西国街道を歩く その2
― 茨木市豊川から高槻まで ―
上にお示ししたのが京都から西宮までの西国街道の地図です。今回歩いたのは地図上では「郡山」の西にある豊川から「芥川」の東にある高槻までの区間です。2月中旬の寒気が緩んだ日に行ってきました。朝9時に自宅を出て、大阪モノレールに乗り豊川駅に着いたのは午前10時でした。前回のお試しコースでは自宅を出発して豊川までを歩いたので、今回はその続きということになります。
大阪モノレールの豊川駅は中々立派な駅舎でした。駅前で準備をして、東に向かって歩き始めると、早速道標を発見しました。住宅街の道端にかすれた文字で「西国街道」と書いてありますが、うっかり見過ごしてしまうような道標です。
豊川を過ぎて宿河原という集落に入ってきましたが、普通の住宅街といった感じの街道には、ところどころにいつ頃のものかわからないような古い道標が立っていました。勝尾寺川の細い流れに沿って進んでいきました。
豊川から東へ30分、距離にして3キロ歩いたところに「郡山宿本陣」がありました。西国街道の丁度中間あたりで、昔は宿場町でにぎわったのでしょう。
国道171号線を渡って一路東に歩いていくと、中川原地区となり、「耳原公園」という看板があったので行ってみました。日曜日ということもあり、家族連れでにぎわっていました。丁度梅の花が見頃になっていました。
耳原公園で一休みした後歩き始めました。街道筋には歴史のあるお寺や神社があって、その説明文を読んで昔の光景を想像するのも楽しいものです。さらに東に向かって歩いて行き、名神高速道路をくぐり、安威川を渡りました。
しばらく歩いていくと、「継体天皇陵」という看板がありました。地図で見ればここに前方後円墳があるのですが、地上から見ればただの神社の森と大きな池としか見えません。東海自然歩道で「まほろばの道」を歩いた時にも、地図と看板で古墳だと分かった遺跡がいくつかありました。
豊川出発から2時間で予定通り8キロ進んでいました。「よし、このまま一気に高槻まで行こう」と歩いていきましたが、調子に乗るとロクなことはありません。目の前にJR東海道本線の高架が見えてきました。「あれ、変だな」と地図で確かめると、東に向かって歩いているはずが、いつの間にか南に向かって歩いていたのです。どこかで90度間違えてしまったようでした。家に帰ってGPSの記録をたどってみて詳細が明らかになりました。今城町に入って西国街道は左に緩やかにカーブしているのですが、私はそこを直進してしまって、さらに次の信号で地図を見誤って南に向かったのでした。こうなってしまえば東に流れているはずの芥川に突き当たって、北に戻るのが最良の策と判断しました。川西町というところにある公園の土手を上がってみると芥川が流れていました。芥川は淀川の支流で、昔は宿場の名前になるほど有名だったのですが、今では高槻のほうが知名度は高くなっています。しばらく土手上を北上して171号線に出て川を渡り、そのままJR高槻駅から阪急高槻市駅まで歩いて阪急電車に乗って帰宅しました。最後は西国街道歩きとしてはグズグズになってしまいましたが、12.8キロ歩いて高槻に到着したので良しとしましょう。 (累計8.9キロ+12.8=21.77キロ)