Novel

一年に一度

 「よし」
 グリーンは呟いた。肩の上でイーブイが身じろぎする。
「そうだな、そろそろ行くか」
 イーブイにそう言い、トキワジムに「休業」の張り紙がしてあるのを確認して、荷物を抱え直す。土産物をつめすぎただろうか、少し重い。
 ピジョットのボールを取り出し、空に高く放り投げた。
 ボールから現れたピジョットを撫で、静かな声で語りかける。
「マサラまで少し遠いが、頼むな」
「ピジョ!」

「あ」
 カレンダーを見上げたブルーが、声を上げた。カントーはマサラタウン。オーキド博士の研究所である。
 彼女はここで、オーキド博士の助手として働いていた。
「どうしたね」
 資料を抱えたままぼんやり立ち止まるブルーを見とがめ、オーキド博士が言う。
「いえ、今日かなって」
 カレンダーには何の印もない。
 博士が得心したようにああ、と呟いた。
「グリーンも帰ってくるかのう」
 ブルーの隣に立って、懐かしそうに博士は言う。
「かも知れませんね」
 穏やかに応えて、窓の外を見上げる。窓の外は蒼く高く晴れ上がっていた。

 タマムシシティに寄ったのはほんの偶然だ。気まぐれだと言ってまず間違いない。
 ピジョットをボールの中にしまって、タマムシデパートへと向かう。半開きの自動ドアをくぐってデパートに入る。
 中は妙に薄暗く、インフォメーションセンターのお姉さんが電話相手に格闘している。
「何かあったんですか?」
 お姉さんが話し終わったところでグリーンは声をかけた。
「ブレーカーが落ちちゃって……。今原因究明中なの」
 いつもの愛想の良さはどこへやら、疲れ切ったような声でお姉さんは言う。
 しかしこう言ってしまったのはアイツの影響だろうか。
「何なら、俺がどうにかしましょうか?」

 そういう訳で、グリーンは地下の電気室に来ていた。真っ暗な中を、懐中電灯で照らしながら手探りで進む。
「なんで引き受けたんだろ」
 後悔したってもう遅い。つい正義感で動いてしまったけれど、後の祭りだ。
「ブーイー」
「はは、ありがとう。イーブイ」
 肩に乗るイーブイを軽く撫でて、脚を前へ進める。進めようとして、職員につかまった。
「君! こんなところで何を……って、トキワシティジムのグリーンさん?! どうしてこんなところに?」
「……頼まれたので。俺も暇だったし」
 ――まあ、的外れな答えではないかと思う。まさか「困っていたので」とはアイツじゃなかろうし、何だかくすぐられている心地で言えやしない。
「そうですか、こっちです。あ、足下気をつけてくださいねー」
 いつの間にか先を行っていた職員に手を振りながら、前進する。
 だんだん視界が明るくなって、ついには昼間よりも眩しく感じるほどになる。その中心には巨大な機械と、その周囲に群がるでんきポケモン達。
「そういうことか」
「ええ。電気が食われて」
 電気代が、給料が。そう泣く職員を無視してグリーンはやる気満々のイーブイに指示を出す。
「よし、スピードスターだ」
「ブイッ」
 きらめく星が、でんきポケモン達を散らす。散れると同時に目の前の輝きが収まっていく。
 地上に戻ると、ほっとしたような表情でお姉さんが駆け寄ってきた。
「ありがとう、電気は正常に戻りつつあるみたい。これ、ほんのお礼なのだけれど」
 そう言ってお姉さんが差し出したのは黄色いピンバッジ。
「ありがとうございます」
 笑いそうになる口を必死に堪えて、グリーンは差し出されたピンバッジを受け取った。
 ――良い土産物ができた。

 マサラタウン。まっさらなまち。
 特にこれと言って事件は起こらず、住民は毎日のどかに暮らしている。
 しかし余りにも平和すぎると退屈にもなるわけで。
「博士ぇ、ポケモンバトルしましょーよー」
「なんじゃ、いきなり」
 一段落ついたブルーは、研究所のソファにだらしなく腰掛けたままそう言った。
「キクコさんがおっしゃってましたよ。『昔は強くていい男だった』って」
「そ、そうかの」
「そーですよ。さ、バトルです。博士」
 ブルーが椅子から身を起こす。
 博士が逡巡しているらしい間が空いた。
「しかしよくよく考えたらグリーンが帰ってくるんじゃろう? そしたら好きなだけバトルができるんじゃあないかの?」
「えー、何時に帰ってくるか分かんないですよ。ひょっとしたら夕ご飯時、いやいや真夜中かも」
「そんなことよりもブルー、準備はどうなっておるんじゃ?」
 博士のこの言葉に、ブルーは閉口する。
「どうしたんじゃ。仕上がっておるのか?」
「……まだ半分です」
「ブルー!」
「はい!」
 ブルーは威勢良く立ち上がる。ふと、棚の上のかわいらしい一群に目が行った。デフォルメされたポケモン人形がずらりと並んでいる。ナナミさんが持ってきたんだろう。
 棚に近寄り、そのうちの一体を手に取る。
「ああそれか、ナナミが持ってきては置いていくんじゃよ」
 予想通りだった。
「じゃ、持って行って構いませんか?」
「別に構わんが?」
「あ、行って来ますね」
 時計を見て、準備のためにブルーは研究所を出る。
 研究所を出たブルーを、妙な影が覆った。
「危ないからどいて!」
 ――ああ、懐かしい声だ。
 そう感慨にふけるよりも早く、ブルーは生命の危機を感じ、全速力で影の外へ飛び出した。
 目と鼻の先にリザードンが着地する。着地したリザードンと視線がかち合った。
「何すんのよ死ぬかと思ったじゃない! 着地するときはもっと場所を考えて降りてきてよね、レッド!」
「いやあ、いきなり出てくるなんて思わなくて、なあピカチュウ」
「ピッカ」
「なんで私が悪者みたいに言われてるの?」
「別にそんなつもりはないんだけど……」
 リザードンの背からピカチュウと共におりながら、レッドは言う。
 背後で羽音がした。振り向くと、ピジョットが丁度着陸するところだ。
「グリーン?」
「よ」
「久しぶりー」
 ブルーが戸惑いの声を上げ、グリーンは軽く手を振り、当のレッドは呑気そうだ。

 どうしてだか示し合わせたわけでもないのに、一年に一度、幼馴染3人が集まる日があった。
 どうやら今年は、今日がこの日のようだ。
「ああもう、レッドがいきなり来るから準備終わってないよ」
「ブルー、何それ。その人形」
「話を聞け」
 嘆くブルーなどお構いなしに、レッドはブルーが胸に抱く人形を目に止める。
「ピカチュウだ」
「ああ、うん。研究所にあったから」
 そう言ってブルーはオーキド研究所を振り返る。
「そんなもんあったか?」
 グリーンは首を傾げる。
「ナナミさんが持ってくるんだって」
 ブルーは人形を目の高さに持ち上げて呟く。 「レッドに渡そうと思ったんだけど」
「へー、すっごい偶然」
 グリーンはバッグの中からピンバッジを取り出した。黄色いそれは、ピカチュウのピンバッジ。
「なに、これ」
 堪えきれなくなって、ブルーは腹を抱えて笑い出す。グリーンも口元を隠してして笑っている。
「どうしたの、二人とも。ヘンなの。ねえ、ピカチュウ」
「ピィカ」
「ブーイ」
「あれ、イーブイ居たの」
「ブイ!」
 空は橙色に染まり始めている。紅く翳るマサラタウンに笑い声が響き、三人と、四匹のポケモンの影が伸びていた。