「北海道周遊とサハリン」クルーズの旅 その3
-旅の後半は樺太から小樽、函館へ-
2019年7月15日 曇りのち晴れ
真冬にはびっしりとアムール川河口付近から流れてきた流氷に覆われているはずのオホーツク海も、この季節には気温15度前後の穏やかな夏の海になっています。サハリンは日本と時差が2時間あると言われて、時計を進めました。明るくなってきたので外を見ると、船は港の沖合に停泊していました。コルサコフ(日本名 大泊)に到着したようです。航海日誌によると「午前5時14分に錨をおろした」とあります。コルサコフにはこの船が接岸できるような岸壁はないので、ボートに乗り移って上陸する作戦のようです。DIAMOND PRINCESSには非常用の救命ボートが積まれていて、それは乗客と乗組員全員は余裕で乗れる座席数の筈ですから、3000人以上分のキャパシティーがあるのでしょう。普段はプロムナードデッキに片舷11個ずつ吊ってあるので、22隻の救命ボートがあるわけで、それぞれが100人以上乗れる大きさです。コルサコフではこのボートをおろして、ウォーターシャトル・サービスと称して乗客を陸まで運ぶようです。昔の仕事の習性で、余計なことを考えてしまいます。こういう非常用の道具は法律で定期点検と動かす人間の定期訓練が義務付けられているはずなので、こういった機会に「非常用設備の点検と作動チェック及び乗員の非常訓練」をやっているのではないかいな?と考えてしまうのです。乗組員がボートの準備をしている間は、乗客は普通に過ごしています。
事前申し込みで、サハリン観光は5つのコースに参加できるようになっていたのですが、初心者の手際の悪さで、気が付いた時には州都ユジノサハリンスク(豊原)へのツァーはすでに一杯になっていて、「コルサコフ散策」という2時間で終わる一番簡単なものしか残っていませんでした。最長4時間40分かかる豊原行きのツァーバスが優先なので、我々は午後の上陸になりました。ロシア上陸に際しては、正式にはヴィザを取得する必要があるらしいのですが、団体でゾロゾロとかたまって動く場合は、特例でヴィザが要らないことになっているようです。つまり、はぐれたら大変なことになるということです。現地時間13時過ぎに、救命ボートのウォーターシャトル・サービスに乗り込みました。ボートは7、8台降ろしているようで、船と港の間をひっきりなしに行き来しています。15分ぐらいで乗船場について、樺太の地に上陸しました。
天気は晴れで、気温が20度ぐらいまで上がっていて快適ですが、港の埃っぽい場所でバスの到着を待たされました。沖にはわがDIAMOND PRINCESSが巨大な船体を浮かべているのが見えます。ロシアの、なんとなく偉そうに見えてそのくせ何も仕事をしていないような役人がそこらに立っています。やっとバスが来て、総勢30人くらいの我々の「散策ツァー」一行が乗り込むと、バスは動き始めました。ボランティアのガイドみたいな(たぶん学生)おねーちゃんが、バスに同乗して案内してくれるようです。まずは港の後ろにある丘に登って行くと、展望所のような小公園があり、そこからは工場の屋根の向こうにコルサコフの港が見えました。滞在15分で出発して、アパートなどが並ぶ通りを行くと、公園のそばの公民館のような建物に案内されました。中に入ると、手作り民芸品などの素朴な物品が並べられていて、地元の人たちが愛想笑いを浮かべて対応してくれました。劇場の椅子に座っていると、民族舞踊が始まり、30分ぐらい踊ってくれました。ゾロゾロと外に出て先ほどの物産売り場に行き、マトリューシカやら民族衣装を着た人形やらを見ることになりました。「ルーブルでもドルでもいいよ」とのことでしたが、買いたいものはありませんでした。
民族舞踊とお買い物の後は、ガイドさんの後に着いて公園まで歩きました。10分ほどでレーニン像のある公園に着きました。ガイドさんによると、ソ連崩壊の時に、ロシア全土にあったレーニン像の大部分は破壊されたそうですが、ここはそのまま残されたそうです。ここは元ロシアの流刑地だったはずですが、住んでいるのは比較的穏やかな人たちの子孫なのでしょう。公園で手作りアイスを売っていたので食べてみました。鉄板の下にドライアイスを置いて、鉄板にシロップを流して、それをかき回して凍らせるという、極めて素朴なアイスでした。バスに乗って港に帰り、救命ボートに乗って船に戻ってきたのは午後4時でした。3時間余りの滞在でしたがロシアの雰囲気が楽しめました。船の生活に戻って、夕食を食べたり船内をぶらぶらしたりするうちに、船は錨を上げて次の寄港地小樽に向けて走り始めたようです。
