手稲鉱山跡 探検: 北の細道 手稲鉱山

手稲鉱山でホッパーの迷路を歩く




北海道札幌市

終戦後間もなく、進駐軍が手稲金山を見学に訪れた。
その際、「婦人接待官」に先導された32名の軍人のうち一人が「見学記」を残している。

当時(昭和21年)、本坑には坑内外員約400名が就労し、月産3,000tの粗鉱生産を行っていた。
精錬所には巨大な鉱石破砕機や精洗機、選炭機、撹拌器があり、
約半車の鉱石で1個の金時計ケースを作るに必要な器具が備え付けてあり、
活気に満ちた本坑の描写が成されていた。


明治に発見された本金鉱はあまりの山中のため、
開拓されることも無く、目立った生産は行われなかった。
しかし大正時代に山火事により、
山へ入りやすくなったことが、
手稲鉱山開拓の第一歩だった。

昭和10年以降東洋一、そして全国二位の生産量を誇り、
700人が働く一大鉱山集落が形成された。

しかしながら採算などの面から、昭和25年には休山
昭和46年には閉山に至った。


最盛期の昭和14年に建築された、5万t/月の処理能力のある選鉱場が、
今回のターゲットである。
札幌市内から望む、巨大選鉱所の最奥を目指してみよう。










廃墟・鉱石・精錬所・・・





選鉱所
( ̄u ̄;)選鉱所



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