西国街道を歩く その3
         ― 高槻から長岡天神まで ―

 
  2023年の冬は2月までは寒波襲来で寒い日が続きました。3月になって急に暖かくなってきたので、西国街道の続きを歩きました。今回は大阪府高槻市から京都府長岡京市の長岡天神までの予定です。当日は曇り空で朝の気温は10度ぐらいという絶好の気象状況でした。午前9時に自宅を出て、大阪モノレールで南茨木まで行って、阪急電車に乗り換え高槻市駅に9時半に到着しました。

   
 前回は終盤で道を間違えて西国街道を外れてしまいました。今回はJR高槻駅の北側で西国街道に合流します。茨木にしても高槻にしても、この辺りはごちゃごちゃしてわかりにくい街並みになっています。計画性がまるで見えない、「いつの間にかこんな駅前になってしまいました」という印象です。駅ビルがあり、高層マンションがあり、鳥居まであります。戦国時代には高槻城があって、一時高山右近の居城になっていたようですが、今は城がなく地名で残っているだけです。駅前の西国街道は広い道路になっていますが、数ブロック行くと昔ながらの2間半幅の道にもどります。

   
   
 高槻の中心部から少し進んだところで、安満遺跡公園があったので行ってみました。JR京都線を潜って進んでいくと広い公園がありました。元は京大の農場だったらしいのですが、遺跡公園として令和3年にオープンしたそうです。まだ出来たてで樹木は添え木だらけの公園でした。2500年前の弥生時代の農耕遺跡があるそうです。前回歩いたところでは継体天皇陵の前方後円墳を見ましたが、さすがに西国街道は歴史街道です。

   
 道標や突然出現する神社、仏閣に注意しながら歩いていくと、山手に名神高速道路の梶原トンネルが通っている梶原町にさしかかりました。ここから大山崎町までは右手に淀川が流れ、左手は山が迫っています。

   
   
 JRの線路に沿ってしばらく歩いていくと島本町に入りました。JR島本駅前に町立歴史文化資料館がありました。その隣が桜井驛址の公園でした。南北朝期、湊川に向かう楠正成が息子の正行と最後の別れをした場所だそうで、戦前の学校では必ず習ったそうですが、かろうじて戦後世代のジジイは小説でしか読んでいません。ここまでで高槻から6キロ、時刻は11時半になっていました。

   
 水瀬川を渡って進んでいくと、電車からはよく見ていたサントリーの山崎工場がありました。この奥は名神高速道路の天王山トンネルが通っているはずです。

   
  
 出発してから9キロ歩いて京都府に入ってきました。左手に標高は270メートルと低い山ですが、歴史的には有名な天王山に差し掛かりました。この山を明智光秀が取っていれば天下はどうなっていたかわからないといわれる古戦場です。京と大阪の境目にあり、東に淀川と西に天王山で縊られた地形を見れば、なるほど繰り返し歴史の舞台になったことが解ります。

   
   
 高槻を出発して4時間歩いて、京都府の長岡京市に入ってきました。12キロ歩いてそろそろゴールの阪急長岡天神駅が近づいてきました。京都盆地に入って街並みはすっかり都会の風景になってしまいました。高槻の弥生時代の遺跡から幕末の官軍が攻め上った西国街道は興味が尽きない歴史街道でした。次回はいよいよゴールの羅城門に向かって歩きます。(累計21.7+12.2=33.9キロ)