丸山明神の大蛇様




旧戸井町は渡島半島南東部、函館と景勝地恵山道立公園の中間に位置している。
平成21年10月に函館市と合併したが、
南部は津軽海峡に面し、海流の影響もあり寒暖差が少なく、気候が温暖である。 津軽海峡

道路の周辺には昆布干しの風景が続く。
釜谷運賀川の「宇賀昆布」、銭亀沢の「志海苔昆布」は蝦夷地の昆布として、
最初に内地に知れ渡った品質的にも代表的なもので、かつては租税として物納されたようだ。 昆布干し


釜谷方面へ牧歌的な道を移動する。
戸井町の山頂から海岸を形成している岩石は、沖積期の火山活動の溶岩流であり、
八千〜一万年前以前の沖積期以降、大きな変動が無かったとされる。 戸井町


運賀川に沿ってダートの林道を遡る。
「クマに注意」の看板があり、
行き止まりとは言え、山菜取りの車両が多少通行しているようだ。 熊出没注意


海岸から600m、標高80mでも運賀川は一気に上流域の雰囲気となり、
目指す鉱山跡までもうすぐだ。
渡島山系の支脈が海岸線に向かい、山林が総面積の76%を占める。 運賀川


その先で謎の遺構だ。鉱山跡までは未達の場所だ。
これは祠か寺社の佇まいである。
詳しく見てみよう。 祠


外壁のみの廃墟である。
気無山(415m)と笹積山(367m)の間に408mの丸山という山があり、
霊山として大漁祈願の参拝がかつて行われた。 霊山


脇には「青波龍神」と彫られた石碑が残る。
丸山には龍神がいるとされ、かつては山麓に龍神堂が密に建立された。
漁師の目印にもなった丸山の、これは堂祠の一部かもしれない。 青波龍神


林道と運賀川が接触する辺りから東部が鉱山跡だ。
まずは運賀川を渡り、対岸の谷に入る。
周囲の状況に注意しながら歩く。 鉱山跡


倒れた電柱のような木材が川を跨いでいる。
これを流用して対岸に渡る。
位置的にはもう少し上流かも知れない。 橋梁



対岸には鹿道のような鉱山道路が続く。
しかし鉱山跡の痕跡は無く。
GPS頼りで谷間を進む。 鹿道


沢沿いに登る。
五万分の一地質図幅の小さな「Cu」のマークだけを頼りに推論している。
もうそろそろ鉱山跡付近のはずだ。 獣道



足元には大きな鉱石のような露頭がある。
かつて付近の鉱石は黄銅鉱が主流であったと言うが・・・。
河川には鉱毒の影響もあったとの古記録もある。 露頭


その先ではドラム缶のような鉄材の遺構である。
製錬までが本坑で行われた履歴は確認できなかったが、
産業遺産の遍歴では間違いないだろう。 鉄材


山中にはフランジの付いた鋼管が埋もれる。
径も80A程度はあり、かなりの太さだ。
汚泥化した鉱石を流したのだろうか。 鋼管


斜面の数少ない平地部分には更に止水栓のような遺構がある。
坑口や疎水坑が近くに在ったのだろうか。
更に山中を進む。 止水栓


やがて植生の無い一画があり、付近とは一線を画する雰囲気だ。
ここが埋没した坑口跡で間違いないだろう。
夥しい泥が流出したようだ。 坑口


近くには粗悪なコンクリート塊がある。
霊山丸山には「お穴」と称された洞窟があり、
お供え物が無くなることで、龍神様への供物が受領されたと歓迎したらしい。 コンクリート









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