暗がりといえど明石の沖までも
枚岡神社の北側をハイキング道路が設定してありまして、ちょっと山道を抜けますと、国道308号線に出ます。道しるべがいっぱいあるのですが「暗峠」を示す札が見当たらない。
とにかく国道こそが、その目指す峠への街道と心定めて、東へ東へ、この道がまたえげつない急勾配。
あ、よっとさのさ! |
坂を少し登ったところに松尾芭蕉の句碑があります。
菊の香りにくらがり登る節句かな
この句碑は、最初江戸時代に建てられていたのが、洪水で流されて行方不明になっていたのを、地元の人が明治時代になって建てなおしたものです。
ところが、大正時代に、元の句碑が見つかって、この坂を100mほど下ったお寺に補修して建ててあります。
芭蕉が、門人の争いの仲裁をするために伊賀上野から大坂を目指した道中。この暗峠を越える道で詠んだ句。菊の節句ですから九月九日ですね。この後、九月十三日には住吉大社で、後の月を愛でる句会に出る予定やったけど気が変わった(実は体調が悪かった)と言い訳の句
升買うて分別かはる月見かな
を詠んでいます。で、大坂・南御堂の門前の宿屋で亡くなるのは十月十二日。
当時としては決して若くない51歳、それも死が一月後に迫っているとは思えない強行軍でございます。
くらがり峠という名前のいわれはいくつかあるそうで、木々が生い茂って、昼なお「暗がり」やから、とか、あんまりの急な坂で、旅人が
ここで馬の鞍を代えたから「蔵代わり」の峠、昔は付近を小椋山といい、峠を椋嶺(くらがね)と言ったから…とかあるそうですが。
いや、国道とは名ばかり、軽自動車も通りあぐねるような細い、そして胸を衝くような急な坂が、ずんずん、ずんずん、ずんずん続いておりまして…はぁ、はぁ、…いや、ほんま、胸をつくという、表現が、ほんまに、その、とおり…うんとこ、うんとこ、ずんずん、ずんずん、どんどん、どんどん、と登ってまいります。はぁ、はぁ、はぁ…。木々は茂って、ほんに「暗がり」街道でございますよ。はぁ、はぁ、はぁ…。地図で見ると、枚岡から峠までほぼ直線で4km足らず。ハイキングにしたって、しれたぁる、とあなどったのが運の尽き。この直線と言うのが曲者でございました。ほんまに山道、ほぼまぁあっすぐに登っているのでございますよ。うっかり止まったら、仰向けに転がってしまいそうな…。
そう、これは「ころがり峠」ではございますまいか?
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途中、お大師さんをお祀りした真言宗のお寺がございまして、ちょっと奥に龍の口から滝がが流れ落ちる行場がありました。なんか、ぞわっとするような霊気を感じる場所。うろ覚えの般若心経を唱えて、先を急ぎました。
どうも、ハイキングコースとしては、東側の南生駒から登って、この山道を下るのがポピュラーなのでしょうか、かなり高齢の方々が三々五々、ハイキング姿で坂を下って来られます。
「こんにちは!…まだ、まだ、山道続きますよぉお。(にこっ!)」
「あ、さよか、おおきに…」
かなり登ったところで、振り返りますと
暗がりと言えど明石の沖までも…
と、明石までは見えませんが、大阪平野が足下に広がるのが見えます。あと一息…ぜぇぜぇぜぇ…。
突然、前の景色が開けて、段々畑やなんかが見えてくると、ほぼ峠はついそこでございます。 |
なだらかになった坂道を歩くと、江戸時代に整備されたという石畳の道が200mほど残っておりまして、なんとなく街道らしい風情。江戸時代の道しるべなどもあって、喜六清八もこの道を通ったのだなあと感慨深く風化した石肌をなでてみました。 |
峠には茶店があって、うどん、にゅうめん、カレーなど軽食が食べられます。にゅうめんとおにぎりを注文。550円也。なかなか素朴な味で、おいしく頂きました。
一服したあとは、道を北へとって生駒山上を目指しました。山上ケーブルで横着して帰ろうと思ったのですが、また、この峠から山上までのハイキングコースというのが、
「わけいっても、わけいっても、あおいやま」でございまして…景色も何にも見えません。一か所「パノラマ展望台」という眺望の良い場所がありますが、これは自動車専用道のドライブコースと交差した休憩所。で、山上遊園地に辿りついて、ケーブルカーによっこいしょと座り下山。
ケーブルの乗り換え駅は「宝山寺」というお寺。参道には「歓喜天」と記した大鳥居がございます。
フーテンの寅さん 第27作 浪花の恋の寅次郎では、マドンナの松坂慶子と出会うのが、この「聖天さん」として親しまれる宝山寺です。
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御本尊はお不動さんですが、それをお守りしている神様が「歓喜天」さまという現世利益を司る神様。象の姿の二体の神様が「合体」しているお姿をしているそうですが、これは秘仏になっております。神様も祀っているので鳥居があるのでしょうね。
象の神様といいますと「夢をかなえるゾウ」で、有名になったガネーシャさんでございます。平安時代から日本に伝わり「歓喜天」「聖天さん」として親しまれてきたそうです。大根と巾着のオブジェがあちこちにございます。現世利益の象徴なんだそうでございます。なんでや?って、ですか。それは、フロイトはんに聞いてもらうのがよさそうです。
境内に「生駒名物草餅 冷たい冷やしあめ」と看板がかかっていたので、店のおばさんに「ひやしあめ」と告げると
「冷やしあめはお土産用。お茶は飲んでもろうてもええけど、お志をおいてね」
と、にこりともせず、お皿に3個乗った草餅を差し出したので「あ、おおきにありがとう。お茶はこの湯のみで飲みますのん?」
「そう。今、お茶入れるから」と、アルマイトの茶瓶でお茶を出してくれました。
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門前はずーーーと階段になっておりまして、旅館が並んでおります。
ケーブル駅前の喫茶店に入るとおばあさんが、コーヒーを片手なべに入れて沸かしてくれました。
そのおばあさんに伺いますと昔、ここは、大阪の旦那衆が遊んだ花街やったそうで、「生駒芸者」とよばれる芸者さんが居てはったそうな。今は「コンパニオン」を呼ぶそうです。
「コンパニオンさんですか」
「そう。カラオケ歌ってね、お風呂に入って…、泊まりもむにゃむにゃ・・・」
「・・・・?」
・・・お風呂?…泊まり?・・・。
喫茶店を出ますと、その店の名前と隣の旅館の名前が同じでございまして・・・あ、あのおばあさんが、遣り手かぁ…。
と、言う訳で、・・・それから、さらに、どんどん、どんどん階段を下りますと下界につながっておりまして、近鉄生駒駅が見えてまいります。
本日の暗峠、生駒越え、これにてお開きでございます。
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