老人の昔語り その7

      ― ブラジル旅行から10年 大アマゾンへ ―

 2021年になっても去年と状況は変わらず新型コロナウィルスが猛威を振るっています。東海自然歩道を再開できるようになるまでに、こちらの足が弱ってきそうです。先日テレビで東海自然歩道1100キロをノンストップで走るという番組がありました。40歳のランナーは16日余りで走破してしまいました。歩き始めて6年目でやっと静岡県に達したわたしは素直に「エライ」と称賛するしかありません。
 さて、ブラジルの話に戻りましょう。パンタナールから、ホームベースにしているサンパウロのリベルダージに帰って、山ほどたまった洗濯物と格闘しました。何しろパンタナールでは茶色い水しか出なかったものですから。リベルダージでは昼間は洗濯機の付き添いで、夜になると居酒屋「かぶら」へ行って、ビールとカシャーサで焼き鳥、刺身で乾杯するという流れでした。本当は2,3日ゆっくりしたかったのですが、何しろ3週間でブラジル国内をぐるっと回ろうという計画なのでそんな余裕はありません。わずか1泊しただけで、生乾きの洗濯物をカバンに詰め込んで、早朝にタクシーで再びガリューリョス国際空港へ向かったのでした。4時間飛んでアマゾナス州マナウスに到着しました。アマゾン最大の都市マナウスは人口150万の大都会です。郊外には工業団地があり、日本の会社の工場もあります。


 上空から見ると、乾季のアマゾン川は砂地が多くてどこまでが川なのかわかりませんでした。雨季になると水位が20メートル上昇するということなので、半年すれば水浸しの風景になるのでしょう。


 空港からタクシーで港へ行って、そこから20キロほど下流にあるアマゾン・リバーサイド・ホテルにボートで向かいました。港には雑貨屋、果物屋、魚屋などが並んでいました。ガイドのリンドン君は長いこと日本に住んでいたので日本語は完ぺきでした。




 アマゾン川河口から1600キロ行ったところにマナウスの街はあります。川幅は数十キロあるので、水路を示すために川に灯台があります。乾季の今はこの通りですが、雨季になると上まで水に浸かることもあるそうです。実際に2度目に行った時には船がぶつかって一方の灯台は無くなっていました。川にはガソリンスタンドが浮かんでいました。長距離の交通手段は船なので、マナウスの近辺には水上スタンドが点在していました。この辺りがアマゾン本流のソリモエス川と北から流れてくるネグロ川の合流地点で、色も性質も違う水が交じり合わずに暫く流れていきます。ホテルのロビーからは雄大なアマゾン川が見渡せました。客は我々と他に二人の日本人だけでした。食事もここでとることになっていました。川魚、野菜、フルーツとどれもおいしいものでした。




 リンドン君が「ナマケモノ」がいると騒いでいたので行ってみました。ホテルの通路の脇の木の上にいるというのですが、全く動かず、ぼろ雑巾が木に引っ掛かっているようにしか見えませんでした。翌日にはいなくなっていたので、その気になれば動くのでしょう。さすがに何でもデカいアマゾンだけあって、拾ったカブトムシは握り拳ぐらいありました。ごそごそと動いているカミキリムシはバナナと同じ大きさでした。ジャングル・トレッキングで裏山を散策しました。色々面白いものがありましたが、思いがけずモルフォ蝶が飛んできたのにはびっくりしました。羽を広げると光沢のあるメタリック・ブルーの羽が輝き、昔の昆虫少年にとっては夢のような光景でした。






 マナウス滞在最終日に町の市場を見学しました。アマゾン最大の都市マナウスには港に隣接して大きな市場があります。野菜市場はトラックに山積みされた青いバナナがひっきりなしに入ってきました。完熟のパイナップル、オレンジ、スイカ、メロンと並んでいます。隣には魚市場があり、巨大な魚が山積みになっていました。1メートルを超えるナマズや日本では観賞魚のアロアナ、黄色い卵を抱えた、見たことのない魚などがずらりと並んでいました。










 市場の露店で薬草のようなものを売っていました。店を冷かしながら歩いて行くと、アマゾナス劇場が見えてきました。このオペラ劇場はアマゾンが生ゴムの取引で潤っていた頃に、ヨーロッパからお金にあかせて物資を運んで作ったもののようで、とても熱帯のジャングルの街にあるものとは思えませんでした。中ではオーケストラが練習していました。劇場を見物した後は博物館へ行きました。水槽の中で3メートルはある巨大なピラルクがゆうぜんとおよいでいました。鱗1枚がちょうど小型の靴ベラになる大きさで、市場の雑貨屋で売っていました。午後からは空港に向かい、我々は次の訪問地、アマゾン河口のパラ州ベレンへと向かったのでした。