私のゴルフ史 その1
ーゴルフとのなれそめー
2022年8月は連日35度を超える猛暑で、コロナの第7波蔓延もあって自宅で引きこもる日が多くなっています。いい機会なのでこれまでの私とゴルフの関りについて思い出してみたいと思います。ゴルフを始めたきっかけは、兄の勧めでした。大学を逃げ出して北イングランドで飛行機の勉強を始めたのが22歳でしたが、その頃はまだゴルフを知りませんでした。小樽の貧乏学生とゴルフの接点はなく、英国の飛行学校でも寄宿舎の前の草っぱらではもっぱら野球をしていました。もしこのころにゴルフを始めていたら、本場のゴルフを楽しんでいたことでしょう。惜しいことをしました。帰国して兄の家に顔を出すと、「お前、ゴルフを始めろ」と熱心に勧誘されました。7つ年上の兄の命令には従うしかありませんでした。兄の中古のゴルフセットをもらって、練習場に連れていかれた覚えがあります。その頃は「ハーフ・セット」といって、初心者向けにクラブ7本のゴルフセットがありました。木のクラブが2本とアイアンが4本とパターが入っていました。数回の練習場通いのあと、兄に連れていかれたのが米軍基地の中にあるパブリック・コースだったように記憶しています。肉親ゆえに遠慮のない指導が続き、「人に迷惑をかけるな」「早く打て」と激励されて、何のことやらわからないうちにゴルフデビューは終わったのでした。スコアーは全く覚えていません。それでも「これはとてつもなくむつかしい遊びだけれど面白い」といっぺんに気に入ってしまいました。
無事に英国の飛行学校を卒業して帰国したので航空会社に入社することができましたが、身分は操縦士訓練生というパイロットの卵といったところでした。このころの訓練は実に念入りで、お客を乗せて飛ぶ前の段階で会社の運航方式を理解させるために、「定期前訓練」というパイパー・ナバホ(6人乗りの双発機)を飛ばす課程がありました。この飛行機の訓練は、前半にカリフォルニア、サンディエゴ郊外にあるブラウン・フィールドでパイパー・ナバホの免許を取る課程があり、その後帰国して熊本から各地の空港への飛行訓練をするというものでした。ゴルフに夢中になっていた私は、アメリカに行ったらフルセットのゴルフ・クラブを買って現地でゴルフをしようとたくらんだのでした。早速訓練が休みの日にサンディエゴの街にあるゴルフショップへ行ってゴルフセットを買いました。確か800ドルぐらい払ったと思います。「ずいぶん高いな」と思った記憶があります。スポルディングのトップ・フライトという、当時流行のモデルでした。キャディーバッグとゴルフシューズも買いました。2か月ほどのサンディエゴ滞在中、休みはゴルフに熱中しました。主に市内のバルボア・パークという公園の中にある市営のコースへ行きましたが、ときには郊外のパブリック・コースにも出かけました。3か月のサンディエゴ滞在ですっかりゴルフの魅力に嵌まってしまいました。
帰国して熊本空港に隣接する訓練所に入りました。ナバホの訓練の後半が始まりましたが、オイルショックとなり突然訓練が中断してしまいました。何もすることが無くなったのですから、今思えばこの時にみっちり正しいゴルフを教わっていればよかったのですが。当時はゴルフ雑誌を読み漁って、練習場でやってみるという程度でした。スコアーは百を切る程度だったと思います。その後2年間東京の支店で事務の仕事をやりました。その間は練習する時間もないのでゴルフは上達しませんでした。
2年たって訓練が再開され、私は航空機関士として大阪に配属されました。やっとのことで「訓練生」を卒業することができました。大阪の住宅を決めるときに私の出した希望は「ゴルフ練習場が近くにあること」と「空港に近いこと」の二つでした。その条件に合致したのが今も住んでいる豊中でした。当時では府内最大の「東豊中ゴルフセンター」がありました。近くの賃貸マンションに入居した私は、休みはゴルフ練習場に通うことになりました。その頃の私はゴルフが上達したい一心で練習に励んでいました。どこかのゴルフ場の会員になりたかったのですが、当時はそんなに簡単にゴルフ場の正会員にはなれませんでした。そんな時に見つけたのがよみうり・パブリックコースでした。7千ヤードを超える難関のコースで、最初はとても歯が立ちませんでした。月例競技もやっていて、HDCPを持っていれば参加することができました。ここのHDCP9を取るためには「HDCP10から競技で3度連続してアンダー・パーで廻ること」というとてつもなく難しいものでした。最初はHDCP20ぐらいから始まってやっとのことで10になって、それから何年もかかってなんとか9になったのは30歳を過ぎた頃でした。その頃からゴルフの試合にも出てみるようになりました。とりあえずは「西日本パブリック選手権予選」でした。予選を通れば西日本の決勝、その先は全日本パブリック選手権という流れでした。勿論私の腕前では予選通過などするわけもありませんでしたが、試合の雰囲気が面白く、ゴルフの目標として毎年参加するようになりました。
関西での競技ゴルフは、「関西アマチュアゴルフ選手権」が一番上にランクされていました。その参加資格は、「JGA HDCP6以下であること」でした。簡単に書いていますが、そのためにはJGAの関西での組織KGUに加盟しているゴルフクラブの会員になってHDCPをもらわなければなりません。HDCP9になるのも大変なのに、その先の6でやっと出場資格が取れるのです。はるかかなたの目標が設定されてしまったのですが、いつの間にかこの難関に挑戦するつもりになっていました。 (続く)