2019年7月16日 晴れ
朝、明るくなってきたのでバルコニーに出てみると、左舷に陸地が見えました。増毛、留萌の海岸線のようでした。本船はコルサコフから宗谷海峡を通って、たぶん利尻礼文と稚内の間の日本海を南下してきたのでしょう。石狩湾を左に見ていよいよ小樽に入港です。船は午前7時30分に小樽港勝納埠頭(普段は新日本海フェリーが使用している小樽港で一番大きい埠頭)に接岸しました。隣に舞鶴行きのフェリーが停泊していましたが、1万5千トンを超える大型フェリーも、さすがに小さく見えました。8時30分に上陸して、小樽の町に向かって歩いて行きました。勝手知ったる町ですから、今日はもちろん自分でウロウロするつもりです。
埃っぽい国道を歩いて行くと、堺町の観光スポットに出ました。ここから小樽運河までは、随分と賑わっているようです。お菓子屋さんを冷かした後に運河を見物しました。それからタクシーに乗って、長橋に住んでいる知り合いを訪ね、1時間ほどお話をしました。そこからタクシーで祝津へ行きました。昔、学生時代にどうしようもなく暇なときによくふらりと行った、水族館と鰊御殿があるところです。水族館に入るのは時間の関係で省略して、鰊御殿を見物した後に青塚食堂という店で昼食を食べました。店先で焼いている鰊に引き寄せられたといったところでしょうか。お店は繁盛していました。大型バスで外国人の団体客が来て、結構高い刺身やらカニやらを注文しています。我々は焼き魚とイカ焼きにビールですから、肩身が狭い思いになります。
昼食を終えて、そろそろ町へ帰ろうと祝津漁港を歩いていると、「小樽行き観光船乗り場」という看板が目に入りました。確か40年前にもここと小樽港を結ぶ船が夏場だけ運行していて、幾度か乗った記憶があります。切符を買って待っていると、数人の客を乗せて小樽からの船が着きました。折り返しの船に乗って、気持ちのいい午後の日差しの中を、祝津の日和山灯台などを眺めながら、15分で小樽港に帰ってきました。海から見ると一層迫力のあるDIAMOND PRINCESSの巨体が見えました。
観光船の乗場から小樽運河を通って、毎年お歳暮の買い物を注文している花園町の小町商店を冷かして、その後はタクシーで天狗山に行ってみることにしました。冬はスキー場で名高いこの山は、夏も観光用にロープウェイが山頂まで動いているのです。50年前の学生時代、スキーを滑るというよりは、急斜面を転げ落ちてばかりだったのが私の天狗山の思い出です。展望台からすり鉢状に広がる小樽の町と石狩湾の懐かしい風景を堪能して降りてきました。タクシーで小樽築港駅隣接のショッピング・センターに立ち寄り、そこからは歩いて船まで帰ってきました。
今夜は2度目のフォーマル・ナイトで、いつもの食堂のいつもの席で夕食を楽しみました。せっかくネクタイして出てきたので、食事の後は800人収容の大劇場でショーを1時間楽しみました。船は午後6時半頃に小樽港を出て、積丹半島を廻って函館に向かって走っているのでしょう。
2019年7月17日 晴れ
朝起きて外を見ると、左舷に陸地が見えました。位置情報をテレビで確認すると、どうやら船は津軽海峡に入っているようでした。暫くすると函館山の北にある大きな港町埠頭への接岸操作に入ったようでした。午前8時頃に無事接岸したようでした。我々乗客はのんびりと朝ご飯を食べながら様子を見ています。そろそろ観光バスに乗る人たちが下船し始めたので、9時頃から降りる準備をしました。今日も我々は単独行動です。船を降りて、まずは歩いて五稜郭公園を目指しました。暫くは国道に沿って歩いて行きましたが、一向にそれらしいところには近づかず、五稜郭タワーが遠くに見えるだけでした。歩きは諦めてバス停を見つけてバスに乗ることにしました。10分ぐらいバスに乗って、やっと五稜郭に到着しました。タワーのてっぺんからの景色を楽しんで降りてきました。そろそろ昼になってきたので、街のほうに歩きながらお店を探していると、こぎれいな寿司屋があったので、入ってみました。