西国街道を歩く その11


          ―――――― 加古川近辺 ――――――
          

 4月になって桜が咲いて、気温も上がってきたので、しばらく中断していた西国街道に出てみました。前回は12月だったので久し振りの街道歩きになります。今回は山陽本線土山駅から加古川までを歩きます。そろそろ姫路が近づいてきました。4月中旬の晴れた日に自宅を午前8時に出て、モノレールで千里中央、地下鉄で新大阪に出ました。そこから新快速に乗って西明石で乗り換えて、土山には9時45分に到着しました。

   

 「土山」という誠に平凡な名前の駅の近辺は殺風景そのものです。駅から100メートルも歩くと国道2号線に出ますが、この辺りでは片側1車線で、幹線道路の雰囲気はありません。主役をバイパス道路に奪われてしまったようです。

   

 国道から1ブロック進むと西国街道に出ます。久しぶりに歩く幅2間半の道路です。その脇では小学校の校庭の桜が満開になっていました。

   

 人通りのほとんどない西国街道を北西に向かって歩いて行くと、喜瀬川という川を渡りました。地図で見るとこの辺りも多数のため池があるようですが、街道沿いでは目に入りません。

   

 途中で山陽本線の踏切を渡って、加古川に向かってどんどん歩いて行きました。街道沿いには小さなお寺や神社が現れます。

  

  この辺りは既に加古川市に入っていて、平岡町という地名です。国道2号線と西国街道は加古川までつかず離れずで進んで行きます。道標などは無く、地図で事前学習していなければ見落としてしまうでしょう。

  

  街道歩きではすっかり慣れっこになった、突然出現する神社やお寺を観察しながら進んで行くと、JR山陽本線の東加古川駅がありました。鉄道と平行になっている街道を進んで行くと、ショッピングセンターとマンション群に出ました。再開発でわかりにくくなった道を注意深くたどっていって、何とか旧街道らしい風景に出会いました。過去に何度もこういう場所で迷子になっているので、流石に鼻が利くようになってきたのでしょう。

  

  

  土山出発から2時間半、7キロ歩いて、昼過ぎにJR加古川駅に着きました。ほぼ予定通りでした。昼ご飯は名物の穴子めしを食べました。食い気に負けて写真を撮り忘れましたが、美味しかったです。昔の加古川宿は加古川駅前から加古川にかけての古い商店街、寺家(じけ)町周辺だったらしいのですが、それらしい道標や陣屋址は見つけられませんでした。事前学習不足ですね。まだ時間も早いので、加古川を渡ってもう一つ先の宝殿駅まで行くことにしました。

  

  

 昔の加古川に橋は無く、渡し舟で川を渡ったようです。加古川橋を渡るとニッケの大きな工場がありました。しばらく歩いて行くと本日の目的地のJR宝殿駅に到着しました。午後2時になっていました。土山から10,8キロ、4時間かかりました。いよいよ姫路が近づいてきました。        (累計 124.5キロ+10.8キロ=135.3キロ)





             


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