老人の昔語り その5
― ブラジル旅行から10年 サンパウロの思い出とイグアスの滝 ―
2011年の11月に、初めてブラジルに行ってから、早いものでもう10年たちました。私自身ももちろんですが、これを読んでくれている人も昔読んだことはあらかた忘れてしまっているはずなので、旅に出られない旅日記をグズグズと書き連ねるよりは、10年前の記憶と写真をもう一度引っ張り出して見てみることにします。昨今のコロナ状況からは当分の間は長期の旅行は無理と思われますので、昔の写真でも引っ張り出して混濁した記憶から何かを思い出せれば幸いです。
1回目のブラジル旅行は2011年11月上旬で、坪井夫妻と私はカタール航空に乗って、ドーハ経由でブラジル・サンパウロに向かったのでした。乗り継ぎ時間を含めて26時間という長丁場を、人生初めてのアフリカ上空を横断して、大西洋からリオデジャネイロ沖を通過してサンパウロ・ガルーリョス国際空港に無事到着したのでした。迎えに来てくれた娘に案内されて、サンパウロの日本人街リベルダージに向かいました。上の写真はカタール航空のボーイング777とリベルダージの日本庭園です。雪洞が3つのデザインの街灯がリベルダージのシンボルのようです。ここで時差調整のために2日過ごして、それからいよいよ23日間に及ぶ「ぐるっとブラジル一周の旅」が始まった訳です。もともと広いブラジルを一度で全部見て廻ろうとは考えてなかったので、「とりあえず様子見で一まわりしてみる」というのが、今回の旅のコンセプトでした。
リベルダージの食堂でよく見かけるのは「ポルケイロ」と呼ばれる、ブフェスタイルのお店で、自分の食べたいものをお皿に盛って、会計のところのはかりに載せると、種類に関係なく「重さ」で料金が計算されるというものです。みそ汁とコーヒーは最初から料金に入っています。リベルダージの地下鉄駅の周辺には「たこ焼き屋」、「花屋」、「和風小物」などの露店がいつも並んでいます。駅前広場の塔には「RADIO TAISO」と書かれていて、毎朝日系人の年寄りがその近くに集まってラジオ体操をするようです。
サンパウロはブラジル最大の経済都市で、ビル群が立ち並び、地下鉄も走っています。大聖堂も随所にあります。宗教でいえばどうやらキリスト教のカトリックが幅を利かせているようですが、日本の仏教の寺院もあります。近代的な大通りには、ひっきりなしに人が出入りしているビルが立ち並び、その横には日本で見るパトカーよりはかっこよく見えるこちらの警察車両がとまっていたりします。世界的に有名な治安の悪さなのですから、このカッコいいパトカーも随分と忙しく働いているのでしょう。それにしても傷一つ無かったのは、警官が運転上手なのか、たまたま新車だったのでしょうか。
日本人街リベルダージに「かぶら」という和食屋さんがあり、そこが我々の根城になりました。写真は「鯖の塩焼き」(エンショーバ)です。ビールの大びんをあおりながらこれを食べるのがいつものパターンになりました。
旅の始まりはイグアスの大瀑布
サンパウロから南西に飛行機で1時間半ほど飛んだところが、アルゼンチンとパラグアイとブラジル三国の国境です。そこにイグアスの滝があります。パラグアイ側からはあまり見るべきポイントはありません。大部分がアルゼンチン側からの眺めになるので、車で国境を越えてアルゼンチンに入ります。暫く車で走るとイグアス国立公園の入場口があり、入場券を買って中に入って行きます。広場を歩いて行くと滝口まで行くトロッコ列車が待っています。観光客で一杯になったトロッコに乗って行くと広場で停車します。そこからイグアス川に作られた歩道橋を歩いて行くと「悪魔の喉笛」という恐ろしい名前の付いた滝口に出ます。川に沿って歩いて行くと、滝が近づくにしたがって重低音がお腹に響いてくるようになりました。そして突然今まで静かだった川の水が、崖から流れ落ち始めました。その迫力たるやすさまじいもので、「オー」としか表現できません。周囲の人たちも「オー」以外に言葉を発しません。この滝口は全長3キロとも5キロとも言われていて、はるかかなたの滝口までひたすら「水が落ちている」のです。ここから先は張り巡らされた遊歩道を歩いて行くのですが、世界一だけあって、水しぶき、轟音、川にかかる虹、見物の大型ボート、ヘリコプターまで飛んでいます。一日でとても全部見るというわけにはいきませんが、水の量と迫力に圧倒されてイグアスの滝見物は終わったのでした。