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沿革史
□ 清麻呂と高雄山寺
奈良の都が終わりを告げるころ、奈良・大安寺の僧慶俊を本願主とし、和気清麻呂が奉行となって、山背の西北にそびえる愛宕山を中心に修行の道場が開拓され、のちに愛宕五坊と呼ばれる寺々が建てられる。
そのうち現在残っているのは、高雄山寺改め神護寺と月輪寺だけである。
まもなく桓武天皇が平城京を廃して遷都されたのが、奇しくも愛宕山の眼下に広がる長岡京であった。
しかし、その造営をめぐって不吉な出来事やさまざまな悪条件が続発したので、清麻呂は桓武天皇に対し、ひそかに再度の遷都を奏上したと言われている。
延暦十三年(794)に平安京への遷都が断行されるが、二年後に清麻呂は新都市建設の長官を命ぜられ、平安京千年の基礎を固めてゆく。
そして延暦十八年(799)、六十七歳で亡くなると、高雄山中にその墳墓が祀られ、それ以後、和気氏の菩提寺として護持されてゆく。
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