カーライルの今
― あれから50年 ―
桜の花が散って新緑になり、春本番という季節ではありますが、相変わらずのコロナ騒ぎとウクライナでの戦争が暗い影を投げかけています。早くどちらも解決してほしいと切に望みます。そんな中である日ふと思い出したのは、「Carlisleへ行ってからことしでもう50年になる」ということでした。22歳の時にイングランド北部のカーライルという町で飛行機の練習を始めてから一年余りの期間の話は、10年前に「回想イングランド」という題でこの欄に詳しく書きました。とりあえずは我々が飛行機の免許を取って卒業した「CSE Oxford Air Training School」をパソコンで検索してみましたが、この名前では存在していませんでした。ただ、Oxfordに飛行学校はあるので、多分途中で身売りしたのでしょう。
では、懐かしいカーライルの飛行場は今どうなっているのでしょうか?記憶している50年前の飛行場は、3本の交差している滑走路があり、我々が訓練で使用する小型機の格納庫がありました。それからフライトの前後に飛行計画を立案したり、フライトの前後に教官と話をするフライト・オペレーションがあり、その横には赤鼻のハリーがバーテンダーのエアーポート・パブがありました。そのほかには管制塔と飛行場の消防署がそれぞれ別の建物でありました。我々訓練生が生活する寄宿舎と座学に使用する教室があるレンガ造りの建物は空港の施設とは離れて建っていました。
早速パソコンでGoogle Earthを起動して、イングランド北部に移動すると、懐かしいCarlisleの街がありました。Airportはそこから北東に直線距離で5キロのところにあります。我々が寄宿舎に住んでいたころは「Carlisle Airport」でしたが、今は「Carlisle Lake district Airport」という名前になっているようです。近くにある観光地「湖水地方」のほうが知名度は高いから変更したのでしょうが、定期便は飛んでいるのでしょうか?まずはWIKIPEDIAでこの飛行場の概略を調べてみました。飛行場の名前が変わるについては、20世紀の終わりころに様々な動きがあって、どうやら話は空港の所有者であるカンブリア郡から物流会社に150年の長期リースの契約をして、ここに貨物の一大物流センターを作るということになっていったようです。地理的にはイングランド、アイルランドとスコットランドの中間に位置しているので申し分ありません。1800メートルの滑走路はあるものの、B737クラスの飛行機の重さに耐えられる滑走路の強度が必要で、改修計画も出てきたのでしょう。空港の所有者が変わる中で空港名も変わっていったということのようです。
Google Earthで空港に近寄ってみると、昔と大きく変化しているところが2か所ありました。一つは空港の南側で、ターミナルビルと大きな倉庫が見えます。これは空港再開発の目玉になる施設のようです。もう一つは北側に古い飛行機が並んでいて、Solway Aviation Museumと書かれています。我々が一年余り寝泊まりしていた場所が博物館になっていました。展示されているのは写真で見たところ、第2次大戦後にイギリス空軍で使用されていた戦闘機や爆撃機など9機のようです。滑走路は東西方向のメインが一本、南北に向けた短い滑走路が一本の構成になっているようです。地域振興のための苦闘の末に何とか新しい飛行場が形になってきて、誠に喜ばしいと思ったのですが、最後に「新型コロナにより、空港と博物館は2020年4月1日から閉鎖中で再開は未定」と書かれていました。せっかくの大型プロジェクトなので、ここはじっと耐え忍んで将来につなげてもらいたいと切に思います。