西国街道を歩く その8
         ― 神戸三宮から須磨浦公園まで ―

 8月の西国街道歩きで神戸三宮まで到達しました。京都から神戸の中心部まで7回に分けて歩いて、この地方の歴史の中で街道が大きな役割を果たしていた痕跡を見ることが出来ました。歩いていると突然現れる史跡や建物が興味深く迫ってきました。「西国街道は京都から三宮まで」とここまででお仕舞いにするのがもったいない気がしてきました。とりあえず、山陽道をもう少し西まで歩いてみることにします。そうなると終点は赤間が関(山口県下関市)ということになりますが、これまで自分の足では歩いたことのない山陽道をゆるりと無理をせずに行ってみましょう。街道のすぐそばを山陽本線が走っているのは、誠に安心です。

 
 
 さて、休日の朝8時に神戸の三宮駅に降り立ってみると、街はガランとしていました。この日の行程は三宮から神戸の昔の港の兵庫、長田区を経て須磨までを予定しています。今年の異常猛暑は継続中なので、体調には十分気を付けての出発です。三宮駅前の商店街のアーケードを抜けて、オフィスビル群を見ながら西に歩いて行くと、中華街の門がありました。場所はJR元町駅の南側になります。

 

 神戸の中華街である南京町の入り口は長安門です。西国街道が神戸の中華街のど真ん中を通っていたとは、この時まで知りませんでした。中秋節の幕がかかっていました。そういえば9月の上海では月餅を買う人でお店がごった返していたのを思い出しました。南京町の中央にある広場も早朝なので閑散としていました。

 

 

 南京町を過ぎて西国街道はJR神戸の駅前を南に降っていきます。本来は南西にまっすぐ行けば須磨の方角なのですが、昔の兵庫湊に向かっているのです。古くは平清盛が作った中国との国際貿易港であり、江戸時代には北前船貿易の起点となった港です。今では沖合を埋め立てて神戸中央市場が出来ているので港の景色ではありませんが、昔はここまで海が迫っていたようです。

 

 

 

 よく見ると港らしい建物や巨大な防潮扉があったりします。昔の「札場の辻」の案内板がありました。これは西国街道の他の場所にもありましたが、人通りの多いところに設置された役所の告知板といったところです。「和田」と読める石碑がありましたが、この沖には「和田岬」あります。

 

 「兵庫湊」からJR兵庫駅を通って神戸市長田区に入ってきました。阪神淡路大震災で壊滅的な被害にあった地区です。いまではすっかり再建が進み、広い道路と歩道が出来て、復興住宅が並んでいます。三宮を出て3時間で長田区まできました。昼飯はパンを食べて、あとは一気に須磨浦公園まで行くつもりです。気温は30度を超えましたが何とか頑張れそうです。

 

 

  だだっ広い復興道路をひたすら西に向かって歩いて行くと、「山陽電鉄月見山」の道路標識がありました。さらに進んでいくとJR須磨駅前に出ました。道路のむこうに瀬戸内海が見えました。この辺りは源平合戦の古戦場一の谷だそうです。「源平合戦800年」の石碑を見つけました。須磨浦公園を歩いて山陽電鉄須磨浦公園駅に到着したのは午後12時20分でした。12.1キロを何とか無事歩き通せました。  (累計86.1キロ+12.1キロ=98.2キロ)