長い文の読み方―「桐壷」 ( [源氏物語])の文構造について
長い文
源氏物語』 の難しい文章を、できるだけ分かり易く解釈してみようと「桐壷」の巻の冒頭の部分を用いてここに試みた。難しい理由には、内容が難しいこと、一文が長いこと、主語が省略されていること、敬語表現が複雑なことなどが考えられる。このうち、内容については解釈上手をつけられるというものではない。次の、一文が長いことと、主語が省略されていること(これはそもそも日本語の特色でもあるが)だが、これには手をつけられる。そこでこの二点について迫り、分かり易くなると思われる解釈をしてみた。その後には敬語表現は自明のものとなる。
一文は長いから分かりにくい。だからそれを短い表現にして取り扱う。その際なるべく一組の主語と述語で形成される節に切るようにする。もっとも述語は二つ以上になる場合もある。そう切っていくと切り口は大体助詞か句読点になる。この節に便宜上1から50までの通し番号をふって取扱う。この節の中の述語に二重線を引く。主語は省略できても、述語は無ければ表現として成り立たないから必ずある。これに対応する主語を浮かび上がらせ、それに傍線を引く。省略されている場合は、補ってかっこで括り同様に傍線を引く。こうすると節は、単文の形をとることになり何が書いてあるか分かることになる。この主語を「描写の主体」として節毎に書き出していく。
次に、節に切ることになり節をつなぐことになる助詞や読点に網掛けをし、「屈折点」として節毎に書き出していく。こうするとその意味を指摘することで、節同士がどういう関係でつながっているかが分かることになる。この助詞は主に格助詞か接続助詞である。これらは共に、関係を示す働きがあるので、その文法的意味を明らかにすることでそれぞれの節の相互関係は明らかになっていく。読点は主に中止するために用いられており、節同士が並列であることを示すことになる。
節の描写の内容と節相互の関係を「解説」で示す。節はどこで切れているか、その内容は何か、どうつながっていくかが明らかにされていく。節相互の関係は、次のように並列、対照、作用、 移行と表した。節は相互に関係しながら展開していき、最後に、句点のつく節に集約される。そうとらえると一文は、入れ子の構造になっていると言える。最後の節が、一番外にある大きなマトリョーシカで、その直前までの節は中にあるそれぞれのマトリョーシカということになる。 紫式部は長い一文を書いた。が、はじめから全体として長い一まとまりの文を書いたのではなかったのだ。息をつぎつぎ、節毎に書き、助詞・読点等を巧みに用いてそれをつないでいって最後を句点で結んだのだ(ここでは、便宜上句読点はあったものとして話を進める)。一文は節の集合で長くなっているのだから、読み手は逆に短い節で読み、それをつないでいけばよい。本文は、「新日本古典文学大系』 (岩波書店)に拠った。
その実践
本文
1いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に、2 いとやむごとなき際にはあらぬがすぐれてときめき給ふ有けり。
描写の主体 1 女御、更衣 2 桐壷の更衣
屈折点 1 に 格助詞 場所
解説 1 女御、更衣が大勢いた。 2 その中に桐壷の更衣がいた。
1の中の一人を2に取り上げる。1移行2
本文
3はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方々めざましき物におとしめそねみ給ふ。
描写の主体 3 女御達
解説 3 桐壷の更衣より身分の高い女御達が彼女に嫉妬する。が、彼女達は身分が高いという優越感に浸ることができる。
本文
4同じ程、それよりげらふの更衣たちはまして安からず。
描写の主体 4 四位五位の更衣たち
解説 4 桐壷の更衣より身分の低い更衣達は、寵愛で差をつけられた上に、身分的優越感も抱けず内心穏やかではない。3対照4
本文
5(桐壷の更衣)朝夕の宮仕へにつけても人の心をのみ動かし、6うらみを負ふ積りにやありけむ、7(桐壷の更衣)いとあつしくなりゆき物心ぼそげに里がちなるを、8(桐壷帝)いよいよあかずあはれなる物に思ほして、9(桐壷帝)人の誹りをもえ憚らせ給はず、世のためしにも成りぬべき御もてなしなり。
描写の主体 5 桐壷の更衣 6 人の恨み 7 桐壷の更衣 8 桐壷帝 9桐壷帝
屈折点 5、 中止 6けむ、 7 を 格助詞 動作の対象 8 て 接続助詞 単純接続
