街は浮かれていた。祝祭夜なのだ。いつになく冷え込む日だというのに、人々は来たる日に備えてパーティの準備をしていた。
それは、ここ黒猫亭も例外ではない。
「マールファ、これはどこ」
「これはドアの横ね。届く?」
「平気!」
ナージャとマールファは店内の飾り付けをしていた。そんな二人の邪魔にならないよう、そわそわとした面持ちでアルファードが立ち尽くしている。今日は非番なのだ。いつも家にいないから、何をどう手伝えばいいのかよくわからない。
「ええと、あの、何をすれば」
「じゃあその机片付けて」
こちらを見ないまま、ナージャが言った。
「それはもう終わりましたよ」
手持ち無沙汰だったから、とにかくできることをやったのだが、力仕事以外に何をすればいいのかがよくわからない。
「ああ、そうなの」
ナージャは腰に手を当てて、少しの間真剣そうに考え込んだ。そして装飾の入った箱をアルファードに差し出す。
「これつけて。私の言うようにね」
よくよく見れば、店内の飾り付けをナージャが行っていたせいで、高いところの装飾が不十分だ。マールファはパーティの為のご馳走を作っている。アルファードはナージャの要請に頷いた。
「わかりました」
ナージャの指示を聞いて、ドアを飾り付けていく。ばらばらな飾りが組み合わさって、だんだんときれいな全体像が見え始めた。軽い衝撃でも落ちてしまうような、心もとない接着力だが、わざわざ乱暴にドアを開け閉めする知り合いはいなかったはずだ。
その装飾が完璧に近づいたところで、賑々しい声とともに、ドアが騒々しく開かれた。
「ただいま皆!」
せっかくの装飾がはらりはらりと崩れていく。アルファードは顔が引き攣るのを抑えられなかった。隣のナージャをみれば、落ちた飾りを見て、悲しげに眉を寄せていた。
――祝祭夜といえば、こいつが帰省してくる時期ではないか。苦手が過ぎてうっかり失念していた。
「お帰り、エフィ」
アルファードの声は自然暗澹としていた。 対するのはウェーブをかけた暗い茶色の髪。どうせ中央の流行に乗ったんだろう。濃茶とも黒とも付かない瞳は、悪気なさげに店内を見渡した。「弟の従妹」、エフィ・ノリネン中尉である。
エフィはアルファードの挨拶に片手を上げて、義従兄(いとこ)とその義娘(むすめ)の方を見た。
「それにしても家に帰った気がしないわね」 その眼には、僅かな拒絶の色がある。エフィは瞬き1つでそれを覆い隠すと、鬱陶しいほど明るい声で言った。
「何よ! ここはアタシの家なのよ。母さんを独占しないでよね!」
エフィに指差され、いい歳して何を言っているんだ。とアルファードは自分が半眼になっているのを自覚する。 こんなのと関わり合いにならないほうがいい。アルファードはエフィに背を向けて、扉の装飾を再開したナージャの手伝いを始めようとした。
すると、背後から嬉しそうなマールファの声。
「エフレーチカ!」
多分あのエフィの声を聞きつけたんだろう。
思わず振り向くと、マールファがエフィを抱きしめているところだった。それはあたかも、数年来の親友が再会した場面のようだ。実際は親子なのだが。なにやっているんだろう。アルファードは再び半眼になるのを自覚した。
「何なの、あれ」
「叔母さんはエフィを溺愛してるんだよ」
若干引き攣った顔でナージャが問うてくるのに、アルファードは無表情で応えた。
「なんでもひとりっ子は可愛いらしい」
「……そういうもんかな」
ナージャが作った微妙な間に、突っ込む気力はなかった。これからあの嵐のような従妹の相手をしなければならないと思うと、既にどっと疲れがのしかかるようだった。
さてその頃、シードルはどこにいたかというと、黒猫亭のもう一人の居候、サイとともにプレゼントの買い出しにでていた。 街は静かだ。皆が家で、パーティの準備をしているせいだ。少し前までは買い出しなどで賑わっていた商店街も、今は閑散としている。閉まっている店が多い中、どうにか開いている店を探し出しての買い出しだ。
「本当に必要ですかね」
訝しげに、シードルは問うた。対するサイは自信満々そうだ。シードルからしてみれば、彼女のこの反応が一番怪しいのだ。
「必要よ、12月25日って言えばプレゼント交換の日じゃない」
「祝祭夜は別にそんなイベントじゃないですよ」
