清水沢発電所への路
日吉地区に残る自動車教習所の廃墟。
今はもう見ないタイプの信号機やダミーの踏切、坂道が残存する。
炭鉱跡地は脇のズリ山の向かい側だ。
石勝線夕張支線を超えて北上する。
振り返ると「現研山」と呼ばれたズリ山が見える。
閉山から50年近く経過しても植生が戻らない。
斜面にはすぐに遺構である。
80A程度の太さの配管が埋没している。
これはガス抜きの配管かも知れない。
土手には水平を保つように鉄塔が残存する。
恐らく肩風道までボーリングした「ガス抜きボアホール」から、
地上に出た鋼管がレベルを保って次の施設まで導くための脚であろう。
斜面の上部は広大な荒れ地となっている。
ここが平和抗 第一立坑付近だ。
奥にはRC製の設備が見える。
コンクリート製の廃祉は密閉された立坑の跡であった。
昭和28年3月完成の排気立坑だ。
およそ地下900mまで続く深い穴だが現在は上部が厚いコンクリートで覆われている。
付近には立坑密閉後のガス抜き用煙突がある。
排気立坑の直径は一般に5〜6mであるが、これは有効風量や温度、湿度、
そして空気の粘性や坑道の摩擦抵抗、扇風機圧など複雑な条件が考慮される。
手前にはRC製のブロックが二連並ぶ。
これは主要扇風機とその駆動用機関の台座であろう。
圧力単位である水柱(すいちゅう)メートル(水深1mの水圧)300mm以上の高圧扇風機が設置されていたようだ。
扇風機は一般に構造的には渦巻き(副流)式、螺旋(軸流)式の二種に対して、
設置場所による主要・補助・局部の三種が組み合わされ、
吸込側と吐出側の全圧差で考慮される。
脇には巨大なタンクらしい遺構がある。
配管は200A程度もあり、楕円ではなく円形だ。
上部にもバルブがあり、特殊な用途らしい。
鏡板は厳重にリベット止めされ、相当な圧力がかかるようだ。
上部に吐出した部分は調圧弁のようにも見える。
自然発火防止のためフライアッシュ(石炭灰)を集塵流送するためのタンクかもしれない。
やはりこの部分は減圧弁らしく水抜きのゲートバルブもある。
とすればこれは局部密閉か穿孔ガス抜き法によるメタンガスの突出防止・防炎対策の設備だ。
坑内のメタンガスを吸出用ターボブロアーで誘導したのだ。
付近ではボーリングの実績もあり、放出されるメタンガスを減圧し、
一部は大気に放散、一部は清水沢火力発電所に流送したのだ。
排気、濃度低下、安全確保に追加して余剰資源を発電所のボイラーで有効利用したのである。
タンクのすぐ脇に残存する水槽らしき廃墟である。
ガス爆発の伝波を防止するため、ガス誘導管の途中に水槽を設けることが多い。
ガスは一度水中を潜らせるのだ。
鉱害を防止するために英知を結集し、
中毒や爆発を防止する以上に、誘導ガスを再利用する経済効果をも考慮する。
今回は過去の遺構からそれら側面を紐解くことができた。
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