私のゴルフ史 その3
        ー60歳を過ぎてのゴルフー

 私が退職した当時のパイロットの定年は一応60歳ということになっていて、希望すれば65歳まで乗務可能ということでした。私は若いころから60歳でやめると決めていたので、迷いはありませんでした。定年になったら思う存分ゴルフをして、暇が出来たら長期の旅行にも行こうと楽しみにしていました。定年前の時点でゴルフのHDCPは6ぐらいだったと思います。いいときはHDCP4まで行ったのですが、それ以上には上達しませんでした。
 60歳で予定通り退職して、晴々とした気分でゴルフに取り組みました。最初の成果は、西日本パブリックシニア選手権で予選を通過したことでした。この試合はよみうりパブリックコースでありました。そして西日本の決勝は、なんと九州・大分の城島高原ゴルフクラブであるということでした。降ってわいたような「別府温泉泊まりのゴルフ旅行」には、もちろんエントリーしました。ついでに宮崎や熊本の友達にも会って来ようとプランを立てると一週間以上の日程になりました。大阪南港から別府まではフェリーを利用した旅の詳細は以前「九州一人旅」で紹介しました。温泉に入り、ゴルフをして、うまいものを食べて、帰りは700キロを一人で運転して帰ってきました。ゴルフの成績は残念ながら「まー、いいじゃないですか」といったところでした。
 この頃はフツーにゴルフが出来ていたので結果もついてきていたのでしょう。関西シニアゴルフ選手権の予選を2度通過することが出来ました。一度目は池田カンツリー俱楽部でした。起伏の多い難コースだったので、「どうせ駄目だろう」と淡々とラウンドして終わってみればぎりぎりで予選を通過していました。決勝は新大阪カントリークラブで行われました。高槻の山の上にある眺めはいいけれどもちょっと複雑なレイアウトのコースで、私の手には負えずに尻尾を巻いて帰ってきました。関西シニア予選通過2度目は、名門鳴尾ゴルフ倶楽部でのことでした。鳴尾ゴルフ倶楽部は私の所属していたゴルフクラブと同じ地域にあって、インタークラブというクラブ対抗の競技の会場にもなっていたのでラウンド経験がありました。日本のゴルフ場でも難関の部類に入るコースなので、まさか予選を通過するとは思ってもみませんでしたが、奇跡が起こってしまったのでした。この日は何をやってもうまくいきました。芝目のきつい高麗グリーンも不思議にすんなりと打てました。そしてこの年の関西シニア決勝の会場は枚方カントリークラブでした。
 予選の結果が良かったものですからすっかりその気になって、上機嫌で練習ラウンドをこなして決勝ラウンドに臨みました。そして、事件は起こったのでした。スタートホールでボールを打とうとして構えた時になんとなく違和感が湧いてきました。そして体の動きがおかしくなったのです。危うく空振りしそうになったボールは力なく100メートルほど飛んだだけでした。詳しいことは以前に旅日記の「イップス」に書きましたが、あたかも自転車に乗っていてチェーンが外れたような感じでした。体がスムースに動かない感触は初めての経験で、その日は散々なスコアーで惨めな気分で帰ってきました。それ以来「外れたチェーン」はいまだに元に戻ってはいません。練習場で何とか体をゴルフスィングらしく動かそうとするのですがうまくいきません。今まで、諸先輩のゴルフを見ていてどうしてそうなるのか不思議な気がしていましたが、いまでは後輩から私自身がそんな目で見られているのは間違いありません。老化現象は人それぞれに違った進み方をするようですが、ゴルフに関してはどういう経過をたどるにしろ全体の能力は確実に衰えてくるようです。当然ながらスコアーも下降の一途をたどり、今は1ラウンド90前後になってしまっています。
 こうなったからには、偉そうに「エージ・シュートを狙います」(自分の年齢以下のスコアーで廻ること)とも言えません。むやみやたらに練習しても、体が壊れては元も子もありません。改めてゴルフの難しさが解ってきました。これからも体と折り合いをつけながら楽しいゴルフをしていくつもりです。