シードルの言葉に、サイはぎょっとした様に立ち止まって、振り返った。目を見開いている。シードルもそれに従い足を止めた。ほらやっぱり。
祝祭夜がなんであるかを説明する。
「祝祭夜というのは、冬の到来を祝う祭りです。一言で言うとね」
「そうなの?」
「冬が終われば春が来るでしょ、だから皆してそのことをお祝いするんですよ」
シードルの説明に、サイはああ、と頷いた。
「要は冬至みたいなもんね」
「そのトウジ? がなんだか分かりませんが、恐らく」
「そうなの」
今度は納得したような声音だった。サイはそう呟いたきり、なにか考え込むように黙り込んだ。だが、すぐに顔を持ち上げて、取り繕うように言った。
「でもでも、プレゼントがあったほうが絶対に楽しいわ」
「それもそうですね」
二人は再び、開いている店を探して歩を進めた。
黒猫亭の一角。片付けられなかったテーブルに、アルファードとエフィは掛けていた。ナージャはマールファの手伝いと言って、さっさと厨房に逃げてしまっていて、アルファードはこの義従妹の自慢話を延々聞かされる破目になっていた。 今ばかりはナージャが恨めしい。長い上に下らないエフィの話を聞き流しながら、アルファードはそう思った。
「……というわけなんだけど、聞いてる? アルファード」
「はいはい聞いてる」
「ならいいわ。それでね、その靴を買ったのはいいのだけど、カレと別れちゃってね、結局履く機会を失っちゃったの。ああ、カレといえばこんな話もあるわ――」
こんなとき、フィリクスならばどうするだろう。と酒をちびりながら、北部にいる弟のことを思った。あいつはこの口煩い義従妹の扱いが上手いのだ。 そもそも彼女は自慢話がしたいのである。だが、エフィと同じく中央勤務のアルファードにとっては、ほとんどが現場で見聞きした話ばかりだ。だから自慢話になりやしない。彼女自身自慢話が出来ない鬱憤も込めて、嫌がらせで話しているんだろう。
そんな時、またドアベルが騒々しい音を立てて、ドアが乱暴に開かれた。そんな風にあける知り合いはいなかったはずだ。音に驚いて、アルファードとエフィはドアの方を向いた。特にアルファードはドアを睨んだ。入ってきた奴は巻き込んでやるという決意を込めて。
「よお、アルファード。準備は順調すか?」
「お陰様で。君に少し頼みがあるんですが」
入ってきたのはトッドだった。アルファードに、ドアを乱暴に開ける知り合いはいないはずである。その定義が、ドアの飾りと一緒に儚く崩れ去った瞬間であった。
アルファードは、八当たりも込めて、彼を自分とエフィの間に座らせた。体のいい壁が出来た。
「なんすか」
不思議そうなトッドに対して、アルファードはエフィの方を顎で示した。エフィは東方司令部に所属していたことがあるから、顔は知っているはずだ。
「だからなんだって」
多分アルファードとエフィの関係性が理解できても、どうして自分がここにいるかがわからないのだろう。――そのままわからなくていいのだが。
アルファードは年下の友人に笑顔で言い放った。
「彼女の話し相手になってやってくれ」
「はあ!?」
そうしてトッドにエフィのことを任せ、アルファードは食事を取りに席を立とうとした。だが、何者かに腕をガッチリと掴まれている。
みれば、トッドがアルファードの腕を握りつぶさん勢いで掴んでいた。 自分が何のために壁にされたのか気づかれたらしい。
「おいおい連れねえっすねえ。……行かせねえすよ?」
シードルは荷物を抱えていた。皆へのプレゼントだ。
「ねえ、まだ行くんですか? どこもお店閉まってますよ」
すたすたと前を歩くサイに声をかけた。思いがけず泣き言のようになってしまう。そのくらいには凍えていたし、疲れていた。サイも同じように荷物を持っているはずなのに、差が開くのは年齢の差があるせいだろうか。
サイがシードルの方を振り返る。大して疲れたような表情じゃないのが、悔しい。
「ねえ、もう戻りましょうよ。パーティ始まってますよ」
言うと息が白い。サイはそれに首を振って、まだもう少し、と言う。頑固な奴だ。
「まだトッドとアルファード少佐のぶんを買ってないじゃない」
「皆同じのじゃ駄目なんですか?」
それにサイは首を振った。
「ほら、相手に合わせたほうが、心がこもってる気がするでしょ?」
