東海自然歩道 その44
−東津汲から横蔵寺まで−
2018年3月12日 晴れ
10日ぶりの東海自然歩道です。もう雪も残っていないだろうと判断して、3か月敬遠していた谷汲山に挑戦します。2月に先行して神海から岐阜まで歩いているので、行程的には遡ることになります。前日の夕方に移動して、大垣で前泊したので元気いっぱいです。
桜はまだ蕾です
午前7時46分発、養老鉄道の揖斐行きに乗り、8時12分に到着しました。 快晴です。この冬の寒波で沿線の桜はつぼみやや膨らむといった感じです。今は梅が満開になっています。8時35分揖斐駅発の揖斐川町コミュニティーバスで東津汲へ向かいました。名前の通りに町民のためのバスですから、途中揖斐川町役場を経由します。外を見ていると役場の入り口に「さざれ石」と書いた立て札があり、大きな石が置いてありました。
君が代の歌詞の「君が代はさざれ石の巌となりて苔のむすまで」という部分には子供の頃から疑問を感じていましたが、歌詞の内容を調べたことはありませんでした。岩は風化して割れて小石(さざれ石)になるのがものの道理ではないかと思っていたのです。帰って早速Wikipediaで調べてみました。石灰石の小さな石が堆積したところに、石灰分を含んだ水が流れ続けると、丁度鍾乳石ができるように小石同士がくっついて、全体が岩になるという理屈のようなのです。日本の所々で産出するようですが、揖斐川町もそのひとつのようです。バスは役場を経由して走り、町内のバス停で一人降りて、二人しかいなかった乗客が私一人になりました。9時5分に東津汲に到着しました。前回は昨年の11月1日に鍋倉山を越えてここまで来ました。
高知川 今回は大きな迂回路
高知川と揖斐川の合流点から09時10分に歩き始めました。09時44分に高知川沿いの「小津トンネル」にさしかかりました。本来の東海自然歩道は川沿いに山道を行くのですが、道路のり面崩壊により通行止めとなっています。大嫌いなトンネルを歩くことになりました。トンネルを出たところが、出発から1.6キロ地点でした。舗装道路を歩いて行くと、3.4キロ地点で本来の下辻峠に向かう東海自然歩道の分岐点にさしかかりました。ここから山道に入り峠を越えて両界山横蔵寺へ向かうのですが、ここも通行止めで迂回路が設定されています。雪解け直後でもあるし、ここは無理をせずに迂回路を行くことにしました。
舗装道路を高知川に沿って歩いて行くと小津の集落があり、さらに30分ほど歩いて行くと、「月夜谷ふれあいの里」という農業体験施設がありました。
10時35分、出発から5.2キロになっていたのでここで一休みです。自然歩道の迂回路はここから山に入りますが、舗装された林道を歩くようです。曲がりくねった林道を緩やかに登って行きます。背後には奥揖斐の残雪の山々がきれいに見えました。30分ぐらい歩いたところで狐とバッタリ出会いました。林道のカーブのところで狐が20メートルほどの距離でこちらに向かって歩いてきました。向こうも気が付いて一瞬立ち止ったあと「おや、御免なさいよ」といった感じで方向転換して歩いて行きました。走って逃げないところがいかにも狐らしいと思いました。
横蔵寺の築400年を超える建築物
更に登って行くと残雪が残っていました。11時45分に標高567メートルの峠らしいところで休憩しました。出発から8.6キロ地点での昼食となり、残雪の山々を眺めながらお結びをほおばりました。降りの舗装道路をひたすら歩いて行きました。途中に一か所、がけ崩れになっているところがあり、恐るおそる脇を抜けました。午後1時頃に東海自然歩道本線、下辻越えの道に合流しました。この間、距離的には2倍以上の距離があったようです。上神原の集落から川沿いに登って行くと横蔵寺がありました。本日は15.1キロ歩きました。揖斐行きのコミュニティーバスが来るまでの間、横蔵寺の歴史ある建物を見物しました。1時間ほどでバスが来て、揖斐駅まで40分、200円で乗せてもらいました。そこからは大垣、米原、新大阪と乗り継いで帰ってきました。
(累計 730.4キロ/1700)