西国街道を歩く その4
― 長岡天神から京都羅城門まで ―
今年の春は誠に早足でやってきて、桜の花は3月中にほぼ終わってしまいました。4月になっても順調に季節は進んでいるようです。中旬のある日、前回の続きで阪急長岡天神駅から西国街道の始点である羅城門跡までを歩いてきました。地図で見ると10キロ足らずの距離で、余裕のある行程です。
自宅からモノレール、阪急と乗り継いで長岡天神駅には午前10時に着きました。時間に余裕があるので長岡天神にお参りしていくことにしました。駅からしばらく歩いていくと大きな白い鳥居が見えてきました。石段を登って鳥居をくぐると大きな池を渡るのですが、そこに霧島つつじの赤い花が咲いていました。その見事な赤い花の壁を見ながら天神さんに入っていきました。池に沿って名物のタケノコ料理の料亭があるようですが、残念ながら素通りです。そのかわり、本殿に参拝しての帰りに、道端のお店で茹でタケノコを買いました。家に帰ってタケノコご飯にしてたべました。うまいタケノコでした。
長岡天神を後にして、西国街道に戻って一時間位歩くと、桂川の支流の小畑川を渡ります。この橋が一文橋で、名前の由来は渡り賃が一文だったからと案内板に書いてありました。
さらに北上して向日市に入りました。長岡京跡があると書いてあったので、ちょっと寄り道してみました。昔、学校で習った記憶では、平城京から直接平安京に遷都したと思うのですが、この間に10年ほど長岡京の時代があったそうです。西国街道から東に外れて歩いていくと、住宅街の中に「史跡長岡宮跡」の標識がありました。小さな公園になっていました。10年ぐらいの年月では、工事が完成する前に都は京都に移っていったのでしょう。
再び西国街道に戻って歩いていくと、JR東海道本線の向日町駅に出ました。ここからしばらく行くと線路を潜る道があるはずですが、見落としたのか次の駅の「桂川」に出てしまいました。仕方なく、ここで線路を渡って桂川に架かる久世橋に向かいました。長岡天神から3時間で久世橋に到着しました。ここを渡れば京都市南区になります。久世橋を渡ってすぐに北へ曲がって旧西国街道を間違えないように慎重にたどっていくと、遂に九条通りに出ました。
九条通りを東に歩いていくと小さな公園の入り口に「羅城門跡」の標識がありました。昔の西国街道はここから始まったのでしょうが、現代の171号線はもう少し東の東寺のかどの交差点からのようです。ここで国道1号線とつながっているのです。
羅城門の東に東寺があるのだから西には西寺があるはずと地図を見ると、「西寺跡」と出ていたので、行ってみました。九条通りを西に3ブロック歩いて行って、北に折れると小学校があり、その隣に「史跡西寺址」と書かれた石碑の建っている公園がありました。東寺は、時の天皇から空海に下賜されて教王護国寺となり、今でも真言宗の大寺として存続している一方で、西寺は石碑がぽつんと建っているだけでした。
これで、西国街道の始点の羅城門を確かめたので、歩いて京都駅まで行って電車で帰ってきました。この日は寄り道が多かったので14キロ歩きました。リュックにゆでタケノコを入れて自宅に帰りついたのは午後3時過ぎでした。次回は箕面から西宮に向かって歩く予定です。 (累計 33.9キロ+14キロ=47.9キロ)