サイの言葉に、シードルは眉を寄せた。理屈は分かるが、そうするには寒さで遂行する気力が削がれていた。それはシードルが寒がりなせいか、南部生まれないせいか。
「ああ、ほら、寒いから。あなたはそれを持って戻ってもいいのよ」
今更気付いたかのように、サイが言う。ここまで来て送り返されるとは。あなたは子どもだものね。と暗に言われているようで腹が立った。そうして、気付いたら口走っていた。
「別に、大丈夫です。僕山のふもと生まれだし」
「あらそう?」
ならいいんだけど。サイがそう譲歩した時に、初めて後悔の念が襲ってくる。いくら意固地になったって、寒いのは変わらないのに。
吐いたため息は白かった。
「サイはなんでそんなに平気なんです?」
サイを追いかけながら問いかける。出発した時から、寒がった様子がない。彼女の防寒具といえば首に巻いたマフラーだけだというのに。
「んー? 体質かしらね」
「体質? やっぱり寒いとこと生まれなんですか? 龍(ロン)大陸って寒いところ?」
息もつかせぬシードルの質問攻めに、サイは曖昧にうーんと唸った。
「質問が多いわ」
「あ、ごめん」
そうこうしているうちに、次の店、革製品専門店に到着した。
「それでねそれでね、そいつってば」
「トッドうっさい」
「マールファさん、お代わりお願いします」
黒猫亭ホール、そこには出来上がった大人三人。トッドの注文に、ナージャが無言で追加の瓶を机に置いた。
「おじさんたちお酒臭いよ」
「えーごめんよ。でもさあ、これから恋バナでもしようかなって」
比較的正気を保ったトッドの言葉に、ナージャが顔を輝かせた。
「恋バナ! 誰の!」
「こいつの」
そうしてトッドが指差したのはアルファードだ。まだちゃんと意識はあるが、彼らしくないとんちんかんな発言をしているあたり、それなりに飲まされているんだろう。
「今日はこいつにぶちまけてもらうっすー」
「へいへいへーい」
トッドの宣言に、なぜかエフィが乗ってきた。そんなテンション高い二人に、ナージャは引き気味だ。
「ヘイアルファード、ぶっちゃけおめー、サイ狙ってるだろ」
トッドの言葉に、アルファードは口に含んでいた酒を吹きだした。汚えなあ。とトッドがそれを拭う。なぜか台布巾でアルファードの顔を思いっきり拭っているが、そこは酔っ払いのご愛嬌である。
「離せよ。……というか、なんで、そんな」
「えー。お前、前にサイみたいな『守ってあげたくなるようなタイプが好み』って言ってたじゃねえすか」
「なにそれ、いつ」
興奮した様子でナージャが嘴を挟んでくるのに、トッドは、ええといつだったっけー、と酔った頭を傾けた。
「ああ、そう言うことならアタシも知ってるわ。アルファード、アナタ黒髪の子が好みなんでしょ」
突然のエフィ参戦にアルファードが噎せこんだ。
「な、にを」
「だってアンタ。付き合う子皆黒髪じゃない。アタシ、もうそれがカノジョ選ぶ基準なんじゃないかって」
「それ以上言うな!」
アルファードはエフィの胸元をつかんで、わっさわっさと揺さぶった。突然の揺れに、エフィが顔を青くして口元を抑えた。トッドはナージャに訊かれた日にちを思い出そうとしていて、そのナージャはマールファに助けを求めるべく厨房に駆けた。
黒猫亭のホールは、混沌となった。
シードルたちが戻ってきたとき、黒猫亭は混沌としていた。
「何があったのかしらね」
「さあ」
サイとシードルは言いあいながら、とりあえず買ってきたプレゼントを適当なところにおろした。ドアベルに反応したナージャが、ホールに戻ってくる。彼女はどこか疲れたような笑みを浮かべて、おかえり、と言った。
「わあ、大荷物じゃない、一体何買ってきたの?」
2人の買ってきたプレゼントを目に止めたナージャの表情が、満面の笑みになる。
「それより前にどうしてこの惨状になってるかが知りたいんだけど」
「あー。……いろいろあったのよ」
「どうしてそこで目をそらすの」
シードルの追及にナージャは顔をそらし、サイの方へと向かった。
「ねえサイ。トッドとアル、付き合うならどっちが好み?」
騒ぐ大人たちの声にかき消されそうになるが、その問いはきっちりとサイに届いたようだ。
サイは人差し指を唇に当て、しばらくしてから答えた。
だがその答えは、背後の大人たちによりかき消されてしまった。