智明寮寮生大会FINAL


 昔、小樽商科大学に学生寮がありました。智明寮という名で、小樽の街の人が地獄坂と呼ぶ、急な坂道を登り切った所でした。そこから先は熊笹とカラマツの原野で、寮の地番は「小樽市5丁目番外地」でした。建物は意外としっかりしていて、鉄筋3階建てスチーム暖房完備でした。
 7月下旬に北海道の小樽で、その智明寮の同窓会がありました。今から56年ほど前の、昭和44年度入寮組です。当時は「70年安保」で世の中は騒然としていました。学園闘争真っ只中、たくさんの大学がバリケード封鎖中で、東大の入試が中止になった年です。この年の春に44名の新入生が、寮の生活がどんなものか何も知らずに、ただ寮費が安いという理由だけで智明寮の入寮審査を受けて入寮しました。それから50年あまりが過ぎて、大半の寮生は無事大学を卒業して社会人となり、世の中を何とか渡り切って今はめでたく後期高齢者となった訳です。
皆さん60歳代までは結構仕事をしていたようなのですが、流石に70を過ぎると暇になるようで、この頃からしきりに同窓会の誘いが増えてきました。大学や寮の同窓会は勿論、応援団や部活のバスケット部の分もあり、加えて居酒屋「樽」の開店記念は欠かせないとなると、同窓会のための小樽訪問も結構な回数ありました。これからもだらだらと続いて行ってもいいのですが、われらが同級生で世話好きの幹事が「年も取ってきたし、ここらで一区切りつけようではないか」と今回の同窓会の発起人になってくれました。こうして昨年の暮れに「s44智明寮寮生大会in小樽final」の準備が始まったのでした。仕事のできる幹事は、早速同窓会の日時と場所をグループラインで登録者に通知しました。「7月18日18時に小樽に集まれ。宿泊ホテルを希望する者は申し出ること。航空券は自分で手配すること」という実に簡潔なメールが全国を駆け巡りました。私も参加と即決し、とりあえず早割の航空券と必要なホテルを予約しました。あとは半年後に小樽へ行くだけです。勤勉な幹事さんは、宴会場やホテルの予約、名簿の更新と忙しく働いているようでした。結局44名の44年度入寮生の内22名が参加することになりました。

  

  
 
 その半年はあっという間に過ぎて出発の日になりました。最終的には旅程は3泊4日になりました。初日はレンタカーで富良野まで行ってレストランでごちそうを食べて、二日目はラベンダー畑を見物することにしました。これまで随分と北海道へ来ていますが、富良野に行くのは初めてのことです。若いときは旅に出るときはいつもゴルフで、スキーリゾートの富良野には縁がなかったのです。レンタカーを借りて、出発したのは午前11時でした。千歳から富良野へは道東自動車道を占冠(しむかっぷ)で降りて国道237号線を北上するのが近道のようです。3時間ぐらいを予定しました。道東道はひたすら東に向かって進みます。高速道路ですからサービスエリアがあります。試しに立ち寄ってみましたが、案内所とトイレがあるばかりでレストランもなく閑散としていました。この辺りでは高速道路に乗る場合は自前で食料などを用意する必要があるようです。占冠のインターチェンジを降りて国道を北上しましたが、特に変わりがない北海道の田舎の風景を見ながら進みました。やがて南富良野という地名が入った看板があちこちに見えてきました。そしてこの日の目的地の富良野プリンスホテルに到着しました。時刻は午後2時でほぼ予定通りでした。冬のスキーリゾートとして開発された広大な敷地を何とか夏も活用できないかと考えた結果なのでしょう。そういえば、はるか昔にイギリスから休暇でオーストリアのスキーリゾートに行ったことを思い出しました。そんなリゾートの風景が日本でも見られるようになるとは当時は想像もしていませんでした。今の富良野は外国人で一杯です。夕方まで休んで、夕食はお目当ての洋食ディナーを美味しくいただきました。若い頃ならワインの一本ぐらいは空けていたでしょうが、今はビール一本とワインをグラス一杯で十分なのですから情けない話です。

  

  
   
 翌日は10時前にホテルを出発しました。この日も北海道らしくない蒸し暑い曇り空でした。途中、富良野マルシェというスーパーマーケットでちょっと土産物を買いました。次に富田ファームというラベンダー畑として有名なところへ行きました。すでに駐車場は満杯で、外国人観光客もたくさん来ていました。しばらく散策して、次に美瑛に向かいました。美瑛の展望台のある農場は人と車でごった返していたので素通りすることにしました。旭川に向かって北上して、お昼ごろに旭川のインターチェンジから道央道に入りました。空いている高速道路をひたすら南下して札幌近くを経由して千歳に帰り着いたのは4時頃でした。この日の晩御飯は、昔よく行っていた日の出寿司です。新型コロナですっかりご無沙汰していました。久しぶりの北の珍味をいただき、ちょっとだけお酒を飲んで満足して帰って来ました。

   

  

 いよいよ7月18日、「s44寮生大会in小樽final」当日になりました。10時過ぎに千歳駅から小樽行きの快速列車に乗りました。12時に小樽駅に着きました。小樽の街は相変わらずで、小樽運河以外は商店街にも人の気配はありませんでした。ホテルのロビーに入って行くと、見覚えのある顔の人が椅子に座っていました。「もしかして・・・」と問いかけてみるとやはり元寮生でした。話のネタは50年分あるので、参加者が揃うまで話に花が咲きました。あっという間に夕方になって、ホテルに集まったジジイどもはよろよろと会場の魁陽亭に向かって人通りの絶えた商店街を歩いて行きました。午後6時に同窓会は始まりました。75歳前後の年寄りが22名集まりました。44年に入寮したのが44名ということなので、丁度半分が出席したということで、これはすごいことのように思います。昔の面影がかすかに残った顔を突き合わせながら、56年前の昔話から持病の説明へと話は大いに盛り上がりました。いつの間にか3時間が経過して、寮歌斉唱をもって寮生大会一次会は終了しました。ホテルで行われる二次会の前に、3人が示し合わせて花園公園通りを歩いてみました。50年前はネオンで一杯だった通りも見る影もありません。昔お世話になった「樽」の看板をやっと見つけて入ってみました。おかみさんだった悠美子さんの親戚の人があとをついでくれているようでした。ビールの小瓶を3人で一本ずつ飲んでホテルに戻りました。ホテルの宴会場の二次会は昔話に花が咲いていましたが、昔ほどには酒が進まず、酔って暴れる元気のいいのもいなくて、一時過ぎにはお開きになったようでした。これにて「s44寮生大会in小樽final」は無事終了したのでした。翌日午後の便で大阪に帰って来ました。楽しい4日間を過ごせました。