2025年を迎えて

        

 昨年の正月は元日に能登で大地震が起こり、2日の夕方には羽田空港で飛行機事故発生という大変な年明けになりました。これはどうなることかと案じられましたが、禍福は糾える縄の如し、4月に孫が生まれました。今では孫の成長を見てメロメロのお爺であります。
 そして今年で75歳の後期高齢者になるお爺が気になっていたことがひとつあります。それは中断している東海自然歩道のことです。いまから9年前の2015年12月に、箕面の政の茶屋園地に行ったときに偶然「東海自然歩道」の石碑を見つけて、「そうだ、ここから東海自然歩道を歩いて東京の高尾山まで行こう」という大それたことを思いつきました。家に帰って「東海自然歩道」を調べてみると、東京の高尾山から大阪箕面の政の茶屋までの1700キロの日本最長の自然歩道だということがわかりました。その時の年齢が60歳半ばで、70歳までにはぎりぎり何とか歩き切るのではないかと考えたのでした。
 それからはこの旅日記での報告してきたとおりに3年かけて京都から奈良のまほろばの道を歩き、日本を代表するような里山の風景を見ながら東海地方へと快調に進んで行きました。ところが歩き始めてから4年たった2019年、「新型コロナ蔓延」という予想もしなかった歴史に残る大事件に遭遇してしまいました。静岡県の春野町まで来ていました。箕面から出発して丁度千キロを越えたあたりでした。大井川はすぐ先です。ゴールの高尾山が頭にちらついてきました。ところが突然国家非常事態のような雰囲気になり、泊りがけでのんびり山を歩くなどということはできなくなってしまいました。そこからの5年は自粛生活で、自宅近くの千里川周辺を体力維持のために散歩するのがやっとのこととなりました。この間の体力の衰えは想像以上で、一日最低でも20キロ歩いてきたこれまでのようにはいかなくなってきました。あれこれ悩みながらもこの先どうすればいいのか考えて結論を出しました。残念ながら「東海自然歩道」挑戦は1090.7キロにて断念します。ここから先、富士山周辺の美しい風景を見ることができないのは心残りですが、山梨県に入る手前で撤退ということにします。ここまでゴルフがらみの旅しかしてこなかった私に、自分の足でどこまでも歩いて行く面白さを教えてくれた「東海自然歩道」には感謝しています。
 さて、今年はどうなるのでしょうか?昨年からは西国街道を西に向かってあるいていますが、12月には播州網干まで来ました。京都の東寺から始まって163キロ進みましたが、昨年の夏は猛暑で大幅なペースダウンとなりました。それでも岡山県まではもうすぐのところまで来ました。赤穂を越えると備前市です。無理せず、ゆっくりと歩いて行きたいものです。