解説 5 桐壷の更衣は回りの女を刺激することになる。そして、6 の事態が生じる。 6 その恨みがつもって行く。3・4を受ける。7 6の結果、病気になり実家に帰ることが多くなる。8 桐壷帝は桐壷の更衣を一層気の毒に思う。9 そうして人の非難も気にせず愛していく。5移行6
6移行7 8作用7 8移行9
本文
10 上達部、上人などもあいなく目を側めつつ、11(寵愛)いとまばゆき人の御おぼえなり。
描写の主体 10 上達部、殿上人 11 寵愛
屈折点 10 つつ 接続助詞 反復・継続
解説 10 寵愛に対して、上達部、殿上人は目をそむける。このことは繰り返される。3・4の女御、更衣の反応に続く。11それでも桐壷帝は控えることはない。10対照11
本文
12 唐土にもかかることの起こりにこそ世も乱れあしかりけれ、13(二人の愛)とやうやう天の下にもあぢきなう人のもてなやみ種に成て、14(二人の愛)楊貴妃のためしも引き出でづべくなり行くに15いとはしたなきこと多かれど、16かたじけなき御心ばへのたぐひなきを17(桐壷の更衣)頼みにてまじらひ給ふ。
描写の主体 12 世間 13 二人の愛 14 二人の愛 15 体裁が悪いこと 16 桐壷帝の気持ち 17 桐壷の更衣
屈折点 12 けれ 係り結びで終止 13 と 格助詞 単純接続 14 に 接続助詞 順接の確定条件 15 ど 接続助詞 逆説の確定条件 16 を 格助詞 動作の対象
解説 12 帝が女溺れると国が乱れるという中国の例を挙げる。13 二人の愛は次第に人の悩みの種になる。14 また、楊貴妃の例も引き合いに出されそうになる。15 体裁が悪いことが多い。16 が、それでも桐壷帝の愛はゆるぎなく続く。17桐壷の更衣はそれを頼りに出仕する。12移行14 13並列14 13、14移行15 15対照16 17作用16
本文
18 父の犬綱言は亡く成て19母北の方なんいにしへの人のよしあるにて、親うち具しさしあたりて世のおぼえ花やかなる御方方にもいたうおとらず、何事の儀式をももてなし給ひけれど、20(桐壷の更衣)取りたててはかぐしき後見しなければ、21(桐壷の更衣)ことある時は猶寄り所なく心ぼそげなり。
描写の主体 18 桐壷の更衣の父 19 桐壷の更衣の母 20 桐壷の更衣 21 桐壷の更衣
屈折点 18 て 接続助詞 単純接続 19 ど 接続助詞 逆接の確定条件 20 ば 接続助詞順接の確定条件(原因・理由)
解説 18 桐壷の更衣の父は死んでいない。19 母は古い家柄の人で両親がいる。親の紹介が始まる。彼女の経済的基盤は祖父母にある。20 しかし、これ以外にしっかりした後見人がいない。21だから何かあるときには彼女は不安だ。 18並列19 19対照20 20移行21
本文 先の世にも御契りや深かりけむ、23世になくきよらなる玉のおの子御子さへ生まれ給ひぬ。
描写の主体 22 二人の宿緑 23光源氏
屈折点 22 けむ、係結びで中止
解説 22前世での二人の宿縁は深かった。宿世師僧が現れている。23美しい男の子が誕生する。主人公光源氏の誕生だ。限度を超えた寵愛がある上に、美しい男の子さえ生まれる。
本文
24 (桐壷帝)いつしかと心もとながらせ給ひて、急ぎまいらせてご覧ずるに、25(光源氏の容貌)めつらかなる児の御かたちなり。
描写の主体 24 桐壷帝 25 光源氏の容貌
屈折点 24 に 接続助詞 単純接続
解説 24 桐壷帝は、光源氏を早く見たくて急いで参上させる。切迫した気持ちは心情を表す述語を三 語も使うことでよく表現されている。25 光源氏の容貌はすばらしい。23 では事実として言い、ここでは帝が確認する。
本文
26一の御子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、27(第一皇子)疑ひなき儲の君28と(人)
世にもてかしづききこゆれど、29(第一皇子)この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、30(桐壷帝)おほかたのやむごとなき御思ひにて、31この君をばわたくし物に思ほしかしづき給ふこと限りなし。
描写の主体 26 第一皇子 27 第一皇子 28 人 29 第一皇子 30 桐壷帝 31 桐壷帝の愛
屈折点 26、中止 28と 格助詞 引用 28 ど 接続助詞逆接の確定条件 29 ば接続助詞 順接の確定条件(原因・理由) 30 て 接続助詞 単純接続
