アラスカ2018年2月





 ここ2年は東海自然歩道を歩いているうちに過ぎてしまったような印象が強いのですが、気が付いてみるともう4年もアンカレッジに行っていませんでした。年間のスケジュールは夏場がゴルフ中心で埋まってしまい、それに加えて2年前から東海自然歩道を歩き始めたので春から秋は更に忙しくなって、どうしても長期の旅行は冬になってしまいます。昨年11月に決心して、2月にアンカレッジのシゲ子さんに顔を見せに行こうと決めて、デルタ航空の格安チケットを買いました。2月5日から15日までの日程です。前回は4年前の11月で、冬の始まりの季節で、日本の北海道の冬ぐらいの気候でした。その2年前は1月下旬の大寒の頃に行きました。この時は最高気温が−20℃という厳寒でした。毎日ダイヤモンドダストが一日中きらきらと光っていました。
 1月にシゲ子さんに電話すると、病気で外科手術をするという話で、びっくり仰天して一時は旅行を中止しようと思いましたが、引き続きロシア人のアレックスに情報を収集させていました。その結果、手術は成功して、丁度2月ごろには家に帰ってくるとの話で、予定通りの日程でヘルパーさんとして行くことにしました。

2018年2月5日

 伊丹空港12時30分発のJAL116便で羽田に向かう。昼ご飯は空港でカツカレーを食べる。定刻に到着して、働いていた頃に日常的に利用していた成田行きリムジンバスに乗る。道路は順調、2時間前に成田空港に到着した。早速デルタ航空でチェックインして荷物を預けて身軽になる。昔と同じで荷物の半分は食料品でかなり重いが、今回はビジネスクラスなので超過料金の心配はない。出国前に携帯用のWiFiを借りて、ついでに旅行傷害保険にも入った。飛行機はデルタ航空116便で、ボーイング767の長距離仕様だった。ビジネスクラスの座席はフルフラットだったが、この前乗ったエアバス350よりも少し狭い。定刻に離陸して太平洋上を北東に飛んでいく。早速食事が始まったが、座席が5Dと前方にも関わらず、和食をたのむとすでに売り切れとのことだった。仕方なしに鳥の胸肉を注文したが、ぱさぱさで食べられない。オードブルの野菜サラダとワインで済ませた。あとは毛布にくるまって寝た。7時間半の飛行時間で、到着1時間前にあたふたと朝食の準備が始まった。焼きそばがあったので注文したが、半分で止めてしまった。ビジネスクラスでもアメリカの会社の飛行機には食料を持って乗ったほうがいい。
 低い雲が垂れ込めるシアトル・タコマ空港に無事着陸した。ここでアンカレッジ行きの便まで2時間あったが、入港審査で1時間以上並ばされてしまった。「こんなことをしていると、だれもアメリカに遊びに来なくなるよ、トランプさん」というのが感想。幸い荷物検査はなく、なにも取り上げられなかった。前回はカレーのルーを没収された悔しい思い出がある。アンカレッジ行きデルタ航空2588便は満席だったが、ボーイング737の1Aの座席に座れた。飛行時間3時間半でアンカレッジの見慣れた真冬の景色が見えてきた。午後3時に到着してタクシーでシゲ子さんのアパートに向かう。外の積雪はほぼ平年並みの80センチ前後。気温は−7度だった。
 シゲ子さんと再会、とりあえずは家に帰れて起きていたので一安心する。夕食は冷蔵庫に入っているもので作る。冷凍のキングサーモンを解凍して焼く。とりあえずサラダを作りご飯を食べながら積もる話をする。手術は無事終わって、昨日から自宅に帰っているらしい。それまでは息子のゲーリーの家にお世話になっていたとのことだった。夜9時頃にロシア人のアレックスが来る。続いて貨物航空の日本人パイロットが一人で訪ねてきた。シゲ子さんには早めに寝てもらって、3人で11時ころまで飲む。

