老人の昔語り その3

ステーキ・ハウスについて

 今月も昔語りになってしまいました。東海自然歩道に今年中に復帰できるのでしょうか。7月になれば少し雰囲気も良くなってくるだろうと期待していたのですが、またもやコロナがぶり返してきたようです。長引く梅雨で家に閉じ込められて、あほな「GO TO キャンペーン」のドタバタを暗澹たる気持ちで見ているしかありません。それにしても、どうしてこうなってしまうのでしょうか。伝染病が蔓延しているのに、政府が「外へ遊びに行きましょう」と旗を振るのはどう考えてもおかしなことです。
 さて、今回はどうしましょうか?先日牛肉をいただきまして、早速「ロースト・ビーフ」にしてみました。上手に焼けました。連想ゲームではありませんが、ここから発想を飛ばして、過去に行って印象に残っているステーキ・ハウスを思い出してみましょうか。最初に思い出すのは、アメリカのサンディエゴのステーキ・ハウスです。今から45年ほども前ですが、当時は小型機の訓練施設がサンディエゴの郊外のブラウン・フィールドにありました。私たちはそこで2か月滞在して訓練を受けました。そこの宿泊施設からメキシコの国境の街チュファナまではほんの数キロしかありませんでした。初めてのアメリカ滞在だったので、休日にはサンディエゴの街に出かけたり、パスポートを持ってメキシコのチュファナへ買い物に行ったりしていました。まだ20歳台で食欲も旺盛でしたから、先輩から名物「ステーキ・ハウス」の話を聞きつけて、早速仲間とタクシーで出かけて行きました。サンディエゴの郊外にあるお店は、西部劇に出てくるような雰囲気でした。
 入り口を入るといきなり超ミニスカートのオネーさんが出てきてびっくりしました。そのボインとミニスカートにド肝を抜かれているうちに座席に案内されました。暫くするとオネーさんは牛肉の見本を入れた篭を持ってきて、「サー、どれにする?」と注文を取り始めました。10種類ほどもある中から適当に「これ!」などと選ぶと、焼き加減を聞いて行きました。暫く待つうちにまず大きなボール1杯のサラダが出てきました。何とかサラダを食べ終えると、今度はスープが出てきました。スープを終えるとやっとのことでステーキが出てきましたが、400グラムはありそうな、どう見ても見本よりは大きいものでした。オネーさんの迫力とアメリカ人の食欲に圧倒された「ステーキ・ハウス」初体験でした。味は全然覚えていません。
 それから15年ほど後のことですが、ボーイング747の副操縦士としてアメリカ路線を飛ぶことになりました。最初は成田からロスアンゼルスの便でした。仕事上の苦労はさておき、泊まり先のロスの街でも様々なことを経験しました。当時は週に3便ぐらいだったので、2泊か3泊になるので滞在も比較的ゆっくりすることができました。ただ、街の治安が悪くて油断も隙も無いといった有様でした。このころに起こったロス暴動にも遭遇しました。空港からのバスが、暴動で焼き討ちにあったスーパーマーケットの前を通ったりしました。話がそれてしまいそうです。肉の話でした。クルーが大勢で食事に行くときには、「ローリーズ」という全米展開しているステーキ・ハウスに行くことがありました。プライムリブが名物のお店ですが、大都市ならどこの街にもあるので、私の中では、どこかで食事に困ったときは「ローリーズ」ということになっていました。
 ロスアンゼルスで思い出すのは、コリアンタウンの焼き肉です。全米最大規模のコリアンタウンは、ロスの郊外の広い区画全部が韓国となっているような町でした。ロスの日本人街リトルトウキョウは有名ですが、土産物屋、食堂、スーパーマーケットなどが主な職種でしたが、コリアンタウンは街のあらゆる仕事に韓国人が乗り出しているようなのでした。ホテルからコリアンタウンまでは歩いて20分ぐらいの距離でしたが、治安が悪いのでいつも5、6人で周囲に気を配りながら歩いて行きました。そんなコリアンタウンの中にある焼き肉屋はさすがの規模と賑わいでした。体育館かと思うほどの広さの店内はいつも客でごった返していました。