昼前の店は私たちだけで、大将に色々と函館情報を教えてもらいました。ビールとお寿司でいい気分になって、次の目的地の湯の川温泉に向かいました。タクシーで行った先は「啄木亭」という旅館でした。800円払ってお風呂に入れてもらいました。最上階にあるお風呂からは函館空港が見えました。ゆっくりと湯船につかっていると、昔ロシアのミグ25が函館空港に飛来して大騒ぎになったことを思い出しました。丁度その時にゴルフで遊びに来ていたのですが、飛行場の駐機場の片隅に厳重に覆い隠されたミグが止まっていて、緊張感漂う警備員をみました。確か、パイロットのベレンコ中尉は湯の川温泉に泊まって、翌日三沢経由で米国に亡命した筈です。
温泉でいい気分になって、次の目的地は函館駅です。路面電車に乗って行くことにしました。湯の川温泉から乗って15番目の停留所が函館駅前です。小樽の学生時代に、四国の実家に帰る為にはるばる小樽から5時間列車に乗って着いたのがこの駅でした。青函連絡船で青森まで渡るのですが、嵐で欠航になって駅のベンチで夜を過ごしたこともあります。駅のすぐそばに函館朝市があって、そこの食堂で朝ご飯を食べた記憶があります。駅舎はすっかり新しくなっているし、青函トンネルができたので連絡船も無くなっています。昔に比べてすっかり寂しくなった朝市は、午後になっているので更に侘しさを増していました。そろそろ夕方になってきたので夜景を楽しもうと函館山に登ろうとしましたが、生憎と低い雲が函館山にかかってきました。山に登っても霧の中では仕方がないので諦めて夕食の店を探しました。昼の寿司屋の大将に聞いた駅前にある「変わった店」を探して歩きましたが、なかなか見つかりません。やっと探し当てて入ろうとしましたが、「今日は貸し切り」と入れてくれませんでした。もう店探しが面倒になってきたので、昼に行った寿司屋に戻って食べることにしました。生きたスルメイカのイカソーメンに日本酒などでご機嫌になって店を出たのは8時過ぎでした。帰りにスーパーでお土産を買って、タクシーで船に戻りました。
2019年7月18日 曇り
昨夜11時に函館を出港したDIAMOND PRINCESS津軽海峡を東に走って太平洋に出ました。今日は終日クルーズで、青森、岩手の陸岸を見ながら南下していきました。いよいよ明日で今回のクルーズも終わりです。朝食を済ませて一休みして、大劇場での料理ショーを見に行きました。料理長が出演して中々の芸達者ぶりを披露してくれました。昼食の後は昼寝、その後でプロムナードデッキを1時間歩きました。一周700メートル弱を6周しました。夕方にはBINGOゲームに参加しましたが、すべて外れでした。夕食の前にスーツケースに荷物を詰め込んで、明日の下船の準備をしました。今夜の食事は、いつものレストランではなくて、予約しておいたイタリアン・レストランです。ワインを開けて、サラダやステーキを楽しみました。
ところで、この船には当然ながらカジノが設置されています。横浜を出港するときから見ていたのですが、実に寂しいものでした。最初の頃こそ珍しさに少し人が入っていましたが、段々それも減ってきて最終日までガラガラで、スロットル・マシーンすら誰も座っていませんでした。いましきりにIRとか言っていますが、動くIRといった感じのこの船ではまるで商売にはなってないようでした。カジノを作ると騒いでいる地方自治体は是非視察してほしいと思います。冷静に判断しないと、とんでもないことになるでしょう。昨年行ったオーストラリアのパースにもカジノがありましたが、郊外の強大な施設は閑散としていました。
2019年7月19日 曇り
ついに下船の日になりました。船は午前5時には東京湾を北上して、6時半にベイ・ブリッジを通過しました。そして大桟橋に接岸して今回の旅は終わりになりました。下船して荷物を確かめて宅配便で送り、シャトル・バスでJR桜木町まで送ってもらいました。ブルーラインで新横浜まで行って新幹線に乗り換えて、新大阪には13時に到着しました。
念願の樺太にもちょっとだけ上陸できたし、懐かしさいっぱいの北海道の港町を海から訪れたのはいい経験でした。船の旅が丁度楽しく過ごせる年頃になったのかもしれません。心配していた体重は少しも変化ありませんでした。