西国街道を歩く その5
         ― 箕面市稲から西宮市門戸厄神まで ―

 先月中旬に長岡天神から京都の羅城門跡まで歩いたのですが、その翌週に東寺周辺のことをNHKの「ブラタモリ」で放送していました。この間歩いたばかりのところを詳しくレポートしてくれて、大いに参考になりました。一度歩いていると地形が頭に入っているので理解が容易になります。1200年前の平安京の南端の荒れ野に建つ羅城門とその横に広がる広大な東寺の建物が目に浮かびました。昔のことですから避雷針はなく、一旦落雷となれば焼失は免れないでしょう。再建する財力がなければそのままになってしまうのは西寺址を見れば明らかです。
 前回は西国街道の始まりの羅城門跡まで歩きました。今回からは西に向いて歩いていこうと思います。とりあえずは西宮に向かって進みます。箕面市稲から昔馴染みの道をスタートしました。ここは自宅から2キロしか離れていません。今から50年ほど前、イギリスでの訓練を終えて帰国した年の年末に入社した航空会社で初めて配属になったのが伊丹空港でした。仕事は航空会社のカウンターで空席待ちの客の手荷物を預かり、飛行機の貨物室までもっていくというもので、当時の大型機ボーイング727の周りを走り回っていました。会社の独身寮が稲にあり、毎朝阪急バスに乗って石橋まで行って、そこから空港まで歩いて通っていました。つまり毎日西国街道を通勤に使っていたわけです。今回の歩きは50年前に歩いて通勤していた懐かしい道をたどることになりました。

   

   

 稲のスタート地点から西に向かって行くと、すぐに171号線に出ます。そこの陸橋を渡ると、道幅2間半の西国街道が桜井に向かって真っすぐのびています。祠や神社があり、年輪を重ねた古木が歴史街道を示しています。阪急箕面線の桜井駅を過ぎて、ずっとまっすぐ進んでいくと箕面川に突き当たりますが、その手前を左折すると石橋の街に出ます。

  

  

 石橋の駅前商店街には入らずに、阪大キャンパス前の交差点を過ぎて斜めに入っていくと、50年前に伊丹空港に通っていた道に出ますが、これがまさに西国街道だったのです。昔は途中にある住吉神社の横を、始業時間を気にしながら早足で歩いていました。

  

 西国街道は伊丹空港の滑走路の先にある猪名川にかかる軍行橋を渡ります。伊丹空港を離陸した飛行機はこの軍行橋を過ぎたあたりで左に旋回して瑞ヶ池、昆陽池を左下に見ながら上昇していきます。何十年もこの上を飛んでいたのに、この軍行橋を歩いて渡るのは今回が初めてです。橋を渡ると伊丹市になります。

  

  

 猪名川を渡って、JR福知山線を越えると西国街道は住宅街を縫って進む単調な風景になります。時折神社やお寺、古木が出現しますが、こちらはひたすら住宅街を南西に向かって歩いていきます。しばらくすると旧西国街道は武庫川まで171号線と合流して進みます。

  

 

 稲を出発して10キロを3時間半で歩きました。右手に昆陽寺の大きな山門が現れました。ここでしばらく休憩して、武庫川を甲武橋で渡りました。この武庫川の河川敷は広大で、秋にはコスモス畑が広がります。明治時代以前には橋はなく、渡し場があったそうです。武庫川沿いに川上に向かって歩いていくと、報徳学園がありました。学校の横あたりが渡し場だったらしく、西国街道はここから西宮に入ります。
 目的地の阪急門戸厄神駅まではあと少しですが、再び住宅街に入り、ややこしくなってきました。結構標識もあるのですが、最終的には道を間違えてしまったようです。突然阪急電車の線路に行き当たり、線路沿いに歩いて門戸厄神駅に到着しました。今日は16キロ歩きましたが、季節を先取りしたような暑さにへばり気味になりながらも完走できました。
(累計 47.9キロ+16.2キロ=64.1キロ)