軍需の産物




亀田半島最東端の椴法華村との境界付近に在る古部市街地。
「古部の鎧岩伝説」があり、義経・弁慶の物語が伝承される。
南部の高台から街を望む。 古部

集落が標高27m付近に対して目指す鉱山跡は170m付近だ。
海岸から一気に登攀する。
やはり治山の痕跡か、荒れた雰囲気は無い。 除雪車


山中に入ってすぐ、ドラム缶が現れた。
鉱山の遺物かは不明だが産業の痕跡があったのは確かだ。
埋没した坑口は4本の砂防ダムを超えた先だ。 ドラム缶


しばらく登ると植生の斑な一画があった。
恐らくここからが鉱山跡であろう。
硫黄の探鉱方法は「ボーリング」が一般的だがここでも施工されたのだろうか。 荒れ地


その先では足元に煉瓦の遺構である。
耐火煉瓦は焼取法の産物だ。
低品位な昇華硫黄鉱までもを選鉱し蒸気製錬としたのかもしれない。 耐火煉瓦


海の見える硫黄鉱山跡と言えば、
岩尾鉱山が思い出される。
植生の稀な場所がなお続く。 海岸


砂防ダムを4本超えた左岸に坑口跡らしき崖がある。
しかし1970年代に埋没していた履歴があり、
痕跡はほとんどわからない。 巨岩"


坑口と思われる穴である。
火山の噴火で産出した溶流鉱床とは違い、
鑛染鉱床または沈殿鉱床は主に坑道採掘となる。 坑口


直下型のヒグマの爪痕である。
付近は街からそう遠くないが、
入林する人間も少ないのかもしれない。 ヒグマ


付近の地面には乳白色の鉱石が散らばる。
硫黄は金属と反応して硫化物を作る。
淡黄色の二硫化鉄の黄鉄鉱(パイライト)はかつて火打石として利用された。 硫黄



完全に人工的な道と建築物の跡である。
治山の跡かもしれないが、
事務所や鉱員住宅があったのかもしれない。 鉱山道路


そして木造の建築物の跡である。
これは精錬に関するものかもしれない。
ここへ来てようやくの遺構である。 木造


その奥の斜面には大規模な木造の廃祉跡がある。
その範囲は広く、巨大な選鉱所が稼働していたのかもしれない。
年代から言って硫化鉄鉱山時代の遺構とも考えられる。 選鉱所


廃墟に咲く水仙。
硫黄は最も恵まれた資源であり、国内需要を十分満たしていたはずだ。
重油精製の副産物である回収硫黄がなければ、国際市場への進出も視野に入れられたはずだった。 水仙







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