2度目のブラジル 写真集その6
― アマゾンでゴルフをする ―
2022年を迎えて
案の定というか、やっぱりというか、今度は「オミクロン株」という変異株だそうで、先月までの楽観的な雰囲気が一度に様変わりして、なんとなく世の中が落ち着かなくなってきました。「ワクチン2度接種済み」という印籠の効き目はわずか半年でなくなってしまいました。ワクチン打っていてもかかるのならもはや打つ手はなく、家に閉じこもっているしかないのでしょうか。
こうなってくると、先月大事をとって東海自然歩道を中断して帰ってきたのが悔やまれてきます。「これから先のことは様子を見ながら成り行きで判断するしかない」という行き当たりばったりの展開となってくるのでしょう。昨年の年末に一年間の総括を書かせてもらいましたが、2021年も「今年の一年間もほぼ前年と同様のつまらない生活でした」で終わってしまうコロナに翻弄された一年でした。幸いにも自身が病気になることはありませんでしたが、気分は最悪でした。せめてゴルフの調子が良くなっていれば多少の慰めになったのでしょうが、こちらも目を覆うほどの凋落ぶりで、気分転換どころかストレスを求めてゴルフ場に行っているのかと思うような成績でした。
愚痴はこれぐらいにして、今年こそは明るく元気に過ごしていこうと誓うケンさんでした。
アマゾンでゴルフをする
2010年に初めて乾期のブラジルを旅して、半年後に雨季のアマゾンを見に来るから、その時一緒にゴルフをしましょうとベレンの旅行会社のキタジマ社長と約束しました。キタジマさんはその後病気でお亡くなりになって、あの、とんでもないことを飄々と語ってくれる名調子はもう聞けないのかと思うと、残念でなりません。2011年の訪問で一緒にゴルフをしたのが、最後になりました。今回はその時に撮った写真を見返して10年前のブラジルのゴルフ体験を思い出してみることにします。ベレンの街を社長自ら案内してくれながら、色々な面白い話を聞かせてもらいました。坪井さんも私もゴルフをするというと、「是非私たちが作ったアマゾン・カントリークラブでプレーしてほしい」とおっしゃりました。「ベレンの日本人有志で土地を買って9ホールのゴルフ場を作った。理事長も務めた」という話でした。その場で「では次回はゴルフクラブを持ってきます」という話になったわけです。
アマゾン奥地の自然保護区から一旦サンパウロに帰って休養しました。そのあと日本からわざわざ持ってきたゴルフセットをもってベレンまで飛びました。空港でキタジマさんに再会して、車で日系人の多いトメアスーまで出発しました。5時間かかる道中でキタジマさんにブラジルのゴルフ事情などを教えてもらいました。ブラジルではゴルフはマイナーなスポーツなので、「ゴルフをやろうと思えば自分でゴルフ場を作るしかない」ということだそうです。向かっているトメアスーは日本人入植者が作った町で、ここにもゴルフ場を作った連中がいるので、明日はそこでプレーするということでした。
一泊して翌日に町のはずれにある「トメアスー・カントリークラブ」に向かいました。前日の豪雨も止んでいい天気でしたが、水たまりが随所にありました。クラブハウスは御覧の通り、塗装が少し剥げていましたが、「TOMEASU COUNTRY CLUB」と読めます。まだだれも来ていなくて、クラブハウス周辺をうろうろしているうちに、徐々に人が集まってきました。基本的に管理をしている夫婦が大型農機で草を刈るような仕事をしているようです。
いつの間にか、村の子供たちもキャディーの仕事にありつこうと集まってきています。村の人も付き合ってくれるようで、6人の組が出来上がりました。ほかにプレーする人もいないので、準備完了すると9ホールあるトメアスー・カントリークラブのゴルフが始まりました。キャディーの兄ちゃんはサンダル履きでカートを引きます。
一番ホールのティイング・グランドです。9ホールをうち場所を変えて2度回るので1番と10番になります。雨上がりでボールが転がらないので距離の判断が大変でした。ラフは密生しているし、その奥はジャングルなので冷静な判断も必要です。
3番ホールは谷越えのパー3ホールです。旗は御覧の通りの竹製で、なかなかワイルドな雰囲気を出していました。熱帯のゴルフでは、やはりグリーンの芝の維持管理に苦労するそうで、プレーヤーにとっても転がりが予測不能なグリーンは難敵です。9ホールのプレーを終えて旅館に帰ってシャワーを浴びようとズボンを脱ぐと、足に無数の赤い点々がついていました。そういえばむず痒いような気がしていたのですが、これはジャングル名物の「ムクイン」というダニの噛み跡でした。1ミリ以下の小さなダニで、靴下などもかいくぐって入って来るとのことでした。赤い発疹は日本に帰っても3か月ほどは消えませんでした。
ワイルドな「トメアスー・カントリークラブ」から5時間かけてベレンに帰ってきました。翌日はいよいよキタジマさんが理事長を務めていた、その名も「アマゾン・カントリークラブ」でのプレーです。苦労して作ったコースは街からすぐのところにありました。昔は原野だったそうで、最初は3ホールから始まったそうです。グリーンは芝で作るのがむつかしかったので、サンド・グリーンだったそうです。今ではクラブハウスも練習場も完備した立派なコースで、食堂もあり、従業員も働いていました。
とても赤道直下のコースとは思えないほどの整備状況でした。樹木も手入れされているし、バンカーもきれいにならされていました。こういったことは常に気を付けていないと日本のコースでも整備が見落とされやすいところです。パー5のホールでは、果敢なジャングル越えのショットが要求されました。これぞ熱帯ゴルフの醍醐味でした。残念ながら12番ホールを終わったところで、そろそろサンパウロ行きの飛行機の時間が気になり始めたのでゴルフは切り上げました。クラブハウスに帰って昼食となり、魚のから揚げでビールを飲みながら、ブラジルのゴルフ事情を話題にしばらく盛り上がりました。そして飛行機では爆睡して、無事サンパウロまで帰り着いたのでした。
サンパウロのリベルダージへ帰りついて「かぶら」で飲んでいるうちに、サンパウロのゴルフ場へ行く話がまとまってしまいました。サンパウロ郊外のカントリークラブへそこのメンバーの日系人が連れて行ってくれることになったのです。当日、坪井さんと私はタクシーで「サンパウロ・カントリークラブ」へ向かいました。運転手はゴルフなどという、ここではマイナーなスポーツを知るわけもなく、さんざん道に迷った末にやっとのことでたどり着きました。ここでご招待に預かったマベさん親子が待っていてくれました。この「サンパウロ・カントリークラブ」は本物のお金持ちのスポーツクラブで、乗馬、テニス、ヨット、ゴルフなどにキリスト教会、コッテージなどが湖を囲んで広大な敷地に展開されていました。18ホールのゴルフ場は日本やアメリカの名門コースと全く遜色ないものでした。
ブラジルのゴルフ場3か所を廻ってみての感想は、やはり手作りの「トメアスー・カントリークラブ」が一番印象に残っています。曲がった竹を突き刺したピン・フラッグが目に浮かびます。自分たちでゴルフ場を作ってしまうというバイタリティーは現代の日本人がブラジルの人たちに学ぶ点だと思います。「アマゾン・カントリークラブ」は現地の日系人によって見事に運営されていました。ゴルフ場は来場者全員に楽しさを提供していました。そして「サンパウロ・カントリークラブ」はブラジルの豊かさを見せてくれました。2度目のブラジル旅行は大好きなゴルフを楽しんで大団円となりました。