智明寮大寮生大会
この旅日記でしばしば出てくる町がアラスカと小樽です。また小樽の話かとおっしゃるかもしれませんが、今回も我慢しておつきあいください。2022年5月28日に、小樽商科大学智明寮の同窓会が開催されました。今はもう、なくなってしまった智明寮でおよそ50年前に寮生活を送っていたおじいさん連中が、コロナ流行の隙をついて会合を開いたというわけです。「智明寮大寮生大会」と名付けられた会合には全国各地から、100名あまりの暇なじいさんが集まりました。放っておけば昔通りの大声になるところを、感染予防に気を使いながらひそひそ声で気勢をあげたわけです。私にとって小樽訪問はコロナ蔓延以前の3年前にクルーズ船ダイアモンド・プリンセスで訪れて以来になります。わずか3年とはいいながら、この間に世界はダイアモンド・プリセスでのコロナ発生から世界的な蔓延、そしてロシアのウクライナ侵攻へと激変していきました。今はウクライナ戦争真最中で、日本人が樺太に観光旅行に行くなどとても考えられません。
飛行機に乗るのも3年ぶりです。今回はネット予約から搭乗までスマホでやるという今風の方式になってしまい、はたして無事に飛行機の座席にたどり着けるのか心配です。とりあえずはスマホの指示に従ってやってみることにします。航空券は正規の料金で買っているので何もびくびくすることはないのですが、昔の習性で飛行機に乗客として乗るときはどうしても気持ちが遠慮がちになってしまうのです。土曜日の早朝に、近くの駅からモノレールに乗って伊丹空港に向かいました。コロナ期間中は自粛生活で、外出はできるだけ控えていたので空港へ行くのも3年ぶりになります。モノレールの空港駅まではあまり大きな変化はありませんでしたが、空港の中は大幅に改装されていました。デパートの売り場のようなきれいなお店が並んでいました。搭乗客の動線がその中を通るようにできているのです。商店街を抜けると手荷物検査場です。スマホの搭乗券のページを出して機械にかざすとすんなりと通過することができました。一安心です。札幌行きのゲートまでたどり着いて搭乗を待ちました。機材はボーイング787のようです。修学旅行の高校生も乗っているようです。コロナも少し落ち着いて修学旅行が復活したのはいいことです。搭乗口もスマホで無事通過することができました。ほぼ満席の771便は定刻に出発しました。4万1千フィートまで上昇して一路北海道に向かうようです。千歳空港は低い雲が垂れ下がっているようで、地面近くになってやっと雲から出ました。あとで聞いた話では前夜は嵐で、着陸をやり直した便もあったようです。定刻についてJR快速小樽行きに乗りました。
小樽駅 土曜日昼の都通り
喫茶店 光 土曜日の花園公園通り
土曜日夕方の公園通り ニュー三幸
正午前に小樽駅に到着して、歩いて会場のレストラン・ニュー三幸に向かいました。土曜日なのに閑散としている都通り商店街を進んでいきました。蕎麦屋は閉まっているし、ラーメン屋は、何故かそこだけ混みあっているようなので遠慮して、とやっているうちにニュー三幸の前まで来てしまいました。仕方なく三幸に入って、生ビールとオムライスという妙な取り合わせでお昼ご飯を済ませました。2時からの大寮生大会まではまだ時間があるので外に出て少しぶらぶらしてみました。昔ならその儘お酒を飲み続けたと思うのですが、年は取りたくないものです。
午後1時にニュー三幸4階の会場に行くと受け付けが始まっていました。どうやら100人前後が集まる集会になるようです。11年前に第1回の寮生大会があって、今回はコロナで開催を一年延期しての第2回だそうです。大寮生大会は2時間の予定で始まりました。開会のあいさつ、寮歌斉唱、来賓の学長先生のお言葉、と議事は進行していき、若人逍遥の歌斉唱で盛り上がり、ほぼ時間通りという、昔では考えられなかったスムースな流れで終了しました。次回開催はたぶん無理じゃないかというささやきの中、会場のニュー三幸を後にしたのでした。
我々同期11名は二次会も頑張ろうとあらかじめ場所を決めていました。市内の民泊施設を借り切って、何の遠慮もせずに飲んで語り明かしてそのまま寝ようという作戦でした。一軒家の民泊はオーナーの香港人が出てきて歓迎してくれました。コロナが収束したら多くの外国人が泊っていくことになるのでしょう。道内在住の同期が用意してくれたおつまみと大量のお酒で深夜まで盛り上がったことは言うまでもありません。翌朝は気温12度で冷たい雨が降っていました。9時の電車に乗って小樽を後にしました。済んでしまったことは仕方がないのですが、一週間ほどは今回の旅行のどこかでコロナを拾ってきていないかとびくびくして過ごすことになりそうです。