2月6日 小雪 −4℃

 9時半に起きる。2月になると徐々に日が長くなってきていて、すでに外は明るい。ただ気温が−4℃と高く、雪が降っている。この地方では気温が上がると雪が降りやすい。シゲ子さんも起きてきたので、昼ご飯に持参した油あげでいなりずしを作る。大きなお皿に20個のいなりを盛る。午後になり、シゲ子さんは検診に病院へいく。留守番をしながら読書。夕方、昨日来たパイロットさんとアレックスが来て少しビールを飲む。今日は外出せず。

2月7日 晴れ −6℃

 10時に起きる。シゲ子さんも同じような時間に起きてくるので時差ボケの体には誠に都合がいい。昼ご飯を作って食べながら昔話をして時間を過ごす。天気がいいので1時から散歩に外出する。勝手知ったるアンカレッジの町を歩いているうちに、だんだん気温が下がってきたのでアパートへ帰る。シゲ子さんは夕方リハビリの病院へ行った。様子を見ていると、シゲ子さんはなかなかの食欲なので安心だ。大嫌いなレバーを食べろと言われているらしく、「なんか作ってほしい」と言われる。冷凍になっている牛のレバーを戻して、一つはショウガ醤油で煮る。もう一つは片栗粉にカレーパウダーを混ぜて油で揚げる。シゲ子さん、頑張って食べている。
 
2月8日 晴れ −14℃

 今朝は気温が下がって−14℃になっている。ブランチはシゲ子さんのリクエストでオムレツを作る。ハムを入れてほしいということで、アメリカ風の巨大ハムオムレツを作る。それと前日までの残り物で食事を済ませる。12時半から散歩に出る。昨夜出来た霧氷で町は真っ白に化粧している。写真を撮りながらスーパー・サガヤへ向かう。町を通り抜けてスーパーまで行って帰ってくるのに2時間かかった。−11℃は寒かった。夕食は鍋焼きうどんを作ってシゲ子さんと食べる。8時過ぎにアレックスが来て一緒にビールを飲む。アレックスはアラスカ大学で日本語を教えている変なロシア人なので、彼の授業が終わってすぐ駆け付けて来てもこんな時間になってしまう。今日は時差ボケがぶり返したのか寝つきが悪く、明け方まで読書で切り抜ける。

2月9日 晴れ −14℃

 昼前に起きて昼食を食べて、日課になったシゲ子さんとのおしゃべりで時間を過ごす。話は生まれ故郷の樺太、北海道の留萌からアメリカのニューメキシコ、シカゴと飛んで面白い。午後にアパートの管理人夫妻が郊外のコストコへ連れて行ってくれるというので、車に同乗して行く。広いコストコの店内をシゲ子さんは、ゆっくりしたペースながらしっかりした足取りで歩いている。肉のコーナーで骨付きラム肉を見つけたので買う。2時間の外出だった。夕食はポテト・サラダ、ラム・ステーキ、シゲ子さんのリクエストでマーボー豆腐を作った。骨付きのラム・ステーキはうまかった。あとでアレックスも来たのでステーキを焼く。さらに後から元シゲ子さんの家の下宿人であったマサ君(今は日本でアラスカ物産社長)が顔を出す。仕事で来たらしいが久しぶりに再会できて話が盛り上がる。





