デンマークハンドメイド系図

 つたない資料と知識で1回自分の頭の中を整理してみたかったのでダニッシュハンドメイドの黎明
 というのを作ってみた。 補足や間違いがある場合大変申しわけありませんが伝言板やメールにて
 教えてください。
 このような事はWEB上で探してもなかなかみつからないのでこのような頁を作ってみました。
 偉そうに黎明とつけましたがご勘弁を・・・・
 

時代背景
 デンマークでは第2次大戦ナチの占領下及び終戦後煙草は統制下にありシガレットは配給制でした。
 煙草を有効に吸う為 人々は机から古いパイプを持ち出して使いました。
 ほとんどが戦前に輸入されたイギリス製で古い為 壊れた物が多く その為修理に出される事が多かったのです。
 したがって煙草小売店には多くの修理パイプが持ち込まれた時でもありました。

 戦後にはデンマークは優れたデザインの工業製品を世界に紹介するため 国の資金により
 デン・ペンネルマンテという工芸品展示場を作り輸出の振興を図り始めた時代でもありました。


デンマークHand Madeの始まり
 ハンドメードパイプの創生は、デンマークの首都コペンハーゲンにあるスーアパイプ小売店からはじまった。
 時は1946年スーアの店にパイプを造って欲しいと1人の客が注文にきた。
 あいにくパイプ職人が怪我をして休んでいたので客の要望に応えられそうに無かった。
 ちょうど店に遊びに来ていた月賦の集金人が私が作ってみようといいだした。
 客も店主も乗り気になりその男にブライヤーの根塊とエボナイトの材料を渡し作る事になった。
 後日月賦集金人はそれは見事な出来栄えのベントのパイプを作りあげ客も店主も驚いた。
 その月賦集金人こそスィクステン・イヴァルソンその人であった。
 やがてイヴァルソンは月賦集金人を本業としスーアの店でパイプ修理のアルバイトを始めた。
 そのうち月賦集金人を止めスーアの店でパイプ修理職業を本業にした。
 少しずつではあるがパイプ製作も初めた。後日ポウル・ラスムッセンが彼の所へやってきて
 ハンドメイドパイプの技法を習いだした。
 これが昨今花を開いたフリーハンドメイドの創生劇といわれる。
  1951年にイヴァルソンは独立したが製作だけでは生活できず修理が中心であったといわれる。
 スーアの店は、スーアの主人の死後ポウル・ラスムッセンが買取りました。 


デンマークHand Made開花
 1.アメリカへのマーケティング
   1943年コペンハーゲンにパイプ小売店を開いたH・ダン・クリステンセンは彼自身が考案した
   オリジナルデザインのパイプを載せた立派な英文カタログを作りアメリカ人相手に
   通信販売を始めました。
   このカタログには、イヴァルソンのパイプを写真いりで載せた為 アメリカへもハンドメイドパイプの
   良さが伝わりつつありました。
   方やアメリカでは古き良きアメリカ時代1950年代といいましょうか 多くの富裕層のアメリカ人が
   ヨーロッパ観光をしモダンデザインのハンドメ-ドパイプはアメリカのインテリ層にもてはやされつつありました。
   スタンウィル社の戦略
   クラシックパイプではイギリス・フランスの伝統あるパイプメーカーには太刀打ちできないと考え
   S・イヴァルソンのハンドメ-ドパイプデザインを購入し独特のダニッシュパイプを量産ラインに乗せ
   アメリカへ輸出をはじめました。今日のスタンウィルの成功はこの営業戦略があったからこそ
   と私は思います。
   トーベンダンスク社の戦略
   手軽に一流ハンドメード作家パイプの雰囲気を味わうというのを前提にしてます。
   スタンウィルがイヴァルソンに対し ミッケやコノウィッチ等からデザインを購入
   それを精巧なコピーイングマシン(習いマシニングや習い旋盤)で忠実にコピーし量産している。
   私はトーベンダンスクのヤールラフスティックパイプを購入した。
   ヤールとはミッケの長男の名前です。
   マウスピースを含め仕上げの良さは出色ですね。現在は柘製作所が輸入元です。
 2.ハンドメイド作家達
   ダンと同じ様にラールセンも独自の工房を持ちハンドメ-ドパイプを造りだしました。。
   ラールセン工房にはスヴェン・ヌードセン フォーマー(H・J・ニールセン)
   ラスムッセンの工房にはゲルトホルベックがいました。
   ラスムッセンはホルベックには、ハンドメードの作り方を教えようとしなかった為
   ホルベックはダンの店へ移籍していきました。1958年のダンのカタログ第3版にはホルベックの
   作品が載りました。こうしてホルベックは独立しました。
   スヴェン・ヌードセンはラールセン工房を1959年に去り友人と共同で工房をもちました。

