彦根城


 「六月が誕生月で、今年から後期高齢者になる」と一人で騒いでいるのをみかねたのか、娘二人が滋賀県彦根市への一泊二日の旅行に誘ってくれました。こんなことはかつてなかったことです。勿論喜んで参加することにしました。誕生日当日に、我が家で前泊していた長女と一緒に新大阪駅へ向かいました。彦根に行くのには東海道線の新快速を利用します。神戸から来る娘と孫とは駅のホームで無事に落ち合うことが出来ました。東海道線の新快速は、東海自然歩道を歩いていた頃にさんざん利用させてもらいました。東海自然歩道の本線は京都から大津に出て石山から信楽へ向かい、柘植から鈴鹿、養老、関ヶ原となっているので、彦根はルートとしては外れていて、電車で通過するだけでした。初めて彦根駅で降りて、タクシーに乗り、旅館に向かいました。ほんの5分ぐらいで旅館に到着して、和服の中居さんに迎えられました。
 平屋の旅館は中々の立派な造りで、玄関には井伊家のシンボル、赤い甲冑がおいてありました。部屋に案内されましたが、この日のお客は私たち一組だけだそうで、幼児連れにはホッとする情報でした。部屋は充分に広くてきれいでした。時刻は3時頃で、夕食までに長女と二人で彦根城へ行ってみることにしました。何せ彦根の予備知識はゼロなので、玄関にあった赤ぞろいの立派な鎧兜から連想してそんな気分になったのでしょう。タクシーを呼んでもらって出かけました。  彦根は戦国時代から井伊家の領国であって、幕末に至るまで井伊家が一貫して治めていたようです。改易や国替えといった不運にもあわず守り通してきたのには余程の実力と努力があったと思われます。関ヶ原の合戦で徳川家康の側近として井伊直政が活躍する姿は多くの小説や映像に描かれています。幕末の激動期に藩主井伊直弼は大老として徳川幕府の中心にいました。
 彦根城に近づくにしたがって、城下町の雰囲気が感じられるようになりました。どうやら彦根の市街は戦時中の空襲は免れたようです。三叉路の多い見通しの悪い道をたどっていくとやがてお城の堀が見えてきました。お城の事務所がある表門前でタクシーを降りて、入場料を払って入って行きましたが、入り口には彦根のスーパースター「ひこにゃん」の今日の出番は終わりましたと書いてありました。これからまだまだ猛暑が続く中、着ぐるみ着ての仕事はさぞかしきついでしょう。昔の地名で近江というこの辺りは琵琶湖の水運も利用できるし、京、北陸、尾張につながる交通の要衝で、権力者ならだれでも押さえておきたい場所でしょう。


  

  
 石段を登ると、天秤櫓という美しい櫓が見えてきます。

  

  
  天秤櫓を渡って、更に石段を登っていくと本丸広場に出ました。国宝の天守閣は気品あふれる堂々とした姿でした。中に入れるようになっているので、早速天守まで登ってみることにしました。

  
  天守から西を見ると、夕日に光る琵琶湖が広がっていました。また北東の方角には伊吹山が見えました。

  
  急階段をへっぴり腰で上り下りしました。昔の人の足腰は強かったと実感します。閉門直前の彦根城からタクシーで料理旅館まで帰ってきました。夜は美味しい料理を孫と一緒に食べて満足しました。