75歳 後期高齢者です
昨年の誕生日からあっという間に一年が過ぎて、6月で75歳になり後期高齢者になってしまうようです。ずいぶん体力が衰えたとぼやいて日々の生活を送っていましたが、昨年の秋に「パーキンソン病」と診断されて、日常生活での体の不具合の謎が解明されました。「椅子に座っていると足が震えてくる」とか、「脚力が落ちてきているような気がする」とかはみんな病気のせいでした。これからはこの難病と付き合っていかなければと思っています。とりあえず薬を飲んでいます。飲み始めて半年たちますが、いまのところ体の機能に大きな変化は感じられないので薬は効いているのでしょう。病院の先生にも「しっかり運動してください」と言われるだけで、入院することもなく普通に生活しています。車の運転を禁止されたのは大誤算でしたが、これはしかたがないと諦めて不便な生活に慣れるように努めています。
60歳で退職して、飛行機乗りから年金生活の普通の爺さんになってはや15年がたちました。もう昔のことはすっかり忘れてしまいそうなので、たまには記憶に残っていることを絞り出して書いてみましょう。今から30年以上前のことですが、貨物航空でボーイング747に乗っていました。路線は主に東南アジアと北米でした。東南アジアではシンガポール、北米ではアンカレッジにいくことが多かったのですが、今回は私のお気に入りの街マレーシアのクアラルンプールでの滞在について思い出してみることにします。当時の運航パターンではクアラルンプールで4泊パターンがあり、これを引き当てると大喜びしたものです。クアラルンプール線就航以来数々の修正をしながら出来上がった現地での私の行動パターンはおよそ以下の通りです。
午後9時頃に成田を離陸してバンコック経由でクアラルンプールに着陸するのは午前6時頃になります。眠い目をこすりながら飛行機を降りて、タクシーでホテルに向かいます。いよいよ楽しいクアラルンプール生活の始まりです。ホテルにチェックインした後は昼まで寝ます。昼食は偵察を兼ねて、ホテル近くの雑居ビルの地下にあるフードコートにいって、チキンライスかヌードルを食べて、帰りに飲料水を買ってきます。午後は暑いので部屋で過ごすか、気が向けばホテルのプールへ行って昼寝します。夕方にロビーで相棒二人と待ち合わせします。ルールとして30分以上は待たないというのがあります。優先順位の一番低い待ち合わせなので、他に用事が出来た場合はそちらを優先するという了解事項ができているのです。夕食メニューで無難なのはスチームボート(タイしゃぶ)ですが、中華料理や地元の人たちが行く食堂などもあります。就航当初はイスラム教の国なのでアルコールが飲めるのか心配しましたが注文すれば普通に出てきました。
滞在中にゴルフに行く場合はホテルを早朝に出発にします。熱帯の朝の気温は24℃に決まっているので、早くスタートして暑くなる前に帰ってくる作戦です。スコールに合う心配もありません。ホテルを出るのは朝6時くらいで、タクシーで1時間ほど走ると、通い詰めてすっかりおなじみになったカジャンヒル・ゴルフクラブに着きます。クアラルンプールから高速道路を空港方面に走って行ったところにある、当時はまだ建設中の工業団地と住宅団地のそばにできた18ホールのコースです。団地よりも先にゴルフ場が出来てしまったようで、練習にはもってこいの本格的なコースでした。朝7時にいくと大抵はトップスタートで、一人で朝露に濡れているコースに飛び出します。芝目のきついバミューダ芝と露に苛め抜かれて18ホールをまわり終えるとまだ10時前です。シャワーで汗を流して、中華料理の飲茶を食べてビールを飲んで昼食にします。待っていたタクシーに乗ってホテルに帰ってきても、まだ時間は昼過ぎです。タクシー運転手に道端のドリアンの屋台に立ち寄っておいしいドリアンの見分け方を教わったり、中華街へ行って花の問屋を教えてもらい、ランの花を大量に買ってきたこともありました。三日続けてゴルフに行ったときには、タクシーの運転手も流石にあきれたようでしたが楽な仕事に喜んでいました。
今から35年前は、まだ新空港も出来ていませんでした。市内のモノレールは経済危機で長い間工事を中断しましたが何とか完成しました。その後高速道路や世界一高いビルができて、街の様子はすっかり近代都市になりましたが、わたしの記憶の中のクアラルンプールは雑然とした熱帯の街のままです。