 こうして1950年代にダニッシュパイプの礎となるような作家達 S・イヴァルソン、ラスムッセン、
 ホルベック・クヌートセンといったようなハンドメード作家達の作品がアメリカで花開き始めました。


花開いたダニッシュHand Made作家達
 とりあえずだれが誰に師事したのかを表にしてみた。又現在沢山の作家さんがいますがここでは
 ダニッシュハンドメイドの黎明期に活躍していた私が知っている有名人だけを上げています。

名前 師匠・出身工房 作者紹介
シクティン・イバルソン スーアパイプ小売店 ハンドメ-ドパイプの創始者と言っても良い
ラルス・イヴァルソン 父親のシクティン・イヴァルソン シクスティンの次男で子供の頃から仕事場で
パイプ作りをした。
前衛的で技量は父親を凌ぐのはないかと言われている。
ポールイルステッドベック ノーディングの工場→スヴェンドボルグ
→ラールセンの工房
1946年 コペンハーゲンに生まれる。(2007年現在61歳)
当初ITTという大会社に製図工として5年間勤めた。
パイプは1965年頃より趣味で作り始める。
ある時ハンドメードパイプの展示会を見に行った折
ノーディングと知り合う。ノーディングも機会技術者だったので
どのような機械を使えばパイプ作りが要領よく出来るか
親切にポールに教えたそうです。
イルステッドは非常に喜びパイプ作りに精を出し製図工を
辞めて1967年にノーディングの工場へ就職 
ここでパイプ作りの基本を教えてもらい
2年後スヴェンドボルグの工場へ移籍
ここでイルステッドはハンドメイドパイプの技術を教え
又パイプのデザインもした。スヴェンドボルグのパイプには
彼がデザインをしたパイプが多い。
次ぎに2年後ノーディングに戻り1年後には、ラールセン工房へ
ここで工場長をしていたフォーマーの下で働きだす。
3年f後の1976年に独立をした。
作風はメリハリの利いた鋭さに特徴があり ボウルやステムに
エッジをピシリと決めたデザインが特徴
キャリアから分かるように工作技術レベルはかなり高い。
作家名はポール・イルステッドで名乗っている。
テディ・ヌードセン ラールセン工房 1947年生まれ(2007年現在60歳)
1967年まで家具職人でした。1967年の10月から1968年10月まで
空軍の整備士として働き余暇を利用してスタッフにパイプを
作ってあげました。
これが彼のパイプアーティストの始まりとなる。
1970年に彼自身のワークショップをもち現在に至ります。。
その頃兄のスヴェンとよく比べられました。
その当時としてはスヴェンの方が有名でした。
エミール・コノウィッチ
イエス・コウノウィッチ
ポウル・ラスムッセン工房 イエスはエミールの息子です。
ボ・ノールト S・イヴァルソン
フォーマー(H・J・ニールセン) ラールセン工房 本名は、H・J・ニールセン フォーマーはニックネーム
フォーマー(形成者、構成者)の名にふさわしい風貌の彼は
独立したとき仇名をそのまま作家名にした。
1941年 ユトラントで生まれる。(2007年現在66歳)
16歳でパイプ職人になる。弟子としてポウルラスムッセンの
所に入る。1963年ラールセン工房に移籍
その後ラールセン工房の工場長となる。
後輩に当たる若い作家達が独立するのを横目で見ながら
ラールセンで働く事13年 1975年に独立
作風は堅実で嫌味がなく使いやすい飽きのこないシェープが
特色である。それだけデザインの新鮮さを求める人達には
やや足りなさ感を与える。
ゲルト・ホルベック ダンパイプ小売店 1928年 コペンハーゲンに生まれる。(2007年現在79歳)
25歳でスーアの店にパイプ修理職人として就職した。
当時彼は赤貧の状態にありパイプを造れば金になるという
思いが強かった。ラスムッセンはパイプの作り方をまるで
教えてくれない。彼は密かにその技術を盗み隠れるように
パイプを造り始める。3年でスーアの店をやめて
パイプ職人としてハンドメードパイプを造り始める。
無名の彼の作品は小さな煙草屋のショーケースにかろうじて
並べてもらえた。偶然にそれを見たダンクリステンセンに
ダンオリジナルの盗用ではないかと怒鳴りこまれた。
それが誤解であるとすぐに分かりダンクリステンセンは、
ダンの店にてホルベックの作品を採用した。
ホルベックの作品は、ダンとの共同デザインのアンバサダー
シリーズと彼独自のエルシノアシリーズに大別される。
ダンのカタログに載ったのは、シクスティンイバルソンより
1年も早かった。
ヨーン・ミッケ S・イヴァルソン 元は医学生 ノイローゼになり趣味で
始めたパイプ作りが本業となる。
わが国では伝説的有名作家
アンネ・ユリエ工房 イエス・コノウィッチ ポウル・ラスムッセンの妻であったが
ポウルが心臓病で急死
彼はアンネにパイプ作りを全く教えていなかった。
このためスーアの店に2年ほどイエス・コノウィッチが
パイプを創り続けその間にアンネ・ユリエは
パイプ創りを教わった。
その後デンマークの広報担当者と同棲した。
その広報担当者の働きで女性のハンドメード作家が
いると言う事でアメリカでTVにでるという幸運を掴み有名になる。
赤白のマークは先夫ラスムッセンゆずりである。
アンネ自身はパイプを造っておらずブランド名にすぎない。
ラールセン工房 ラールセン工房 W・O・LARSENの創業は1864年
多くのハンドメード作家を排出した工房
1926年のデンマーク王室御用達パイプになりました。
箱についている王冠マークが付いていた時期があります。
それいらい高級パイプとして今にいたっています。
ラールセン御本人は今現在高齢であるためパイプは作っていないそうです。