2月10日 曇りのち雪 −7℃

 昼前に起きてブランチを作り、シゲ子さんと食べる。あとは夕方まで読書。今日は土曜日なので、シゲ子さんの息子のゲーリーの家で晩御飯をごちそうになる予定。二人で冷凍庫の奥に眠っていたトナカイのひき肉を引っ張り出してきて餃子を作る。100個作って半分を揚げ餃子にしてゲーリー宅に持っていくつもり。トナカイの肉というと食べないので、黙って食べさせればわからないだろうという作戦だ。夕方にアレックスが迎えに来てくれて、小雪が舞う中を郊外へ向かう。途中でスーパーマーケットによって、シゲ子さんは孫やひ孫にお土産を買う。6時頃にゲーリーの、シゲ子さんに言わせれば「小さい家」に到着した。一戸建ての家はベッドルーム3つにキッチン、居間、談話室とガレージに裏庭までついて、日本人的にはとても広い家だと思う。ゲーリーの奥さん、イメルダが作ってくれたキャベツのサラダ、スーパーで売っているむきエビのオードブルなどが食卓に並ぶ。ゲーリーは、アメリカ人の夫の唯一の得意技バーベキューを裏庭で焼いている。日本では売っていないサイズの豚のリブラックができてきた。子供たちはトナカイ肉の揚げ餃子をぱくついている。作戦は成功のようだ。たまたま居合わせたイヌイット(エスキモー)のおばさんが「カリブーの肉あるけどいるか?」と聞かれたので「もちろんいる」と答えたら、車から1.5キロほどの塊を持ってきてくれた。病み上がりのシゲ子さんがいるので早めにお開きにして、9時頃に帰ってくる。

2月11日 晴れ −8℃

 昼過ぎから散歩に出た。町を通り抜けてスーパー・サガヤへいく。野菜を少し買って帰る。8千歩の距離をゆっくり歩くので1時間半かかる。3時頃に帰って来て、昨日もらったカリブーの肉でシチューを作る。夜にアレックスとマサ君が来たのでカリブー・シチューを食べさせる。好評だった。

2月12日 曇り −7℃

 昼前に起きる。ブランチを食べて、シゲ子さんとおしゃべりして過ごす。夜中に日本から電話があったようなので、電話してみる。北海道の後輩にかけてみると、「樽」の中島さんが亡くなったとのこと。あまりの衝撃にただびっくりするのみ。12月の50周年記念では元気だったのに。ここからでは葬儀には間に合わないので、日本に帰って小樽へ行くことにする。
 夕方、アレックスがコストコへ買い物に連れて行ってくれる。特に買い物はなく、チョコレートを一箱買う。帰って来て夕食にRedsnapper(タイの1種)が冷凍庫にあったので、解凍して和風の煮魚にする。昨日のカリブー・シチューはカレーにリメイクする。いずれも好評。

2月13日 晴れ −4℃

 あっという間に8日間が過ぎて、今日がアンカレッジ最終日となった。シゲ子さんはイメルダが迎えに来て病院へ検診に行った。読書しながら留守番をする。夜になってアレックスとマサ君が来て一杯飲む。明日は4時起きなので早めに寝ようとするが、そうはうまくいかない。

2月14日 曇り −5℃

 朝4時に予約しておいたタクシーが来た。シゲ子さんとお別れして空港に向かう。早朝暗いうちに雪の中を空港に向かっていた昔を思い出す。もう10年以上前の話になる。空港のカウンターですごく機嫌の悪いおねーちゃんにチェックインしてもらう。荷物は成田で受け取ることになっている。アラスカ航空98便は定刻に出発して3時間でシアトルに着いた。乗り継ぎ時間が2時間足らずなので、デルタ航空のラウンジでジュースを飲んで、すぐに成田行きのデルタ167便のゲートに向かう。飛行機は満席で、定刻に出発した。食事はステーキを注文したが、完全に焼きすぎで硬くてパサパサになっていて食べられず、例によって野菜サラダとワインで終わる。出発の時にシゲ子さんが握ってくれた大きなお結び2個がとてもありがたかった。

2月15日

 途中で日付が変わって、15日の午後3時半頃に成田に到着した。携帯WiFiを返してバスに乗る。途中少し渋滞にあったが、全日空の伊丹行き最終便に間に合って帰ってくる。


 終わってみればあっという間でした。やはり、長く関わってきた街に帰るということは、なんとなくほのぼのとした雰囲気にひたれるものです。今更観光でもなく、その街に潜り込んで静かに生活することに満足感を覚えます。今回もアンカレッジでの外食はありませんでした。シゲ子さんの病後のリハビリに少しでも手助けになったのであれば満足です。