きて追ひ出だせ。我を見て震ひつるは、10恐ろしと思ひつるにこそあるめれ。
11我はものへ行かむずる門出なれば、はかなき疵も打ちつけられなば、よしなば、4よも切らじ。」と言ひて、
12衣を引きかづきて臥しにければ、妻、「言ふかひなし。Mかくてや弓箭を捧げて月見ありく。」と言ひて、
起きて、また見むとて立ち出でた るに、夫の傍らにありけるN紙障子の、不意に倒れて、夫に倒れかかりたりけれ
ば、夫、こは、ありつる盗人の襲ひかかりたるなりけり。」と心得て、声をあげて叫びければ、妻、憎みをかしく
思ひて、13「Oや、かのぬし、盗人は早う出でて去りにけり。そこの上には、障子の倒れかかりたるぞ。」と言
ふときに、夫、起き上がりて見るに、まことに盗人もな ければ、「障子のそぞろに倒れかかりたるなりけり。」と
思ひ得て、そのときに起き上がりて、14裸なる脇を掻きて、手をねぶりて、「そやつは、まことには、わがもと
に入り来て、安らかにもの取りては去りなむや。盗人のやつの、障子を踏みかけて去りにけり。今しばしあら5ましかば、P必ず搦めてまし。わ御許のつたなくて、この盗人、さは逃がしつるぞ 。」と言ひければ、15妻、をか
しと思ひて、笑ひてやみにけり。
(3) 世にはかかるQ嗚呼の者もあるなりけり。まことに、16妻の言ひけむやうに、さばかり臆病にては、なんぞのゆゑに、刀・弓箭をも取りて、人のほとりにも立ち寄る。これを聞く人、みな男を憎み笑ひけり。これは、妻の人に語りけるを聞き継ぎて、かく語り伝へたるとなり。
(注)(1)@受領 国守(諸国の長官)。A郎等して 家来として仕えて。B兵だちける 勇者ぶった。Cおぼとれたる ぼうぼうとした。D童盗人 子供の盗人。Fいかがせむとする どうしてやろうか。E長刀 長い大形の刀。Fしや頸 「しや」は、軽んじ、ののしる意を表す接頭語。G髻放ちたる 乱れた、ざんばら髪のさま。「髻」は、髪を頭上で束ねた部分。H早う なんとまあ。下の「けり」と呼応して、「実は・・・であったのだ。」という意を表す。Iわ御許 おまえ。女性に対して親しみをもっていう語。「わ」は接頭語。どの。立派な。「兵の妻」にかかる。J目をぞいみじくつたなく見ける 大変な見当違いをしたぞ。
(2)L者は その男は。Mかくてや弓箭を捧げて月見ありく こんな有様では夜警の役もつとまらない(弓矢を捧げ持ってお月見をするくらいのものでしょうね)。夫のからいばりに対する皮肉。N紙障子 紙をはった障子。ふすま障に対して今の障子をいう。Oや、かのぬし もし、おまえさん。@そこ おまえさん。対称代名詞。P必ず搦めまし きっと捕らえてひっくくってやったのに。Q嗚呼の者 愚か者。
一 次の語の読みを現代仮名遣いで記せ。
1
兵 2
受領 3
郎等 4
暁 5
有明の月 6
童盗人 7
惑ふ
8
長刀 9
頸 10
髻 11
太刀 12
疵 13
衣 14
弓箭
15 捧げる 16
障子 17
脇 18
掻きて 19 搦める 20 嗚呼
二 1〜7の語の意味を辞書で調べよ。
1
かしこ
2
いみじ
3
おぼゆ
4
よしなし
5
言ふかひなし
6
をかし
7
そぞろなり
三 登場人物を抜き出せ。また、13「 」と傍線部1〜12の問いに答えよ。
1 具体的にどういうことか。
2 この表現から何が分かるか。
3 主語を記せ。
4 何をか。
5 同じ構造の表現をあとの文中から抜き出せ。
6 指示内容。
7 誰が。
8 なぜか。
9 どういうことを意味しているか。
10 誰が誰を。
11 同じ内容を述べた表現を前の文中から抜き出せ。
12 夫はどんな気持ちからこのようなことをしたのか。
13「 」 誰の言葉か。
14
どんなぞぶりを表したものか。文中から五字で抜き出せ。
15
夫のどういうところを笑ったのか。
16
どの会話を指しているか。該当する会話のはじめの五字を記せ。
四 二重線部1〜4の文法問題にこたえよ。
1 品詞分解 口語訳
2 結びの語 基本形 活用形
3 登場人物を抜き出せ。
4 品詞分解 口語訳
5 文法的意味
五 口語訳