アメリカでのダニッシュパイプブームの終焉と日本上陸

 H・ダン・クリステンセンは、1974年8月13日コペンハーゲンの病院で息を引き取った。
 一つの時代が終わったとも言う人もいる。
 アメリカのダニッシュパイプブームは1970年前後で幕を引くように急速に終わった。
 パイプブームに便乗していかにも手作りらしさを誇張したような怪奇なパイプやデザインの悪いパイプ
 が氾濫しアメリカ人もさすがにそれに気が付き誰も見向きもしなくなった。
 これはハンドメード風を作れば売れるというような風潮で行き過ぎたマーケッティングに由来する。
 この頃に日本へハンドメードパイプが流れこんでくるようになる。
 日本でもハンドメードでなければパイプではないといわれるくらいデンマークパイプに花が咲いた。
 しかし日本でも1975年頃に下火になる。
 
 少し話しがずれますが一時期テディ・クヌトーセンは柘製作所が輸入元でした。
 テディパイプが載っている柘のカタログは今でも名古屋菊井2丁目のパイプショップフナハシに
 あるのでもし興味がある方は寄ってみてもいいだろう。
 私のティディパイプのチムニーとダニッシュ風のファンシーパイプは、その頃輸入された物で
 フナハシで何十年も眠っていた物です。
 
 日本においてはダニッシュパイプの作家達は神格化されたようにまことしやかに嘘の伝説等が生まれました。
 神格化著しいのはヨーンミッケでしょうね。
 彼のパイプはイバルソン共々高値で取引されています。
 「デンマークのパイプ」の著者松山氏は著書の中でそれを書いています。
 確かなのは、自分の手元にあるパイプだけです。