西国街道を歩く その12
―――――― 加古川から姫路まで ――――――
終わってしまえばあっという間の桜の季節でした。つつじが咲いたあとは新緑の季節となり、気温も上がってきました。5月下旬に西国街道の続きを歩いてきました。今回は姫路を目指して歩きました。姫路城は世界遺産で有名になり、外人さんで賑わっているそうです。前回の行程は加古川を渡ってJRの宝殿駅まででしたので、その続きということになります。
午前8時に千里中央から地下鉄に乗って新大阪まで行って、新快速網干行きに乗りました。いつも通りの快速の「ぶっ飛ばし走行」で加古川まで1時間、各駅停車に乗り換えて宝殿駅に着いたのは9時でした。天気予報は晴れです。準備を整えて、姫路に向かって歩き始めました。この辺りは高砂市に入っているようで、マンホールの絵が高砂の松になっています。人気のない西国街道を西に向かって歩いて行きました。
高砂市阿弥陀町に入って行くと、明治時代の郵便局の建物や古い寺院、地蔵堂、石碑と次々と文化財が現れました。この辺りがどうやら昔の播磨の中心地だったようです。
管理の行き届いた石碑や、かろうじて維持できているお墓をたどって進んで行きました。この辺りの西国街道は国道2号線とほぼ並行して走っています。出発から1時間半でJR曽根駅を通過しました。地名は姫路市別所町となりました。確か戦国時代の大名に別所という大大名がいたと思います。
出発して2時間半経過、丁度昼になったので飯屋「別所食堂」に入って昼ごはんを食べました。国道沿いを歩いていると食べ物屋やコンビニを探すのは誠に便利です。アジフライとコロッケでご飯を食べて、あっという間に昼ご飯は終わりました。
JR御着駅前を通り過ぎて進んで行くと、きれいにバラの咲いている庭がありました。個人の庭のようで、お手入れ「ご苦労様です」と言いながら見せてもらいました。さらに進んで、出発から9.5キロで市川を渡り姫路の城下に入りましたが、まだお城は見えてきません。
市川橋を渡って、更に2キロ余り歩いて行くと、やっとのことで前方にお城の堀が見えてきました。どうやら世界遺産姫路城の外堀のようです。堀に沿って歩いて行くと、突然、ドーンとお城が現れました。姫路城に来たのは2回目です。最初は今から8年前の春に平成の大修理が終わったのを知って見に来ました。その時は真新しい漆喰で真っ白に塗られた本丸の見事さに見とれてしまいました。ここに来て初めてお城を見る外人さんには相当のインパクトがあることでしょう。大手前の広場に近づくにつれて外国人の観光客が増えてきました。アジア、ヨーロッパ、アメリカの言葉が耳に入ってきます。姫路駅に続く大手前通りは国際通りとなっていました。時刻は午後2時を過ぎたところです。私の本日の予定は無事終了しました。今日は西国街道を12.7キロ歩きました。これからは岡山を目指して歩くことになりますが、猛暑との戦いとなることでしょう。