西国街道を歩く その15


          ―――――― 播磨高岡から網干まで ――――――
          

 書写山円教寺にお参りした翌日は、西国街道歩きに戻りました。駅前のホテルを朝8時に出発して、姫新線で姫路駅から播磨高岡駅に向かいました。丁度通勤、通学で混みあっていましたが、乗るのはひと駅だけです。5分ほどで着きました。

   

 誰もいなくなった無人駅で準備を整えて播磨高岡駅前の国道2号線を西に向かって歩き始めると、すぐに姫新線の高架橋がありました。しばらく歩いて行くと国道から西国街道に入りました。街道沿いには古い商家がいくつか残っていました。実にきれいに維持されていて感心しました。普通に人が住んでいるようでした。

   

 西国街道沿いには、時折道標や石碑がありますが、気を付けて見て行かないと見落としてしまいます。真新しいのもあるので、地域の人たちが維持管理しているのでしょう。
   

   

 西国街道を西に歩いて行くと夢前(ゆめさき)川に出ました。前日に登った書写山円教寺はこの橋の上流5キロほどのところにあります。夢前橋を渡ると太子町青山地区に入ります。太子町の名前の由来は聖徳太子に関係するようです。お寺があるという話でした。500メートルほど旧街道を古い町並みを見ながら行くと、再び国道2号線に出ました。ここまで播磨高岡駅から2.5キロで1時間かかりました。 
   

   

 青山地区を過ぎて、西国街道は国道2号線から旧街道に入ります。住宅街を登って行くと切り通しに出ました。昔であれば人影もない寂しい山道だったでしょう。坂を降った先は太子町山田地区で、明治天皇行幸記念の石碑がありました。以前にもどこかで見たような気がします。しばらく歩いて行くと山陽新幹線の高架橋が見えてきました。西国街道はここからしばらくは国道179号線と合流して新幹線と並行して西へ進みます。
   

 179号線を500メートルほど歩いて再び西国街道に戻り、住宅街を歩いて行くと「桜井の水」と書かれた立派な石碑があり、奥には井戸らしきものがありました。詳しい話はわかりませんが、昔からある有名な湧き水のようでした。太子町のマンホールの蓋も歴史を感じさせる意匠になっていました。
   

  

 西国街道は太子町を西へ横切って揖保川に近づいていきます。ここまで播磨高岡駅から8キロに地点で、時間は3時間かかっています。出発の時点での腹つもりは、今日は揖保川の先のJR竜野駅までの12キロを歩く予定でしたが、天気が下り坂になってきたので、ここは一駅手前の網干駅に向かうことにしました。この日は衆議院議員選挙の投票日直前だったので国道の交差点で街頭演説をやっていましたが、聴衆は10人程度でした。西国街道をはずれて南に2キロ歩くと網干駅がありました。「網干」は新快速の行先掲示ではよく見ていましたが実際に来るのは初めてです。駅前はひっそりしていて、昼ご飯を食べて帰ろうと思っていたのに食堂は無く、空きっ腹をかかえて大阪まで帰ることになりました。今日は丁度10キロ歩きました。
 (累計  152.8キロ+10.0キロ=162.8キロ)





             


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