解説 26 第一皇子は右大臣の娘の子である。後見に問題はない。光源氏の対抗馬の登場だ。 27 だから彼は皇太子だ。28 世間ではそう噂する。29 しかし、第一皇子は容貌で光源氏に劣る。3 と同じ構造になっている。30 だから、桐壷帝の第一皇子への思いは一通りのものだ。31 かえって桐壷帝は光源氏を強く愛する。26並列27 28対照29 29移行30 30並列31
本文
32 (桐壷の更衣)はじめよりをしなべての上官仕へし給ふべき際にはあらざりき。
描写の主体 32桐壷の更衣
解説 32桐壷の更衣は天皇のそばで用を果たす身分ではなかった。こう断るのは、そう見られなくなるような事態になっていくからだ。
本文
33 おぼえいとやむごとなく、上手めかしけれど、34(桐壷帝)わりなくまつはさせ給ふあまりに、35(桐壷帝)さるべき御遊びのおりおり何事にもゆへあることのふしぶしにはまづ参うのぼらせ賜ふ、36(桐壷帝)あるときには大殿籠り過してゃがてさぶらはせたまひなど、37(桐壷帝)あながちに御前さらずもてなさせ給ひし程に、38(桐壷の更衣)おのづからかろきかたにも見えしを、39(桐壷帝)この御子生まれ給て後は、いと心ことに思ほしをきてたれば、坊にもようせずはこの御子のゐたまふべきなめり、41と一の御子の女御は覚し疑へり。
描写の主体 33 桐壷の更衣の人望 34 桐壷帝 35 桐壷帝 36 桐壷帝 37 桐壷帝
38 桐壷の更衣 39 桐壷帝 40 光源氏 41 弘徽殿の女御
屈折点 33 ど 接続助詞 逆接の確定条件 34 に 格助詞 原因・理由器、35 中止 36など 副助詞 他に類似のものがある 37 に 格助詞 時間 38 を 接続助詞 逆接の確定条件 39 ば 接続助詞 順接の確定条件(原因・理由) 40 、終止 41 と 格助詞 引用
解説 33 桐壷の更衣の人望は厚い。母の家柄はよく、ある程度の身分にはある。が、目に余る寵愛が彼女の品位を下げてしまう。34 桐壷帝は無闇に側に待らせる。35 桐壷帝は何かある時には桐壷の更衣を一番先に参上させる。36 また、桐壷帝は寝過ごした場合そのまま仕えさせる。37 桐壷帝は桐壷の更衣をこのように始終側に置く。38 桐壷の更衣は軽い身分に見られる。39 しかし、桐壷帝は光源氏が生まれてからは特に桐壷の更衣を愛する。40 光源氏が皇太子になるかも知れない。41 弘徽殿の女御はそう疑う。 33対照34 34移行35・36 35並列36 35・36移行37 37移行38 38対照39 39移行40 40移行41
本文
42 (弘徽殿の女御)人よりさきにまゐり給ひて、43 ゃんごとなき御思ひなべてならず、44御子たちなどもをはしませば、45(桐壷帝)この御方の諌めをのみぞ、猶わづらはしう心ぐるしう思ひきこえさせたまひける。
描写の主体 42 弘徽殿の女御 43 桐壷帝の思い 44皇女達 45 桐壷帝
屈折点 42 て 接続助詞 順接の確定条件(原因・理由) 43、中止 44 ば 接続助詞 順接の確定条件(原因・理由)
解説 42 弘徽殿の女御は他の人より先に参上した。43だから桐壷帝の彼女への思いは普通ではない。44しかも皇女達もいる。女として最高の、ゆるぎない地位にいる。桐壷の更衣と対照的だ。
45 桐壷帝はこういう弘徽殿の女御をないがしろにはできない。 42移行43 43並列44
44移行45
本文
46
(桐壷の更衣)かしこき御陰を頼みきこえながら、47 おとしめ庇を求めたまふ人は多く、48我身はかよはく物はかなき有きまにて、49(桐壷の更衣)中々なる物思ひをぞし給ふ。
描写の主体 46 桐壷の更衣 47 女御、更衣 48 桐壷の更衣 49 桐壷の更衣
屈折点 46 ながら 接続助詞 逆接の確定条件、47、中止 48 て 接続助詞 単純接続
解説 46 桐壷の更衣は桐壷帝の庇護のもとにある。47が、女御、更衣は彼女をいじめる。48 桐壷の更衣はどことなく頼りない。49 桐壷の更衣は寵愛のせいでかえって辛い思いをする。46対照47 47並列48 47・48移行49
本文
50 御局は桐壷なり。
描写の主体 50 桐壷の更衣の部屋
解説 50 桐壷の更衣の部屋は桐壷だ。これは内畏の北東隅にある。清涼殿から最も遠い所にある。行く場合も来る場合も大変だ。彼女の厳しい境遇が長文の中の短文で強調される。そして、この後も長文で、その長い道のりにおけるいじめが延延と叙述されていく。