肉を注文して待つ間に、キムチバーで沢山あるキムチの種類の中から無難そうなのを選んで持ってきます。得体のしれない魚の内臓のようなものや初めて見るような野菜は避けて、大根、白菜、キュウリなど無難なものを持ってきてビールのつまみにして待つことになります。暫くするとウエイトレスが肉を持ってきて、焼き網の上にいきなり全部の肉を載せてトングでひっくり返しながら焼いて行きます。日本の焼き肉では食べる量だけ乗せるのですが、ここではガバーッと焼いて行きます。出来上がると「食べていいよ」と言って、愛想の悪いウエイトレスは去って行きます。「愛想のいいオネーさん」に当たった記憶がないのです。いっぺんに焼かれたものですから急いで食べるしかなく、みんな無言で食べ進みます。こんな具合ですから、あっという間に食べ終わり、あとは勘定して帰ることになります。帰り道も怪しい奴がいないか周囲を見張りながらホテルまで歩いて帰るのでした。
 ニューヨークでステーキと言えば、マンハッタンの44th STの「Ben&Jacks」を思い出します。泊まっていたホテルが国連ビルの近くにあり、そこからグランド・セントラル駅に向かって歩いて行くと右側に店があります。散歩中に前を通りかかった時に、落ち着いた店構えに「ムムっ」と心に響くものがありました。日を改めて予約して行ってみました。店内は落ち着いた雰囲気で、入り口にはバー・カウンターがあり、受付のデスクで予約を確認するとウエイターがテーブルに案内してくれました。分厚いワインリストとメニューから注文するのですが、メニューに「Steak for 2」とか「Steak for 3」という見慣れないものがありました。ウエイターに聞いてみると「2種類か3種類の肉を食べたい人用」とのことでした。試しに「Steak for 2」を注文してみました。スープを飲み終わって暫くすると、ワゴンに載せた焼きたての肉が出てきました。ウエイターが皿に2種類の肉を切り分けて載せてくれます。炭火で焼いたフィレとリブアイは絶妙の焼き加減で両方とも堪能しました。なる程、こうすれば人のお皿から味見と称して肉が行き来する気まずい状況も無くなるわけです。すっかり気に入って、ニューヨークへ行った時にはここのステーキをよく食べに行きました。
 月に3回以上も通っていたアラスカのアンカレッジのステーキ事情について書いておきましょう。元々「ステーキ」という料理はアメリカではどこのレストランでもあり、手ごろな値段で普通に食べて満足のいくもので、何を食べようかと迷ったときにはよく注文するものです。だから、アンカレッジのレストランにもメニューの中に当然入っています。ステーキ専門店としては、ダウンタウンのショッピング・モールの前の通りの「クラブパリス」という小さな店があった程度でした。ホテルから歩いて行ける距離なのでこの店には時々お世話になりました。この店は残念ながら数年前に閉店しました。さて、そんなアンカレッジに本格的ステーキ・ハウスとして「ベニハナ」がオープンしました。町の話題になりましたが、私としては料理とは関係ないペッパーミルの踊りを見せられるのが気に食わないので行きませんでした。20年以上経ってもまだつぶれないところを見ると、一定のお客は入っているのでしょう。その後、ショッピング・モールの一角にステーキ・ハウス「サリバン」がオープンしました。これは全米展開している大手のステーキ・ハウスで、さすがに堂々とした店構えでした。早速行って食べてみました。特筆すべきはサラダです。子供の頭ほどもあるレタスを真っ二つに切ってその上にお玉一杯のドレッシングをかけているのです。特大のお皿に大きなポテトと揚げた玉ねぎのリング、主役の分厚い牛肉が載っている、これぞアメリカの国民食といった感じでした。
 あれほどに往復していたアメリカに行かなくなって、コロナ禍に苦しむ世界のニュースを見るにつけ、昔通ったレストランのことが思い出されます。さぞ苦境に立たされていることでしょうが、なんとかこの災難を生き延びて、美味しいメニューを提供し続けてもらいたいものです。