釜栄鉱山跡  探検: 北の細道 釜栄鉱山跡

釜栄鉱山で架空索道跡に遭遇する




北海道旧戸井町

  (架空)索道とは山間や河川を直線で跨ぐ、いわばロープウエイやスキー場のリフトのようなものだ。
金属鉱山においては、その立地条件によって極めて多数の索道が利用されていた。
一方炭鉱においても、小規模な炭鉱の石炭輸送、あるいは絣捨場へのズリの運搬などに利用され、
山間の僻地にあるほど、その割合は多く、
しかし次第に能率の良い軌道運搬に改変されるのが通例である。

架空索道をその構造上から分類すると、単線式と複線式になる。
前者は1本の鋼索(ワイヤー)でバケットを保持しつつ、これを牽引する方式で
後者は静止した主索によってバケットを支え、別の曳索にて牽引する方式である。


一方運転形式からみると循環式(連続式)と交走式(釣瓶式)の分類となる。
循環式は一定間隔において連続的に多数の搬器を連ねて運ぶ形式であり、
交走式は曳索の両端に各1個の搬器を付け、上下停留所間を交互に往復させる方式である。
つまり前者の循環式が鉱山の連続するバケット運搬であり、後者がロープウエイ等の旅客運搬に適する。

単線循環式はバケットの積載能力が250kg以内、運転速度が1.5〜2.0m/sec、高低差600m以内となり、
これが複線となると500kg・2.0〜2.5m/sec・運搬能力は30〜200t/hrに及ぶ。


鉱山保安規則上もロープの安全率4以上、バケット下端は地表より5m以上、
運転速度は150m/min以下、風速20m/sec以上の運転中止等厳しく規定されている。


戸井町の運賀川上流に位置する釜栄鉱山は、
太平洋戦争中に黄銅鉱を主体に採掘された鉱山であるが、
瀬田来から館町までの日産戸井鉱山を中心とするエリアの鉱床と同じく、
詳細な資料は無く、町史を検索しても明確な古記録は出てこない


昭和11年に採掘が進められ、途中何度か休山したが昭和37年までは操業が続けられたようだ。
昭和35年には粗鉱銅品位10%で、月約15tが出鉱されていた。

鉱脈は5本が発見され新一番坑及び二番坑の2坑道が採掘されていた。
昭和39年に改めて鉱床診断を行った結果、
1号脈の下部、二番坑の南西下部に亜鉛の優勢な鉱脈の存在が確認されたが、
それは採掘に至らなかった。


今回は対象となる鉱床図や資料もないまま、
川を遡り、山中の鉱山跡を目指す。
そこには鉱山跡の確かな痕跡があった。








火薬庫・インクライン・坑口・・・


索道
( ̄u ̄;)架空索道



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