廃墟のジャングル
杜に残る隧道の坑口である。
しかしその上部にも遺構がある。
斜面に残る遺構に突入してみよう。
坑口から入って30mで上部からの廃祉と交差する。
隧道自体も斜坑のように下っており、
これは恐らくローラースクリーンを介した原炭を流すベルトコンベヤーの隧道であろう。
未選壜の下端は積込用のホッパーとなっており、
ここから流れ出た原炭がコンベヤーに載り、
鉄片除去機や粒度均一装置に運ばれたようだ。
下ること50mで出口の坑口に接続する。
坑門付近は漏水が酷く、
路面は荒れている。
対面の坑口は森に還りつつあり、
意図的に置かれたRCブロックがある。
夏場はその姿さえ見えないようだ。
坑口の先にはすぐに原炭ポケットである。
一日に処理するブラッドフォードブレーカーで細かく粉砕された原炭が蓄積され、
未選壜の延長である原炭ベルトコンベヤーに同じく載せられたようだ。
原炭ポケットの周囲上部には、
鋼製の階段がぶら下がっている。
内部を覗きたかったが、さすがにこれは断念する。
原炭ポケットの最下端は独特の色をした、
漏斗状となっている。
これは粒度均一装置かもしれない。
ここからはRC製廃墟のジャングルである。
再選機かチェーンフィーダーなどの装置かも知れないが、
もうこうなっては素性が解らない。
それにしても巨大な廃祉が接続する。
原炭ベルトコンベヤーは幅1.2m、運搬能力650t/時のスペックを誇り、
当時の能力としても特筆した性能であった。
育った巨木が年月を感じさせる。
ここにはH鋼が倒れており、
鉄材はスクラップとしての価値があったはずだが残っている。
当時は「無人選炭機」と呼ばれた重液選炭機工場付近。
廃階段があり上部へ続いている。
登ってみよう。
上部は電気系か動力室のような一画だ。
バケットエレベーターや水選機の稼働動力は、
合計で926馬力におよび、選炭機総使用動力は1,557馬力に達したらしい。
付近には昭和43年検印の回路図が散乱している。
トランジスターが連続して制御してあり、
どうやら圧縮空気用のコンプレッサーの配置のようだ。
珍しく外灯の部材が朽ちている。
諸施設の当時の総工費は21億円。
現在の価値で言えばその15倍にあたる。
床下に大きな穴の開いた積込ビン施設。
ここは特粉バケットエレベーターに接続する、
特粉炭ビンのようだ。
大きな建築物が残存する。
これはホッパー機能の積込ビンのようだ。
下の穴に貨車が入り、上部から配炭を落として貨車に積込むのだ。
巨大な遺構は続く。
これは恐らく選炭事務所関係だと思われる。
系統照光盤で表示された制御室の押釦式開閉器にて総括制御を行っていたのだ。
連続する水路のような遺構の頂点には、
坑口が見える。
これは排水ポンプに繋がる揚水施設のようだが隧道に潜ってみよう。
隧道はわずか40m程度で埋没し、
坑内は荒れている。
やはりこれは水路のようだ。
これら選炭施設の規模は当時、東洋一を誇り、
年間百十万トンの生産体制を固めたものの、
最大出炭量142万tを記録するや否や閉山を迎えた。
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