あなたの知らない布引坑ツアー




2020年3月、幌内炭鉱 布引坑を巡る、
炭鉱跡地探索ツアーを開催。
山中の旧鉱を探検する。 全体図

まずはアクセスする林道を1.5q移動する。
炭鉱跡地の風洞、扇風機施設、そして火薬庫や立坑巻上施設がターゲットだ。
幌内炭鉱は明治12年(1879)開坑〜平成元年閉山と非常に歴史が長い。 林道


やがて腐食した鉄塔や土台の残る一角に達する。
ここ布引坑はかつては立坑を主とする主力坑口であった。
昭和42年(1967)に幌内立坑が完成した後は通気坑口としてその役目が変換となった。 鉄塔


まずは沢を渡渉し、火薬庫の探索だ。
沢向こうの建屋が保管用、手前側が当日使用分の火薬保管庫だ。
崩れた煉瓦や壊れた扉もよく確認する。 火薬庫


少し進むと繰込所の廃墟だ。
入坑前後の人員管理や、待機の施設跡だ。
消火器に記載された北炭の文字やマークに興味津々だ。 繰込所


廃墟の現状をカメラに収める。
「捜検」と言われる、火災や爆発のきっかけとなる、
火器類の点検も行われた場所だ。 繰込所


その奥にある立坑巻上室だ。
重厚な煉瓦とRCの併用された建築方法が時代を感じさせる。
内部まで十分に探索する。 繰込所



内部の主要機器は撤去されているが、当時の雰囲気は十分残っている。
巻上機室前方にある布引立坑は大正6年(1917)完成で、深さ297m。
ここはその立坑に 「ケージ」人員・炭車輸送用の箱 を昇降させるための巻上機が設置されていた。 巻上室


戦後、揚炭・資材搬入は常磐斜坑(本沢)、坑員の入坑は布引立抗と集約された後、
浴場や坑口事務所などの管理棟は依然本沢地区側に残存していたため、
山を跨いだ本沢地区−布引地区を結んだのが 布引隧道だ。 巻上室


その奥に残る凍結した風洞の内部だ。
昭和42年(1967)幌内立坑完成後、布引立坑は通気坑口に転換される。
排気立坑として第二の使命を担うこととなる。 風洞


坑内の換気、メタンの希釈、温度の保持などを目的とする排気坑口には、
出力600kwの扇風機が設置され、坑内の空気を吸い出し、
昭和58年(1983)まで坑内空気を大気に拡散する機能を果たしていた。 風洞

その後は山中深くに残存する4片添斜坑用メンテナンス坑の探索だ。
海抜127mから地下164mへ急角度で下る坑内にはレイルも残り、
参加者の奥への興味も大きい感じだ。 斜坑


そして封鎖された4片添風洞である。
幌内立坑からは入気を行い、
坑内循環後、第2風井・4号風洞から排気された。 4片添風洞



続く風洞の廃祉付近をくまなく探索する。
付近は、入気を兼用した幌内立坑の建設と共に、
新たに掘削された排気専用坑道だ。 風井



500馬力の主要扇風機が残存する。
当時の札幌鉱山保安の許可証や、
扇風機の回路図なども残存する。 扇風機



OCB(Oil Circuit Breaker)と呼ばれる油入遮断機や、
防爆型過負荷遮断器などが所狭しと並ぶ。
各自、写真撮影に余念が無い。 遺構


この時期ならではの氷の芸術がある。
残雪の中、気温は高く汗ばむほどの陽気だ。
帰路で参加者が発見したのは謎の隧道。 巻上室

林道からやや離れた山中の斜面に残る廃隧道。
煉瓦の坑門を持つほぼ埋没した坑口だ。
発見者が辛うじての隙間から入坑する。 隧道

廃隧道は鋼製の支保工が残る。
内部は50m程で埋没している。
坑道でもなさそうで、この時点での素性は不明だった。 隧道

帰宅してから発見者が解明した内容は、布引隧道布引側坑口であった。
昭和27年(1952)掘削の人車用連絡隧道の痕跡だ。
探索終了後も周囲を確認していたことで発見できた大きな遺構であった。 隧道



参加の皆様、お疲れ様でした。
また、たいへんありがとうございました。







探索
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