(1) 今では昔のことになるが、国守の家来として遣えて、人に勇猛に見られようと、言いようもなく勇者ぶった者がいた。暁に家を出てあるところへ行こうとしていたときに、夫はまだ寝ていたときに、妻は起きて食物のことなどしようとしていたときに、有明けの月が、板間から屋の中にさしいっていたときに、月の光に、妻が自分の影が映ったのを見て、「髪がぼうぼうとした大きな子どもの盗人が、もの取ろうとして入ってきたのだ。」と思ったので、慌てうろたえて夫が寝ているところに逃げていって、こっそり「あそこに大きな童盗人で髪が乱れ広がったのが、物を取ろうとしてはいてきてたっているぞ。」と言ったので、夫は、「それをどうしてやろうか。大変なことだ。」と言って、枕元に長い大型の刀を置いてあったのをさぐり取って、「そいつのしゃ首、打ち落とそう。」と言って、起きて、裸でざんばら髪の男が太刀を持って出てみると、またその自分の影が映ったのを見て、「なんとまあ、子どもではなくて、太刀を抜いた者だった。」と思って、頭を打ち割られると思ったので、たいそう高い声ではなくて、「おう。」と叫んで、妻のいるところに帰って入って、妻に、「おまえは立派な武士の妻と思っていたのに、大変な見当違いをしたぞ。どれが子どもの盗人だった。もとどりを切りはなった男で、太刀を抜いて持っているのだった。その男はたいへん臆病者だった。私が出て行ったのを見て、持っていた太刀をも落としそうになるばかりに震えていたぞ。」と言うのは、自分が震えている影が映っていたのを見て言うのだろう。
(2) さて、妻に、「彼を行って追い出せ。私を見て震えて震えていたのは、恐ろしいと思ったからだ。私はあるところ行かなくてはならない出立の日なので、少しの傷もつけられたならばつまらない。女をまさか切るまい。」と言って、衣をひきかぶって寝たので、妻は、「いくじがない。こんな有様では、どうして弓矢を持って夜歩く勤めができよか、できない。」と言って、起きて、又見ようと思って立っていったところ、夫の傍らにあった紙を貼った障子が、不意に倒れて、夫に倒れかかったので、夫、「これはさっきの盗人が襲いかかったのだな。」と理解して、声を上げて叫んだので、妻は、憎らしく滑稽だと思って、「もし、おまえさん。盗人はなんと出て行ってしまった。おまえさんの上には障子が倒れかかったのだ。」と言うときに、夫、起き上がってみると、まことに盗人もいなかったので、「障子が不意に倒れかかったのだ。」と言う時に夫は、起き上がってみると、本当に盗人もいないので、「障子が不意に倒れかかったのだ。」と思い理解して、その時に起き上がりて、裸の脇をかいて、手につばをかけて、「そいつは、本当は自分の所に入ってきて、無事に物を取って去ることができようか(いやできない)。盗人のやつは、障子をふみかけて去ってしまった。もう少しいたならきっととらえてひっくくってやったのに。お前がへたなので、この盗人を逃がしてしまったのだ。」と言ったので妻は、おかしいと思って笑って終わりにした。
(3) 世間には、こういう愚か者もいるのだったなあ。まことに妻の言ったように、それほど臆病では、どういうわけで刀・弓箭を持って人の当たりにも立ち寄る(ことができようか、いやできない)。是を聞く人、皆男を憎み笑った。これは、妻が人に語ったのを聞き継いで、このように語り伝えたという。
六 構成
(1) (2) ( 3) |
節 |
発端 郎党の紹介=勇者ぶる 事件の前半 明け方 家 事件の後半 結び 笑い者 伝承の由来 |
場面 |
1 寝ている 3 童盗人―安心・太刀 4 誤認 自分の影=太刀を抜いた盗人 5 逃げ帰る ごまかす → うそつき とがめる → 盗人=臆病 震えて立っている 6 妻に追い出させよう → 障子が倒 8 悲鳴 盗人と思う 9 からいばり 妻が逃がしたとなじる→ |
夫の言動・―気持ち |
炊事 2 誤認 自分の影=童盗人 ← 夫に知らせるー信頼 7 夫の臆病さを非難 れる ← 憎みおかしく思う ← 夫に教える ←あきれる 人に伝えた |
妻の言動・―気持ち |
主題 臆病なのにからいばりしてそれがばれた男
兵だつ者、わが影を見て恐れをなす語 解答 『今昔物語集』巻第二十八代四十二
一 1 つわもの 2 ずりょう 3 ろうどう 4 あかつき 5 ありあけのつき
6 わらわぬすびと 7 まど 8 ながたち 9くび 10 もとどり 11 たち
12 きず 13 きぬ 14 きゅうせん 15 ささ 16 しょうじ 17 わき
18 か 19 から 20 おこ
二 1 あそこ 2 大変 3 おもわれる 4 つまらに 5 いくじがない 6 滑稽だ
7 不意
三 登場人物 兵だちける者 夫 妻 童盗人
1 朝食の用意 2 小さな粗末な家 3 妻 4 妻の口を 5 裸なるもの髻放ちたる
6 童盗人 7 夫 8怖いので聞こえないように 9自分が震えている 10 盗人が夫を
11 暁に家を出でてものへ行かむと 12 怖気づいて、女なら安全ははずだとおしつけようとした
13妻 14兵 だちける 15 からいばりしかできない小心者 16 いふかひなし
四 1 え 副詞 も 係助 いは ハ四動「いふ」未 ず 助同「いふ」打消 未
2、3 結びの語 基本形「あり」 活用形
4 よも 副詞(まさか) 切ら ラ行四「切る」未 じ 助同打消意思 じ
5 反実仮想